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2018年6月5日火曜日

「副業・兼業」への雑感

副業・兼業は、本業を持つ人が、仕事をする余力を使って業務に従事したり、並行した別の仕事を持つことなのだそうだ。1人の人が色んな仕事をしている。そんなことは、ベトナムやカンボジアへいけば、どこででもみることができる当たり前のことだ。

日本で、とりわけ議論になるのは、日本で働く人の多くが、会社で働くサラリーマンであり、自営業者の割合いが少ないためであろう。

日本でも、明治・大正期までは、企業に勤務する人も、隣の会社へ動くこと、転職は日常茶飯事であり、よりよい給料をくれるところ、条件のよいところへ仕事の機会を求めていたらしい。

それでは、会社の運営が安定しないと、産業界が談合して、終身雇用制、年功序列賃金制という言葉を作り、長く勤めれば給料を増やしてやろうという条件を広めてしまった。それが、1960年代以降の高度経済成長期に、日本で仕組みとして、しっかり定着したと聞く。

高度経済成長期であれば、企業は、時流にさえのれば、ある程度の成長が叶う。もちろん、会社間の競争がなかったわけではない。それで、人口が増え、安い円で作ったものを外国がどんどん買ってくれたのだから、円高の今のご時世に比べれば、国内の競争など大した足かせではなかった。

こうやって、会社と長期契約で連れ添っていくサラリーマン社会が日本でできあがったのである。

終身雇用だ、会社は定年まで面倒を見てくれるというのだから、副業とか兼業とか、どうして、そんな浮気心を働かせる必要があるのだ。一心に、雇ってくれている会社へ滅私奉公するのが筋だ。そういう関係があるのだから、就業規則の中にも、副業・兼業は、課業の農業や酪農以外は禁止であるといったことが書き込まれている。それが、一般的な事情だったらしい。

だから、サラリーマンの兼業・副業は、前提が禁止であり、基本的には会社に隠れて、コソコソと行うべきものだったはずである。

その風向きを大きく変えたのは、少子高齢化による近年の労働力不足の状況である。行政は、労働基準法を改正して、本業の時間外において、労働者が副業・兼業に勤しむのは、基本的に自由であることを確認したのである。それと合わせて、モデル就業規則にも、それが反映されることになった。

また、行政は、「労働者の自己実現を後押しした方が、その会社に満足感を得て、退職しにくくなるよ」とか、「他社で得た能力・スキルを本務にフィードバックできるので、自社のメリットになるよ」など、先進的な企業の好事例を引き合いに、副業・兼業を後押ししている。

ただし、副業・兼業に取り組む人たちの現状をみれば、ボリュームゾーンに当たる層の動きは目立つものではない。そのため、国内の労働力不足を埋めるのに十分な数を果たして確保することができるのか。他にも、条件さえ取り払えば、妥当な方法があるのではないかと思えるのだが。

いずれにせよ、現代のサラリーマン社会のあり方について、このままがよいと思う人が多数を占める状況が変わらないのであれば、副業・兼業が大きな流れになるとは考えられず、いくらかの需要が満たされるに留まるのではないだろうか。



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