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2022年11月12日土曜日

都市化は相互依存性を高める

価値があるというのは、誰かとって必要で無くてはならないもの、困るものである。僕にとって、例えば、それは近くのホームセンターであって、家庭菜園や庭仕事の道具、日用品や菓子まで、なんでも頼っている。あそこがなくなってしまったら、どこへ買い出しに行こうかと悩むことになる。

また、毎日の交通手段である自家用車が、故障無く動き続けるためのメンテナンス・サービスもまだ、自分で車の修理のできない僕にとっては、無くてはならないものである。

不便や不都合は、それが解決しなければ、どんどん時間や財産を浪費し、生活が立ち行かなくなってしまうこと、場合によっては命の危険にも繋がることである。

無いと困ることも前提が覆れば、無価値なものになる。学校の卒業資格は、仕事を得るためのパスポートになっているが、それは世の中の相互了解があるから、それを提供する学校は価値のあるものと見なされる。ただ、仕事のために学校で身に付けられることが、それ以外の方法でもなんとなるということになってしまえば、学校もまた就職のための場としては無価値なものになってしまう。

誰かの不便・不都合を解消するもの・ことは、交換の仕組みに乗ることで、経済的な価値を得ることになる。人には、得意不得意があり、制限のある時間の中で、上手くできることに差があるため、交換の動機が生じることになる。これは、世の中の実勢に沿ったことであるが、極めて都市的であると思う。専門分化し、限界価値を突き詰めているからこそ、他者との価値交換に意味を感じられる。百姓なら、なんでも自分でこさえてしまうのだから、交換の必要は都市住民に比べて少なくなるのだろう。

世界が都市化すれば、それだけ誰かに依存して生きる必要が生じ、誰か他の人のための課題解決に役立つことでしか、そこに居られなくなってしまう。都市化は、人と人との間の相互依存性を極端に高めるのである。

アントレプレナーシップというコンセプトもまた、そういう脈絡で成り立っているのだろう。

2022年11月10日木曜日

歯科検診に行った

もう亡くなってしまった歯医者さんに、大工事で修理してしてもらった歯の詰め物に、ほころびの兆しがあるらしい。かれこれ、修理は10年以上前のことなのだから、仕方のないことである。半世紀も生きていれば、なにも問題ないことはない。必要なことは、小まめなメンテナンスであり、予防の心得である。予防しておけば、先送りによって知らぬ間に費用が大きくなってしまうことを防ぐことができる。かれこれ、18年くらい歯のことでお世話になっていた安本さんはもう居なくなってしまったのだけど、その技術は、まだ生きていますよ、と。そして、教えてもらった予防歯科の考え方は、ずっと心にあります。

2022年11月9日水曜日

20代の底力

今日は、20代の底力をみた。彼らは、世界観を持ち、スキルを自ら育み、情報を広く集め、相互に共鳴しながらやり取りを重ねている。彼らが活躍する限り、世の中が停滞することはない。

2022年11月7日月曜日

はじめの一歩

三つ子の魂百までとはよく言ったものである。他人の面倒見のいい人は、何年か経っても誰かを構っているし、ソロワークで、何かに没入する質の人は、同じくひとりで何かを掘り進めている。

その人が持ち合わせた性質は、何に時間を費やしたかによって、形づくられていくらしい。取り組むことで、喜びを味わえば、脳の報酬系がそれをどんどんと強化していく。そのうちに、ひとつの性質を獲得していくことになる。

グラッドウェルの1万時間の法則は、それを説明する経験則である。ひとつのことに取り組んでいるうちに、それが他の人よりもできるようになることが、むかしから誰でもそう思っていたが、 時間の目安を示したことが、ひとつの成果なのだろう。

ただ、人生100年の時代となって、それくらい自分も生きていくのだろうと思えば、ひとつことを身に付けるだけでは、つまらないように思う。

他人のことばかり考えていた人が、自分の殻に閉じこもって、究極の美を探求しつくす旅にでたり、ソロワーク好きが、教育普及に身を粉にしてもいいものだ。はたまた、オルタナティブな生き方に展開していってもよい。

どのように転がるにしても、はじめの一歩(Baby Step)を踏み出すかどうか。それが、勇気なのか、ノリなのか、成り行きなのか分からない。ただ、その時がくれば気付くことなのだろう。

2022年11月6日日曜日

便利さに身を委ねているうちに

Wix.comで、イベントのウェブサイトを作っている。

テンプレートがあるので、内容を書き込むだけで、ページができあがっていく。簡単なのは、素人には助かる。

ただ、表現したいことがテンプレートにない場合には、不便さを感じる。その時ばかりは、コードが掛けたらなと思う。

誰かに、技術を頼るというのは、こういうことである。時間や労力を節約する代わりに、相手に委ねることになる。学び方や人生の針路についてまで、誰かに委ねることになりかねない。

便利さに身を委ねているうちに。人生を誰かに任せてしまうことにならないように。


2022年11月5日土曜日

バラをポットから鉢へ移した

先々週だったか、グリーンパークでもらってきたバラのポット苗をやっとこ、鉢に植えることができた。

当地では、秋のバラフェアを催していて、苗を無料で配っていた。無料の配り物に弱い性分なので、もらわない理由はなく、元気の良さそうなのを受けとった。

それが、自宅に持って帰ったまではいいが、どこに植えるか方針が定まらないまま、日が経っていった。気付かずに誰かが蹴り倒したらしく、ポットから半分ほど土が失われていた。

今朝から近くのホームセンターへ行って、バラが好む肥料入りの土と鉢をひとつ見繕って来た。

鉢の下に、網を敷き丸い軽石を載せる。そこにバラの土を下から3分の1ほど入れて、そこにポットから外した苗を入れて、周りを同じ土で固めていく。

土の袋に説明があるようように、土は、鉢からはみ出ないよう2センチほど残して入れた。すこし指先で土を押し込み、苗が安定するようにした。

植え付けが終わったらジョロで水をやって、明るいところに据えた。

野菜ばかりで、あまり花卉類を触ることはなかったのだけど、これを機会にそっちの方面もいいもんだなと思った。

2022年11月4日金曜日

お互いにおしゃべりし易い関係を作っていく

 北九州商工会議所さんとの連携科目の2日目は、三井ハイテックさんと戸畑製作所さんに、ご登壇頂けた。受講生が、理工系である分、技術に関するお話は、どんどんと深くなっていく。授業の建て付けとしては、はじめに受講生の企業取材班が、二次資料を元に、調べた企業紹介を行なう。それを踏まえて、企業の方々には、二次資料では、伺い知れない事柄について、お話し頂く。最後に、Q&Aで相互交流を図る。受講生には、その場で質問を考えてもよいし、予習で提出した事前の質問を使ってもよいことにしている。いかに、登壇者と受講生との間のやり取りを促進するのか。相互に、おしゃべりしやすい関係を作っていくことが、僕の授業の建て付けで注意をもっとも注いでいるところである。

2022年11月3日木曜日

近所の中学校の文化祭に行った

近所の中学校の文化祭に行ってきた。書あり、工作あり、歌あり、演奏あり、小芝居あり。カリキュラムとしての取り組みとはいえ、その内容の豊かさ、自由度には驚かされた。また、そのクオリティの高さ。教員の皆さんが掛ける熱量もすくなくないはずだが、生徒さんたちのもつ能力の高さ、学びを総合化する力の高さを感じることができた。また、教員の皆さんも芸達者な方が何人もいて、そういうものに生徒の皆さんも感化されないはずはない。文化祭単体でみれば、大学のそれに引けを取らない見応えのあるものだった。

2022年10月31日月曜日

広報宣伝こそイベントの肝

イベントを開くための肝は、広報宣伝であると実感するこの頃です。担い手の提供する価値が同じでも、それを届ける相手が合ってこそのこと。受け手のない提供は、空に飯を食わせるようなものである。
世の中には、魅力的なイベントがごまんとある。受け手の身は一つであるので、いくつもの機会を同時に得ることはできない。秋の日和のよい頃は、尚更である。
広報宣伝には、粘り強さが必要である。なんども足を運んだり、メールを送ったり、断られても、次を目指すしかない。心がくじけそうになっても、この価値を受けるべき人の届けるための努力は惜しんではいけない。
メールを書くのは、費用が掛からない。時間を使うけど、タダで取り組めることである。それで、たくさんの人たちに、提供したい価値が届くのであれば、安い努力に過ぎない。

2022年10月28日金曜日

自身を俯瞰する日

科目「企業研究」では、向こう8週間に渡って、先進ものづくり企業の出前授業シリーズを行うことになっていて、今日は、三島光産株式会社の方々をお招きした。

印象に残った言葉は、チームワークとやり甲斐だった。客先からの注文に応えるべく、知恵を絞り、チームで打開していく営みが、こちらの日常なのだと思う。

僕自身の仕事は、基本的に単独で取り組むことが多く、チームでの協業の機会はほとんどない。子どもの頃からやってきたスポーツは、柔道とテニスで、大勢のチームで知恵を出し合うものでもない。経営学が研究対象であるのは、自分自身がマネジメントがそもそも不得意で、上手にやりこなす人たちの営みが不思議であるからなのだろう。

久しぶりに自身を少し俯瞰した日だった。

2022年10月27日木曜日

本人動静

リープラ・ジャパンの鎌田さんと大学でのアントレ教育の現状とこれからについてのディスカッション。連携している教員やFAISの方々とも、論点を共有できた。キャリア教育の文脈ではなく、より広く主体性を持って生きること意味、それによる世界観の変化に重点を置くこと。

小倉南署の巡査部長さんと留学生を交えた知らない法令や生活上の困りごと、通報方法などについての啓発について。片言の日本語でも、問題が起こった場所を伝えることさえできれば、警察は直行できるので、ためらわずに110番通報をして欲しいとのこと。

特別授業でご連携頂く三井ハイテック(株)の方と会場になる教室の下見や当日の流れの確認を行った。大学は、人が出会って知的交流を通じて、アイデアを共有・共感する場所である。個人が抱える個別具体の課題を解決していく緻密な機会を生み出していきたい。

2022年10月26日水曜日

学研都市ひびきのアイデアソン2022インターナショナルに向けて

「学研都市ひびきのアイデアソン2022インターナショナル」(12月3日)に向けた運営チームの打合せを行ないました。北九大生協学生委員から有志が集まってくれて、ポスター広報や賞品の企画を進めました。アイデアソンは、コミュニティに共通の困りごとを解決するアイデアを出し合うワークショップのこと。学研都市ひびきのには、技術シーズや多様性などの地域資源があるのに、どこかお互いによそよそしくて、グルーブ感に欠けるという声があちこちから聞こえて来ます。そんな状況を打破して、ひびきのに縁あって集った人たちが、協働して自己実現を図れるコミュニティを作っていきます。ぜひ、この試みにジョインして下さい。

2022年10月25日火曜日

デジタルノマドの視野狭窄

ずっと同じ場所に留まっている時間が長くなると自分の視野が狭窄していくことを感じる。ネットをサーフして、デジタルノマド生活を続ける時間が長くなり、物事を感じるセンサーが鈍くなってしまっているのだと思う。どれだけ主体的であり、情報を目と耳から仕入れているとしても、自身と実体の間を仕切るメディアを通じた情報はどこかよそよそしい。きっと、こういうことに思い当たるということは、それ以前の記憶がまだわずかに残っていて、何が自分にとっての当たり前であったのかを想起させるのだろう。

2022年10月24日月曜日

共感の場をつくる

午前と午後に、三島光産と新日本熱学の皆さんとそれぞれ特別授業の打合せをした。
企業の方々と大学生との交流でも、「共感」は大きな論点だと思う。それぞれが、どうありたいのか、これから何処へ進んでいくのか。交流の中で、方向性を示し、また、方向性を示すためのヒントを得ること。学び合い、高め合いの場を作りたいと思う。

2022年10月23日日曜日

なかにし養鶏場さんへ

近所のなかにし養鶏場さんに行ったのは初めてだった。前から、道路沿いの幟が気になっていたのだけど。大通りから脇道に入って、きっと以前の本通りだったと思われる小道を進んでいく。飾り気のない建屋、鶏舎のある奥の方には、鳥インフルなど感染症対策で入ることはできない。店舗の奥さんに商品について尋ねてみると、一つずつ丁寧に説明して下さった。プリンを頂き、卵や鶏肉を買い、ケージの中の犬氏を少し可愛がった。

なかにし養鶏所さんの創業は、大正10年で、100年を越える事業者さんとのこと。長く続く秘訣はなんだろう。きっと事業の取り回しと承継に秘訣があるんではないだろうか。




2022年10月22日土曜日

わがままな性分

性分として、誰かに何かを教えてもらうことが好きな人と好きでない人がいる。僕自身は、どちらかと言えば後者である。誰かに教えてもらうよりは、自分で必要なことを調べて、どうにかこうにかものにしていくのが性分のようである。誰かが作ったカリキュラムにのるよりは、自分で学び方の筋道を立てる。もちろん、専門家に習えば、より早くある程度のところまで達することができるのだろう。誰かが書いたテキストを読むのは、それに習っているのと同じともいえるが、それを読むのかどうか、いつ、どのスピードで読み進めるのかを自分で決めて進めたい。端から見れば、こういう人は、不器用で面倒なもので、一言で言いあわらすなら、わがままということなのだろう。しかたない、そういう性分になってきてしまったのだから。

        

2022年10月21日金曜日

バラよりソフト

 近所にあるグリーンパーク(北九州)で、バラ園フェアをやっているという。花の盛りは、年に1度だろう、なんだかおかしいなあと調べてみたら、今年の5月に同じ公園に行ってバラを見て来たらしく、写真が残っていた。思い込みは禁物。どうやら、バラには春と秋に2度の盛りがやってくるらしい。

グリーンパークのバラの季節には、いつもバラのフレーバーのソフトクリームを売るキッチンカーがやってきる。花の観賞もわるくないが、僕は期待するのはもっぱらこちら。花より団子、バラよりソフトである。



2022年10月20日木曜日

可能性世界へ

ボキャブラリーの範囲が異なる人たちと話せば、世界が広がっていく気がする。
同じようなものを見ているようで、全然ちがう角度からまなざしを向けている。

目隠しをして、何人もが大きな像を触った時には、それぞれの印象で、
対象を言い当てようとする。異なる回答は、人の能力の限界を示す。

その一方で、一様でない物事の捉え方を明らかにしている。
人々による解釈の種類だけ、世界像の可能性がある。誰かの世界観、
多くの人が共有している解釈ばかりが、正解ではない。

受入られずくじけそうでも、自身の物の見方に賭けておくことが、
多くの人々を救うことになるかもしれない。

そういう空想・妄想は、可能な世界への扉になり得る。


2022年10月19日水曜日

マンホールの蓋に映る地域の誉れ

マンホールの蓋に芸術性を注ぐ人たちの気持ちの熱さに畏れ入ってしまいます。

それは、このアートが鋳物であるためと無縁ではないでしょう。

商店街を歩きつつ、なんということもない路面に印象的な花が咲いています。「ああ、熊本には、ヒゴツバキ(肥後椿)があって、住む人の誉れなんだ」と気付くことができます。



2022年10月18日火曜日

番茶ソフトクリーム

地域にはそれぞれの味があり、この「番茶ソフト」 もその一つでしょう。奈良県吉野郡大淀町の道の駅で味わうことができます。色味は、くすんだ茶色、チョコでもごまでも無い色合い。一見苦いのではと身構えてしまうほど。注文して手渡ししてくれるときに、店員さんが、番茶のパウダーを振りかけてくれるので、ひとくち目から、番茶の香りが鼻を抜けます。甘さはほどよく、子ども向けというよりは、壮年向けのひと品です。

番茶は、この地域で広く作られています。とはいっても、番茶の畑が広がっているのではなく、どちらかといえば、畑の端っこで栽培しているというもの。また、番茶は、吉野のソウルフードの一つである「おかいさん」(番茶で飯を煮込んだ粥)に欠かせない。ということなので、この地域に生まれ育ったものにとっては、番茶ソフトは、抹茶に代わるものではなく、唯一無二の意味合いを含んでいるのです。抹茶ソフトでは面白くないから、番茶でというような安易なものではなく、この地域の雰囲気を堪能するのであれば、番茶でなくれば駄目というほどのことでもあるのです。

目立ってメディアで取り上げられたことのない品ではありますが、覚えのある限り10年は販売が続いているものと思います。吉野にお越しの際は、ぜひ番茶ソフトを道の駅で求めて見て下さい。



2022年10月17日月曜日

人手の取り合いでは芸がない

地域活性化の解答が、他の地域から人を引っ張ってくるようなことの一点張りでは、ちょっと芸がない。それは、あちらから、こちらへと人が移動するという話しに過ぎない。人手を得た方は嬉しいだろうが、取られた方は恨み節が止まないことだろう。人を引っ張って来ないとダメということでは、どこかが泣きを見る。そんなことでは、世間が殺伐とする一方ではないか。

働き手の取り合いに凌ぎを削るような発想は、学徒集団就職の頃から基本的な考え方が変わらない。むしろ、足りないものは、分かち合うことを考えるべきだろう。デジタル化の技術は、遠隔からの仕事を可能にする。英会話だって、コンタクトセンター業務だって、遠隔から可能な仕事になっている。開発業務やコンサルティングも、同じように行うことができる。

むろん、目の前に生身の人がいるとのは、同じでは無いだろう。それでも、制限のある中で、適材適所で組み合わせることだってできるはずである。現に、そういうことに取り組む会社の事例はいくつかある。

副業兼業は、もう流行り言葉ではなくなり、実際的な選択肢になった。目の前の人も、画面の向こうや目がバースメタバースの中の人も、やりようであなたの仕事を助けてくれる。昔からと同じであらねばならぬを捨てて、今どきならこんなこともできるという柔らかさを持って、仕事を続けたいものである。

2022年10月16日日曜日

面倒なことは生活を豊かにしてくれる

関わることは面倒くさいが、生活を豊かにしてくれる。

うちには、猫の額ほどの庭がついているので、そこにいくらか野菜を植えている。いまどき野菜は、スーパーで買ってくれば間に合うのだけど、庭に植えておけば、旬がいつ頃なんだとか。値段が割高だのお得だのということに、興味を持てるようになる。葉もの野菜なんかは、蝶々の幼虫がついて割れたり、ナメクジに食われたりする。見つけたら箸で摘まんでご退散頂くことになる。虫除けの農薬の力を借りることもあるが、どんなのを使うのか、ホームセンターでよく考えるようになる。家庭菜園用の農薬は手軽なスプレータイプがたくさん売っているのだけど、成分表をよく読めば、有効成分の割合はほんの少しで、ほとんど水を買っているということにも気付くことになる。

朝に、菜っ葉を取りに庭にでれば、朝露が降りたことに気付くことになるし、日当たりがよくないと発育が進んでいないなあなんて思うこともある。ひとつの野菜の収穫が終わったら、その後に何を作付けしようか、その前に、苦土石灰で土壌改良をしておこうかとか、計画することにもなる。そういうことをやっていると、スーパーで売っている野菜がそこに並ぶまでのプロセスがなんとなく想像できるようになり、これまた関心の対象になる。

ここに書いたのは、家庭菜園のことであるが、身の回りの人々についても同じで、関わらなければ何の面倒もないが、関わることで手間は掛かる一方で、その人の行動や言葉から、あれこれ学び取ることができる。そういう風に関わる間柄をコミュニティというのだろう。コミュニティは、日本語の世間ではちょっと遠い気がする。何かこの面倒くさくも豊かさを運んで来てくれる人たちの関係を表す丁度いい言葉はないものだろうか。

2022年10月15日土曜日

小さくはじめる

10月から再開した日記が続いている。一週間分が1ページの日記帳に、毎日3行だけ書いている。小さく始めるがよいとは、良く言ったことである。始めから大きな目標を持つとぐうたらな自分を古い立たせるだけで、労力を使い切ってしまう。
3行日記が続くとごく稀なことだが、隣のページまではみ出して書いてしまうことがある。そのはみ出しに、なかなか良い言葉が含まれていたりする。また、定期的に日記帳を手に取るので、記念のチケットやビール瓶から剥がしたラベルを貼っておこうと思うようにもなる。常に手に取るようになれば、自分の道具となり、身体の一部にもなる。疎遠になってしまったら、もうそれまで。

2022年10月12日水曜日

固い心、柔らかい心

「固いもの同士がぶつかると割れてしまう」と相田みつをが書いていた。それぞれの主張を曲げなければ、物事は平行線をたどり、時に衝突が起こる。

世の中は、お持ちよりと分かち合いで成り立っていると思えば、いつまでも歩み寄らないことが馬鹿なことだと気付くことになるはずだ。

自分の領地領分、約束の履行不履行、家族感の違い、世の中の仕組みの違い。関係が近ければ、それだけ違いが目立つようになる。いっそ、お互いの違いにだけ注目しつづければ、共通点が見えて折り合いを付けられるようになるのではないかと思う。
そういう視点の変更、心の柔らかさを持ちたいものである。

2022年10月10日月曜日

芋掘り

サツマイモを収穫した。うちの猫の額にような広さの菜園に、春先だったか、苗を買ってきて作付けした。他の野菜のように、手入れが必要なく、夏に少し追肥をしたりした程度、蔓が伸び葉が広がるに任せていた。安納芋と他2種類の名前は忘れてしまっていた。

掘り出してみれば、丸々と太った芋や小さい根っこが少し膨らんだくらいのものまで、ひと抱えするくらいの数が取れた。初めての作付けにしては、よく取れたと思う。いくつかは、地中で虫に食われて小さい穴の空いてるものも合ったけど、ほとんどは無傷でよかった。いくつも植えておいてよかった。

こういうことは、他の野菜にもいえる。作付けするときには、ひとつだけでなく、必ずいくつか用意することにしている。リスク分散は、ものを抱える時には当たり前にやっておくべきことで、小さなものでの同じである。猫額菜園でも、気付けばたくさん虫がついて、食べられなくなってしまったり、日照条件などの都合で発育不全になってしまったりする。

いくつかの株を植えておけば、そういう悲運をさけて前進し続けることができる。

2022年10月9日日曜日

思索の材料

気に入った作家の話を聞こうと思えば、東京や大きな街の会場へ出向いて直接聞く、そういう時代ではなくなった。その人の雰囲気まで感じようとすれば、直接聞くしかないが、話す内容だけど汲み取るには、オンラインで視聴することができるようになった。たくさんの交通費を支払う必要もない。

また、多くの人が聞きたい話し手ほど、オンラインのビデオアーカイブやポッドキャストをアップロードするようになって来ている。むしろ、それを聞いているだけで、一日が過ぎてしまうほどの量である。ただ、そういう視聴にだけで、時間を割くわけにはいかない。1.2倍や1.5倍速で視聴するにしても、時間が掛かる。

その点で、書籍は時間の制限を受けにくい。もちろん、字面を追う時間は要するのだけど、自分のペースで読み進めれば、その人の言おうとしていることを掴むことができる。熟読する部分と斜め読みする部分を分けて読みこなすこともできる。

話を聞くことも、書籍を読むことも、目的は、読み手が自身の考えを構築ための助けを得ることにある。ただただ、話し手が発する情報を消費することもできる。それもエンターテイメントとしてわるくないが、得た情報について考察し、思索を充実させること、さらには、自身の思索をもって世間をより充実したものにするべく貢献することが、生き甲斐というものだろう。

現代は、自分の思索を充実させるための材料がメディアを発展によって、どんどん世に供給され続けており、そのペースは高まっている。ときに、消化仕切れない情報の氾濫には、諦めの念をもつこともあるのだけれども。

2022年10月8日土曜日

ブラウン神父シリーズ

アマゾンプライムで観られるBBCのブラウン神父シリーズが気に入っている。シーン3までやってきた。ひょうひょうとした神父が、直面した難題を推理と調査で解明していく。

アガサクリスティにポアロシリーズやマープルシリーズと違うのは、主人公が神父であり、罪を犯した人や関係者が、告白をしていく場面である。神父は、守秘義務を楯に、周囲や警察には話さない。それでも、告白は、神父の推理を裏付けて、問題の解決に繋がっていく。神父とくキャラクターは、罪を背負った人が心の解放を求めて頼ってくる。

俗人であるポワロやマープルには、そういう場面は登場しない。この3つは、直接的なシリーズではないが、そのように並べて考えれば、面白い題材の設定であると思う。シーズン9まで、まだまだ楽しめそうである。

2022年10月6日木曜日

手入れを押し売らないように

メダカへの餌やりと庭の猫額農園への水やりは、朝の時間がどれだけ窮屈でも、必ずやっている。世話や手入れは、楽しみであるが、責任でもある。餌が足りなくて、メダカが飢え死にしたりしないか。(表の鉢にいるやつは数日大丈夫のはず。)葉もの野菜が、青虫やナメクジに食われていないか。(これは気を許すとけっこうやられる。)いったん、引き受けたら手を抜くことができない。それが、責任ということなのだろう。

その一方で、場所を移動させながら養生していた鉢植えの調子がよくないからと猫額農園の空きスペースに直植えした途端に、青々と葉を茂らせ始めたりする。それは、まるで世話が不要であるかのよう。実際は、適地に収まったからなのだけれど。

責任があるからと思って、手入れ過剰になってしまうとすれば、それは、世話の押し売りということなのだろう。もうすこし自分に世話を焼くようにした方がよいのかもしれない。身の回りのものは、自分の一部という見方があるが、主体を備えているものは、少し距離をおいて、尊重することにして。

2022年10月5日水曜日

斜め見の格好良さ

世間に対する目線は、斜めからちょっとひねくれているくらいが、真摯な姿勢だと思うことがある。正面から反面から、どちらも王道である。斜めからというのは、王道を少し外した目線である。正にも反にもくみしないしない独自の視座からの意見は、痒いところに手を届かせてくれるものであり、「そうそう」と膝を打つものである。

ややもすれば、正か反かのどちらかに流され、それが自分の考えであるかのように思いこんでしまう。そこには、大勢の仲間が控えている安心感がある。
その点で、斜めからの視線は、頼りにする仲間のいない独自の考えを展開するわけであるから、本質的に所在無いものである。その所在の無さを耐えてこその斜め見である。

ただ、世間を斜めに見る人の多くは、ひょうひょうとして、不安の片鱗さえも見せない。それが、格好良さでもある。そんな格好よい人でありたいものである。

2022年10月4日火曜日

野良猫とコミュニティ

コミュニティは、お持ち寄り、分かち合いの集まりであると思う。僕の仕事の場である学研都市には、まだ、大きなコミュニティを感じられないし、他の人もそう言っている。

もちろん、小さなコミュニティはある。大学の中のラボの単位や職場の中の気の置けない人たちは、単なる職場を同じくする人の関係を越えている。ただ、その関係が広く一般的になるには、時間かきっかけが必要であるらしい。

今朝、職場で野良猫を見た。尻尾の短い(無いに等しいくらいの)若い猫だった。大学のキャンパスに野良猫が珍しいく思えるのは、保健衛生上で正しいことなのかもしれないが、空間としての余裕の無さでもある。野良猫が住み着けない空間は、生態系としての要素が欠落していると見ることができるのではないか。

野良猫が数匹住み着いているくらいのキャンパスは、人を含めた生物が生活するのに、余裕のある場所であるだろう。そういうものも規範を立てに、逐次排除してしまう精神は、人が全てを健全に管理できるという思い上がりなのかもしれない。

全てが人の目で管理されている場所に、心の安らぐコミュニティは、果たして発現するのだろうか。


2022年10月3日月曜日

10月からの仕事

第2学期には、北九州商工会議所さんと北九州市雇用政策課さんとの連携で、企業研究という科目を開きます。北九州市内に立地する企業さん13社にご協力頂き、受講生たちが、社会と関わるための場・媒体となる企業についての見識を深めます。

受講生たちは、企業について予め調査を行い、ご登壇頂く際には、質問を投げかけ、その成果物として企業紹介のリーフレット記事を書き上げます。書き上げた記事は、北九州市役所が発行する企業・産業マップとして、関門・九州地域の高校・大学のキャリアセンターへ広く配布されます。

受講生たちにとっては、調査し、文章にまとめることによって、知見を深めることになります。企業は、大学生の目線から自社がどのように見えるのかを理解します。また、リーフレットの読者は、同じ世代の目線で書かれた企業紹介記事から、広告性の低い情報を得て、自身の職業設計に役立てることができます。


2022年10月2日日曜日

町内会の定期清掃

町内会の定期清掃の日だった。年に2度、春と秋に開かれる。

町内は、いくつかの班に分けれていて、それぞれが、近所の通路や公園を担当することになっている。

とはいえ、いつも散歩のついでに、ゴミ拾いをしてくれている方々がおられるので、目立ったゴミが、そこら辺にゴロゴロ転がっているわけではない。

きっとこのイベントは、日頃は疎遠なご近所さんが一堂に会して、あれこれおしゃべりしながら、作業することが肝なのだろうと思う。

一緒に仕事をすれば、仲良くなれるだろう。そういうご近所さんが、もしもの時に、お互いに頼りになるものである。

2022年10月1日土曜日

折り合いをつけながら

畑地を耕し過ぎると地中の生態系を乱してしまうという話を効いて、あまり介入せず、空いたところに種を埋めるようにした。

草引きも、種の植え付けに邪魔になるものを摘まむ程度にしてみた。地中の養分、微生物、表面を覆う草が相まって、生態系が生じている。そこに、種を植えることは、新しい要素が加わることになる。

プランターは、区切られた空間であり、他からある程度切り離されている。家庭菜園は、他の生物との関係で成り立っている。その有り様が活き活きとしているのであれば、干渉はなるべく控える方がよいのかもしれない。

30年ほど前に、拵えられた人工の庭も、歳月を経て生態系を養生して来ている。そこに外来の植物をおいた時に、よく育つとすれば、そこの生態系に受入れられたということになるのだろうし、育たないのであれば、他との関係に旨くなじまなかったということなのだろう。

そういう有り様を楽しみながら、作付けをしていくことにする。こういうのを折り合いを付けるというのだろう。

繋がりを求める心

今日は、仕事を通じて、人が人との繋がりを求める心に触れたように思う。断片的な繋がりではなく、全人的な。

人は、ただの情報の伝達者ではなく、心を持った存在であり、伝えるべき情報に思いを託す。

わたしたちは、それに触れた時に、満足と安らぎを覚えるのである。世の中が忙しく、断片的なつながりばかりになり、心に触れることが少なくなっている。

しかし、人は本来の相互関係を求めて、隔たりを埋めるべく呼び合うのだろう。幸せを感じる機会だった。

2022年9月30日金曜日

夜更かし、こんばんも。

こんばんも、夜更かししている。ええ加減にしないといけない。翌日の午後には、息切れが始まって、仕事に集中できないくなるからだ。では、起床時間を遅らせばよいという話しもある。

しかし、世の中は時を合わせて動いているので、世間に居るうちは、ある程度、それに合わせて過ごす必要がある。大学生を相手に仕事をすることが多いが、彼らが授業中に寝てしまうのは、夜の時間が忙しいからなのだろう。

我が身を振り返っても、朝の5時まで、ファミレスで仲間と話して過ごすなんてことは、毎日のことだったので、大学に出て行くのは、自ずと午後からになるが、早朝からの授業に出席するのは、とても辛かったのを思い出す。

古い友達が、20代の頃に「昼間と違って、夜には何でもできるような気がする」と言ってたのを思い出した。音も無く静かで、楽しい誘惑で気を散らさない夜の時間こそ、何かに取り組めるような気がするのは、その通りのように思う。

それが、勘違いであるとしても。

2022年9月29日木曜日

誕生日に仏花はタブー

母の誕生日祝いに鉢植えをというリクエストがあったので、
花屋を探しまわったが、この時期は、「中途半端な時期でね」
と店主からいわれて、最後の頼みの綱にとスーパーの花卉コーナーへ。

同じ種類で五色の寄せ植えの鉢を見つけて、レジを通し、
ギフトパッケージをしてもらおうとサービスカウンターへ向かった。

「ご用途は?」と聞かれて、「誕生日祝いです」と応えたら、
店員さんの表情が曇った。「これ菊ですからねえ」と。
「あまり進めませんが、お客様が良いとおっしゃるなら・・」
との反応で。
僕は、「日本の菊とは違う種類なので、いいかなと思って」と
粘るも「まあ、そうですけどね・・・」と再び。

僕は、これが社会常識というものだと学び、引き下がることに。
誕生日に仏花は、西洋ものでもどうやらタブーらしい。それは、
人の気持ちに浸透していること。

店員さんは、快く返品の応じて下さって、一件落着とあい成りました。

2022年9月27日火曜日

車での長距離移動

車での長距離移動は、首や肩のコリとのたたかいなのだけど、それでも飛行機に比べれば、途中休憩の自由度が高い。

SAやPAは、くたびれたドライバーを慰める旨いものやアイテムを揃えて待ってくれている。少し大きめのSAには、運動器具を置いてあるところもある。

ドッグランは、犬を走らせている場合でなく、人が走ってリフレッシュするべきだ。標高の高い所からの眺望は最高で、特にお薦めするのは、宮島SA下り線からの眺めである。

厳島神社は、遙か遠いので、双眼鏡を要するが、その手前、湾内に広がる牡蠣養殖筏の並びや日中の光る水面に魅了されたい。


2022年9月25日日曜日

日記は三行ずつくらいから

この火曜日から、日記を付けている。たいしたものではなく、手帳に三行程度のメモ書きをする程度のものである。長く続けようと思ったら、少しずつ始めるのがよいという経験則があるので、自分に過分な期待を寄せないようにした。

昨年末に手に入れた手帳も、ずいぶん空白を持て余していたところ。まさか、また陽の目を見ることになるとは、思っていなかっただろう。ただ、今日のための余白は、忘れずに残してくれていた。

ブログをよく書いてた時は、ルーティンにしようとして頑張っていたのだと思う。ここのところは、気が進んだ時に書けば良いという程度の気構えででよしとしている。

好きなことを好きなだけ進めていく。無理は禁物である。そもそものんびりしている我が身を思えば、尚のことである。



庭の草取り

 庭の草取りをした。猫の額ほどの家庭菜園でも、植えてあるものは、他のものとの関係の中で、そこに生えているらしい。そういうことなので、雑草だからといって、全て抜いてしまえば、わざわざ植えている野菜にも良からぬ影響を与えてしまいかねない。

どれを取ればよいのか、どれを残せばよいのか、詳しくないので、結果を見るしかない。とりあえずは、辺り構わず全てを取り除くということは止めておいた。

生態系を理解するということは、そういうことなのだろ思う。

2022年9月22日木曜日

傘がない

 人生の一大事は、それぞれであり、井上陽水が「傘がない」で歌っている通りなのだろう。心を奪われる世界的な大惨事に興味を持つことは、至極当然のことであり、社会常識である。ただ、そうであると決めているのは、他ならぬわたしである。そのわたしの心が何に振れるのかを制御することはできない。そこには、自由な意思はなく、それまでの心のI/Oシステムに委ねられているのではないか。ただ、その経験の履歴が自分自身であり、掛け替えの効かない存在なのである。そんなことを考えていた。



2022年9月17日土曜日

台風がやってくる

こんにちは。辻井洋行です。

台風がやって来るヤアヤアヤアというので、庭を片して明日に備えます。こういう時でないとなかなか重い腰が上がらないので、いい掃除の機会になります。

2週間ほど前の台風は、住んでいる地域の西側を通ったので、どうなるかと恐れていたのですが、結果的には大したことはありませんでした。今回は、若干、東側を通るため、気圧の低さ910hPaはあるのですが、どれほどのことになるのだろうかと見守っています。

台風での被害と言えば、小学校4年生の時だったか、当時住んでいた山間地域で近所の山が、縦横200x200メートルに渡って崩れ、知り合いの家が水に浸かった災害がありました。子ども達は、学校の体育館に避難して、それほど悲壮感もなく過ごしていたのですが、きっと親たちはたいへんだったのだろうなと振り返ります。

兎にも角にも、この台風14号(ナンマドル)の被害が小さく済みますように。

https://weathernews.jp/s/topics/202209/170075/


2022年6月9日木曜日

iCalにoutlookのスケジュールを反映するには頻繁にユーザ認証手続きが要る

こんにちは。辻井洋行です。

仕事のスケジュール管理には、iCalを使っています。ただ、職場のスケジュール管理が、microsoft 365のoutlookを使っているため、反映に手間がかかります。

職場のoutlookは、二段階認証する度に「7日間表示しない」を選択するのですが、なぜか毎日のように確認を求められます。その原因が何なのか。複数の端末からアクセスしているからなのか、まだ要因を調べきれていません。この頻繁なユーザー認証手続きがなかなか面倒です。

その二段階認証がなされていないためか、mac端末のiCalで設定した予定が、iPhoneに同期されていないことがしばしばあり、予定を見誤ることがあります。

ここのところは、その症状に慣れて来たので、空欄の状態を疑ってかかるようにしました。

一方で、iCalのoutlook以外の予定は、command+Rで直ぐに同期してくれます。outlookは、Teamsに連動しているので、打合せなど予定管理がスムーズなのですよ。しかし、iCalとの連動に手間がかかるのが難点です。


2022年6月2日木曜日

マックのディスプレー拡張でiPadもシームレスにつなげるようになった

こんにちは。辻井洋行です。

マックの拡張ディスプレー機能で、iPadをつなぐとApple Pencilでの編集がシームレスにできることに気づきました。

これまで、拡張ディスプレーは、編集している隣のディスプレーに資料を表示したり、メールやチャットアプリを表示したりするばかりでした。一方で、iPadは、スタンドアローンで使っており、パワポやキーノートの編集をApple Pencilで行う時は、一度ファイルを保存し、iPadで開き直して編集するという面倒なやり方をしていました。

そこで、ふと目が止まったのが、拡張ディスプレー機能の中の「ディスプレイの追加」という表示で、そこに「iPad」が選べるようになっていました。もしやと思ってつなぎ、マックで開いたパワポファイルを恐る恐るiPadの方へ移してみたところ、そのままファイルが表示され、Apple Pencilで手書きできるではありませんか!

これで、資料作りが便利になり、表現にも幅がでること間違いなしです。



2022年5月26日木曜日

メールソフト内のサブフォルダはいくつくらいが適当か?

こんにちは。辻井洋行です。

メールソフトの中の整理整頓をしたくて、何年か前からサブフォルダを設定して、対応を終えたものから移動させて、受信フォルダがなるべく空になるようにしてきました。

そのやり方は、仕事の進捗を確認する上で有効なのですが、最近困っていたのは、サブフォルダの多さです。小分けにしようとしすぎて、西部フォルダの数が知らないうちに30個を越えていました。

そうなってしまうとメールの移動先のサブフォルダを探すために、画面をスクロールして探すことになり、手間が掛かるようになってしまいました。

また、小分けに過ぎると幾つかのフォルダにまたがる案件の時、特に、複数の方々との同報メールの分類に苦慮することになります。

そこで、一念発起して、サブフォルダをマージして、10個削り、20個にまで減らしてみました。フォルダによっては、かなり大雑把にメールを割り当てることになるのですが、まあ、それを開いて検索を掛ければこと足ります。また、どのサブフォルダにしまったのかが分からなくなっても「全受信」フォルダで検索を掛ければ、キーワードで引っ張って来てくれます。

もう少し工夫して、15個くらいのサブフォルダへ絞り込みたいと思います。


写真はプノンペンのカプチーノ


2022年5月14日土曜日

やっぱりトラックパッドが好き

こんにちは。辻井洋行です。

やっぱり、トラックパッドが好きと思って、電池を入れ直しています。最近の不具合の原因はまだよく分からないのですが、製造年を確認すると「2009年」の文字。もうかれこれ13年も僕の仕事を支えてくれているのかと遠い目をしてしまいました。macやwinのPC端末本体が、13年も現役で使えることはままないことです。「これだけ長く奉公しているんだから、もうちっと大事にしてくれよな」とトラックパッドのつぶやきが聞こえてくるようです。

トラックパッドをデスクトップ端末で使う利点は、入力の操作性をmacbookと同じにできることです。操作性が違うと操作に気を取られるので、入力の内容への注意がいくらか散漫になってしまいます。ま、ボケ防止には多様な端末に触れるのがよいのかもしれないですけども。




2022年5月10日火曜日

トラックボールに親指の感覚がついていかない

こんにちは。辻井洋行です。

トラックパッドが古くなって、動きがぎこちなくなって来たので、トラックボール付きのマウスを引っ張りだして使い始めたのですが、なかなか適応できていません。

その理由は、人差し指ならできても、親指には細かな動きができないからです。ポインターの移動と位置決めは、サクッと一発で決まって欲しいのですが、親指で操作すると行き過ぎてしまったり、微妙に位置がずれてしまったりしてしまいます。

これは、親指の感覚を鍛える新たな脳トレと思うしかない。まあ、そういわずとも、トラックボールの感度を落とせばもっと簡単になるのかもしれません。

もしくは、スクロール・ウィール?とトラックボールの位置を入れ替えるというのもありかもしれないです。

いろいろ文句を言いながらも試行錯誤しつつ、しばらく使ってみます。



2022年4月3日日曜日

ドライブは楽し

こんにちは。辻井洋行です。

今朝から、また長距離ドライブで家路についた。自動車での移動の時は、直ぐに時間が過ぎていくような気がする。高速道路でも、見通しの聞く場面では、流れていく風景がとても心地よい。ルームミラー越しに、通り過ぎてきた路面を振り返るのもまたよい。

飛行機での8時間の移動は、乗せられるままで、自由度がなく寝て過ごすばかりなのだけど、自動車は自分で操作し、思う場所に立ち寄り、休憩してまた次に進んでいくのを自分で決めることができる。普段の生活では、早く自動運転で職場まで運んでくれればいいのにとばかり考えているのだけど、長距離ドライブでは、運転そのものを楽しみたいと思う。

将来、全てが自動運転の範囲になってしまったら、きっとつまらないばかりだろう。ドライビングを楽しめる世の中を残していきたいものである。車があれば、陸地の上ならどこにだって行ける。そういう楽しみは捨てられない。

出世男で有名な河合酒店さん

2022年4月2日土曜日

エイプリルフールの仮想

こんにちは。辻井洋行です。

毎年、この日を迎える度に、人を傷つけないホラを吹くことって難しいなあと感じます。ほとんどが本当で、その中に一片のホラを忍ばせるのは、とっても知的なことであり、ハイセンスな作業です。こういうことは、日頃から準備を怠らないようにしていればこと、軽く振り出すことができるのでしょう。それは、毎日の柔軟体操のように。ホラを吹くのは、4月1日だけに許されることなのですが、そのための準備は、毎日積み重ねておかねばなりません。

ただ、吹かないホラをため込んでいくという日常というのは、どんな生活なのでしょうか。それは、果たして平常心を保つことができるようでしょうか。ヘタをすると口先からホラが溢れ出そうとして、それを堰き止めるために四苦八苦するしてしまうようになるのかもしれません。また、小さなホラを考えているうちに、ホラ同士がくっついて、とてつなく大きなホラに成長してしまう危険性さえあります。

そんなバカなことを考えている僕の職場も、4月1日からMetaverse上に全面移行することになりました。実は、その準備は、数年前から始まっていたのです。下の写真は、僕の入居しているオフィスを撮影したものと思っている人が大半である思いますが、実は5年ほど前から、サイバー空間上のオフィス画像のスクリーンショットに差し替えて来ていたのです。


メタバースの解像度はもう既に以前、僕たちが視覚を通じて認識していた像と差が無い水準にまで仕上がっており、他の感覚もすべてが電子的な刺激に置き換えられているのです。このブログを読んでいる体験それ自体がメタバース内のサイバー体験になっているのです。

そんな、かつての映画「マトリックス」の世界観の中を僕たちが生きることになるとは、思いもよらないことでしたね。それでは、よい一日を!

2022年3月31日木曜日

Brown Coffeeにまた行きたい

こんにちは。辻井洋行です。

プノンペンで、僕が気に入っているカフェが、Brown Coffeeです。ここは、Roastery BKKという名がついているフラッグシップ店で、店内にコーヒーロースターが据え付けられているのが見えます。オーナーは、オーストラリアに留学して、カフェ文化を輸入してきたそうです。コーヒーそのものの香りがよく、店構えや内装もハイセンスで、店はいつも混み合っていました。

Cafe Amazonやスターバックスといった外資に負けず、ナショナル・ブランドとして成長し、そのうち、ASEAN諸国や日本にも出店して欲しいなと思います。その時には、この店が、世界のカフェ好きのメッカになり、プノンペンを訪れる目的のひとつになるのでしょう。



写真は2019年のもの

2022年3月30日水曜日

長距離ドライブでの首の凝り

こんにちは。辻井洋行です。

長距離ドライブの後で、首の周りがカッチンカチンに凝っています。運転中にも少し首を動かしてほぐしていたのですが、運転後に改めて凝りを感じています。きっと、ヘッドレストの高さや姿勢を工夫することによって、首から肩の辺りに優しいドライブができるようになるのかもしれません。また、何か補助具によるサポートができるのかも。長距離ドライバーの中にも、この問題を抱えている人がたくさんいるはずなので、解決策を出せれば喜ばれるのかもしれない。決まった時間に休憩してストレッチすれば、ある程度ほぐれるのだけど、それを繰り返しているうちに、どうもほぐれ切れなくなってしまうようです。
ワタリガニも肩が凝るのだろうか?


2022年3月28日月曜日

定期歯科検診でした

こんにちは。辻井洋行です。

歯科検診に行きました。半年に一度の定期検診をスケジュールに入れて必ず行くようにしています。ちょうど、その頻度で、行きつけの歯科医さんから案内の手書き葉書をもらうので、直ぐに予約します。歯科検診は、3ヶ月に一度がよいという定説もあるようですが、それほどの頻度は不要と思っています。また、3月と9月であれば、仕事が片付くタイミングなので、ちょうどよいということもあります。

ひびきのデンタルクリニックさんには、僕が今の職場に拾ってもらった頃からずっと通っています。先方には、これまでの治療履歴が残っています。おそらく10年くらい前に、大がかりな治療をしてからは、目立った問題はなく、基本的に歯石や色素沈着(コーヒーの?)のクリーニングをしてもらっているだけです。

今回は、歯科医さんからあまりご注意を伺うこともなく、クリーニングは30分くらいで終了しました。ここのところ数回でもっとも短かったかな。定期検診が短く済むのは、日頃から歯磨きに気をつけていることへのご褒美だと思えるので、ちょっと嬉しいものですね。予防歯科は大切だなと改めて。

写真は2014年に手伝った鎌倉での石積み



2022年3月27日日曜日

大豆パティのハンバーガー

こんにちは。辻井洋行です。

いま流行りの大豆ミートというものを初めて体験しました。大豆ミートを含む代替肉市場について調べることになっているのですが、食べたこともないものを調べるわけには行きません。ただ、近所のスーパーで探しても見つけられませんでした。検索してみるとフレッシュネス・バーガーでは、通常のパテを無料でSOYパテに交換しているというのを見つけて、出向いて行きました。

しかし、店先に到着するとポスターには、「Sold Out」と貼られていたので、あれれと意気消沈、仕方なく普通のを食べて帰ろうと切り替え、窓口で「Soyパティ」にできるかと尋ねたところ、「できますよ」とのご返答!あのポスターはなんだったんだ。。。

気分を持ち直し、クラッシックチーズバーガーのパティをSoyパティに変更して注文し、シートで待っていたら、やってきました!


パティの見た目は、ビーフよりも薄目、全体としては特に違和感はありません。紙のシート毎持ち上げて、一口かじってみたら、特に遜色なく、いつも食べているバーガーと変わりありませんでした。肉汁の量は控えめですが、ジューシーさをある程度かもして、香りもよい。ビーフだと言われてたら、あっさりしているけどそうかもと思うほどでした。

これだけの開発力があれば、食肉からの切り替えもずいぶん進んでいくのではないでしょうか。消費者は、環境志向、健康志向よりも先に美味しさに敏感であるはずなので、まずは舌鼓を打たせることが、エシカル消費の前提なのだろうとも思いました。

美味しく食べて、環境問題に貢献しよう  無料でSOY(大豆)パティに変更可能になりました!

2022年3月26日土曜日

自転車の良さを再発見しました

こんにちは。辻井洋行です。

週末は、いつもやらないことをするチャンスです。この土曜日は、自転車でふらふらっと出かけてみました。夕方前の3時頃から、お日様が見えたので、隣町まで行ってみようとこぎ出しました。

思わぬ向かい風でしたが、下り坂に助けられ、第1チェックポイントのお茶屋さんまで。ソフトクリームの看板があったので、特製の抹茶ソフトが楽しめるかと入ってみるとカートリッジの既製品でした。苦笑 

その後、南回りで帰宅途中、個人経営のハンバーガーショップを見つけたのだけど、また今度にと諦めました。また、きつい上り坂を避けようと抜け道を通ると野生の夏みかんやフキ、ミョウガの生える奇跡の空間(おおげさか)に遭遇しました。

自転車は、車と違って速度がゆっくりであり、思えば簡単に止まることができます。また、徒歩よりも遠くまで行ける。車とも徒歩とも違う第3のお出かけ方法の良さを再発見しました。ただし、それは、この春先の気持ちいい時だけかもね。真夏も真冬も、自転車は辛い。




2022年3月24日木曜日

カードホルダーが重宝しています

こんにちは。辻井洋行です。

このカードホルダーには、職場のカードキー、緊急時連絡表、運転免許証、大学生協会員カード、クレジットカード、スーパーのポイントカード、紙幣数枚が収まっています。これを使うようになってから、かさばる財布が不要になりました。また、分けて持ち歩いていたカード類も、ひとつにまとまりました。結果として、忘れ物が減ったのが良かったところです。一方で、このカードホルダーを置き忘れた時には、一日機能不全になってしまいます。

他の利点としては、基本的にカードのサイズであり、財布の革や布地がないので、とてもコンパクトであるということです。ズボンのポケットに入れても、ぷっくり出っ張ることがありません。また、スロット毎にカードが整理されているので、必要なものが直ぐに見つかります。

ただし、薄いフィルムでできているため、持ち歩いているうちに、擦れや破れが生じます。今使っているものは、2年目くらいでしょうか。ただし、400円くらいのものなので、それほどためらわずに取り替えられます。

数枚なら名刺も収納できるので、出張の時にもこれだけあれば十分です。



 

2022年3月23日水曜日

今日は学位授与式でした

こんにちは。辻井洋行です。
今日は、勤務先の大学の学位授与式でした。全員が大きなホールに集まることを避けて、学科毎に教室に分かれ、オンライン・ハイブリッドでの実施となりました。

僕の所属部局は、基盤教育センターなので、所属学部生はいないのですが、大学院国際環境工学研究科には研究室があり、研究アドバイザーを行っています。この3月には3名の修了者があり、秋修了者を含めると5名を送り出すことになりました。なんと幸せなことでしょうか。

修了式では、教員が餞の言葉を贈ることになっています。僕は、「辛すぎることがあったら、逃げてもいいから、ぜひ命を大切にして欲しい」という趣旨のお話をしました。毎年、交通事故を超える数の自殺者がおられる。ストレスを与え合う社会においては、メンタルを病んでしまい社会活動を諦めざるを得なくなる人たちがたくさんいる。成長のためには、適度なストレスは必要だろう。しかし、メンタルを壊してしまうようなストレス源からは、まず逃げて、やり直していいんだということを覚えておいて欲しいと話しました。

学校から送り出す人たちには、できるだけ長く、充実した楽しい時間を過ごして欲しい。その前提は、心身を健康に保つこと、命を大切にすることだと思う。

そういうことを話しながら、誰かに対して話すことは、自分自身にも向けられているのだと改めて感じた日だった。

イカはその大きすぎる眼で何を見てるのだろうか

2022年3月22日火曜日

FMコンバーターよりもAUXケーブルで快適に

こんにちは。辻井洋行です。

カーステレオにスマホをつないで、音楽やPodcastを聞くために、Bluetooth-FMコンバーターを使っていたのですが、たまに飛び込んでくるノイズが嫌でやめてしまいました。僕が使っていたFMコンバーターは、3チャンネル の設定ができるものなのですが、 同じ電波を発信している他の車が近づいてくると、向こうの音源が勝手に飛び込んで来たり、ザザーっと大きなノイズ音がしたりして、聞き心地が宜しくなく、ずっと気になっていました。

僕が乗っているHonda FITは、2007年式で、純正のオーディオには、Bluetoothレシーバーみたいなオシャレな代物が内蔵されていません。また、USB端子さえもありません。そういう都合で、FMコンバーターを使うことにしていました。しかし、そこには電波変換ゆえの不便さがあったわけです。精度の高い機材なら良かったのかもしれないのですけど。

結局、落ち着いたのは、auxケーブルでiPhoneをオーディオに直結する方法です。ただ、auxケーブルをiPhoneへライトニング・ケーブル変換アダプタで直結したところ、長距離ドライブの時に、バッテリーの消耗が気になってしまいました。そこで、auxケーブルとライトニングケーブルを両方させるアダプタを手に入れて、充電を確保しました。これで、長距離ドライブに耐えるiPhoneのカーステ・オーディオ環境が整ったわけです。ただし、僕のカーオーディオ界隈は、ケーブルが交錯してごちゃごちゃしてしまうことになってしまったのですが。

まあ、こういったちょっとした不便も、あれこれ部品を調達して工夫することになるので、楽しみになるものなのですけれども。

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2022年3月21日月曜日

深夜ラジオに育てられた

こんにちは。辻井洋行です。

ラジオになじんだのは、小学生の頃である。和裁士の母が、仕事をしながらずっとラジオを聞いていたのがきっかけだと思う。花によれば、祖母もまた和裁士で、ずっと国会中継を聞いていたから、政治にとっても詳しい人だったらしい。

僕の朝は、母が台所で流していた「おはようパーソナリティ道上洋三です」で始まった。台所と僕の部屋は、アコーディオンカーテンで仕切られて頂けだったので、ラジオが目覚まし代わりになっていたのだと思う。7時45分頃に、「はみがきのうた」が流れて、身支度をしたら登校していた。

僕自身が、ラジオにのめり込んでいったのは、日曜朝のベストテン番組だった。カセットテープで歌だけを録音して、コレクションを作っていた。その頃には、ダブルデッキ・カセットが普及したので、ダビングして遊んでいた。

深夜ラジオに手を出したのは、MBS「ヤングタウン」とOBCの「ブンブン・ベストテン」からだった。ヤンタンは、嘉門達夫・河合奈保子の火曜日が楽しみで、替え歌を投稿しては、採用してもらえるかどうかドキドキしながら、イヤホンを耳に突っ込んでいた。

深夜ラジオからは、人生のわびさびを教えてもらったと思う。視聴者からのお便りから、数々のエピソードがあり、それらを追体験していたのだと思う。ラジオは、今のソーシャルメディアと同じような役割を担っていた。知らない誰かの日常がラジオで紹介され、パーソナリティによって語られ、また、次の週に呼応したメッセージが取り上げられたりする。

僕が住んでいた賀名生の地は、四方を山に囲まれた谷間の土地だったためか、AMや短波放送は入ってきてもFMはNHKしか聞けなかった。山のうえの方に住んでいる同級生は、FMの民放放送を聞けていたようで羨ましかったな。子どもの頃は、夜遅くにテレビを観るのをはダメだったので、布団の中にラジオを持ち込んで、こっそり聞いていた。田舎暮らしの僕にとっては、ラジオが広い世の中への窓口であり、大げさにいえば福音だったのだと思う。狭い空を旅客機が横切るのをいつも見上げていた。遠いどこかへつながっているのが、ラジオだった。

今も、車の中や庭で作業をするときには、ラジオを聞いている。最近では、Podcastを聞くことも多い。音声だけなので、視覚を取られることがないので、緻密な思考が不要な作業とラジオはお互いに邪魔しないのが良い。きっとラジオとは、一生付き合っていくのだろう。たまに、ニヤニヤしながら。

写真はハイフォンでみた久光製薬の販促グラス


2022年3月20日日曜日

野いちごの白い花

こんにちは。辻井洋行です。

近所を散歩して回る習慣は、コロナ禍が本格的になった2020年3月頃のこと。ちょうどその頃から、道の脇に目をやるようになった。4月から5月下旬ごろまでは、野いちごがたくさんなって、毎日のように摘んでくることができるのだけれど、今年もその兆しを感じてきた。

実りのよいところは、藪といっても南向きに開けた日当たりの良いところである。いまは3月下旬、もう野いちごの白い花が、ぼつぼつと咲き始めている。花の咲いている場所は、頭にしっかり入れておいて、頃合いを見計らって、摘み取りに来ないと。

野いちご摘みには、興味の有無の差があり、人がたくさん散歩している場所でも、全然手つかずのことが少なくない。藪のものに手を伸ばす習慣がない人がいたり、摘んでもどうしたらいいか分からない人もいるだろう。

たまたま通り掛かったお子さんたちに、野いちごが実っているのを教えてあげても、親からそういうのは食べちゃいけないと言われているとのことだった。そういうことであれば、フレッシュな甘酸っぱさを楽しんだり、ジャムにする術のあるうちらに野いちごはお任せ下さいというところである。

旬のものには、栄養が豊富で、適度に摂取すれば、身体の調子を助けてくれる。野いちごが自生している場所の近くに住んでいることに感謝しつつ、今年も自然の恵みのご相伴にあずかることのできる幸せを感じたい。



2022年3月19日土曜日

仕事に遊び心を

こんにちは。辻井洋行です。

仕事には、遊び心を潜ませたいものです。それくらいの余裕があった方が、仕上がったものが醸し出すなにがしかが違ってくると思うのです。とりあえず間に合わせで作っていたり、なんとなく求められている水準を満たせばよいという気分で仕事をしていれば、それが生み出したものに表れてしまうに違いありません。

写真は、ビール缶のプルトップで、ひと目で笑顔がこちらに向けられていることに気づきます。工業製品は、隅々まで設計で詰めていくはずのものです。それが、たまたまスマイルに見えるというような作りになっているわけがありません。このプルトップは、設計者が意図を持って造作したものということになるでしょう。

たとえ大きな話題にならなくても、世界の片隅で、ここにスマイルを見つけた人がいることが分かれば、設計者はきっとどこかでニンマリとしているに違いありませんよね。

こういう遊び、ゆとりを自分の仕事の中にでも、大切にしたいと思います。

*ということを書きつつ、勝手な思い込みに過ぎないことも、よくあることですがね。 




2022年3月18日金曜日

ネックスピーカーを手放せない

こんにちは。辻井洋行です。

ネックスピーカーを使い始めて、改めて感じた使い勝手の良さは、イヤホンみたいに耳を塞いでしまわないので、誰かから話しかけれられても気づくことができること、耳を圧迫することがない開放感です。

これを手に入れるまでは、イヤホンを使ったり、パーカーのフードにスマホを入れて、音を流して聞いたりしていました。ただ、イヤホンは疲れ易かったり、パーカーは、屈んだときにスマホをおっことしてしまったり、色々と不便がありました。

ネックスピーカーは、大判のヘッドフォンほどの音質は望めませんが、耳の脇の辺りからやさしく音が聞こえてきます。また、なるべく軽いものを選んだので、ずっと付けていると首回りに引っかけていることを忘れてしまいます。

近づくと隣の人にも音が聞こえるので、バスや電車内での使用はお勧めしないのですが、僕はそのような生活をしていないので、気兼ねはありません。

ここ数年で、買って良かったと思えるものの一つです。

JVC NAGARAKU SP-A10BT-B



2022年3月17日木曜日

名刺管理にはeightが便利

こんにちは。辻井洋行です。

名刺の整理に、eightというアプリを使っています。仕事で名刺交換をしたら、すぐに、スマホに取り込んで、連絡先リストに加えてしまいます。

相手も同じアプリを使っている場合には、そのことが表示され、もしその人に異動があって、それをeightに反映させれば、つながりを引き続き維持することができます。

また、このアプリでは、アプリ間で登録している情報をQRコードなどを使って交換できます。それによって、紙の名刺を交換しなくても、画像イメージと内容をやり取りできます。紙を物理的に保存して、必要な時に探し出すのは、なかなか非効率なことです。また、紙の名刺は連絡先などをコピーしてしまえば、基本的に不要になってしまうものでもあります。

一方で、紙の質感には、名刺を交換した時のエピソードが連想されるなど、捨てがたい面もありますよね。

こういう電子媒体を使ったご挨拶や情報交換が一般的になるには、しばらく月日を要するのでしょう。しばらくは、両方を活用していくことにしようかな。

写真はホトケノザ


2022年3月16日水曜日

マスクはパンツになった

こんにちは。辻井洋行です。

コロナ禍で、生活習慣がずいぶんと変わってしまって、2年ほどになるなあと気づいた。2年前の今頃は、まだ不織布マスクばかりで、なんども洗って使えるもの手頃なものが見当たらず、ハンカチに輪ゴムを通してマスクにして使ってたっけな。

あの頃から、週末に飲みにいこうやとか、みんなで扱ってなんかやろうやといったことをやらなくなった。2年もそういう風に過ごしているとそういうことをしたいなあと思うこともなくなってしまった気がする。ジョギングしてないと走れなくなるように、本を読んでいないと読めなくなるように。習慣づけというのはそういうことなのだろう。

職場でもマスクを付けているのがもはや正装になっている。目の前の人がマスクを外していると、なんだかソワソワしてしまう。マスク無しの顔を見たことの無い人が何人もいて、僕の記憶にいるその人の印象は、マスクと切り離せない。おそらく、どこかでマスクを外して対面した時には、誰だか気づけないのだと思う。マスクなしの顔が分かるのは、むしろオンライン会議などスクリーン越しに話したことのある人ばかりとなっている。

また、マスク無しで対面で話すのは、何だか照れくさい気もする。何か、見てはいけないものを見てしまったような気さえしてしまう。目の前の人がマスクをしていないのは、その人がパンツをはいていないみたいに、なんだか恥ずかしい気分になる。

べつに、海や広場など、対人距離が遠い場所で、マスクを外すのは、なんということもないのだけど、近い距離で誰かと対面するときには、抵抗感がある。まるで、自分がパンツをはいていないみたいに。

きっと、僕の中の常識は、この2年間でずいぶんと変わってしまった。こんな気分を共有できる人が何人かいると嬉しいし、なんだか笑えるな。

2年前の造作


2022年3月15日火曜日

成り行き任せもいいもんだ

こんにちは、辻井洋行です。

仕事を成り行き任せにやっていくのはダメだなあと思うようになって、一時、脈絡や意味合いにこだわって、取捨選択しようとしていました。しかし、やっぱりまた、成り行き任せに、あれこれ手を出すようになって来ています。仕事を依頼してもらえるのは、自分がそれをやることができるだろうという先方の評価があってのことなので、あながちおかしなオファーはやってきません。

また、どうして自分がこれをやるのだろうと思っていたとしても、実際に着手してみたら、あれこれと気づきがあって、脈絡が自ずと見てきたりして、結果的に、視野を広げることになったりします。食わず嫌いを決めていれば、そういう気苦労はないのですが、セレンディピティも訪れないものでしょう。その点では、向こうからやって来た仕事には、何か自分との接点や脈絡があるに違いないと仮定して、とりあえず載ってみるのが良いのだろうと思うようになっています。

人生は短い。頼まれて嫌だなあと思わないことであれば、とりあえず着手してみて、ことの成り行きを眺めてみよう。そんなこの頃です。



2022年2月16日水曜日

「誰もが自分の足で立って生きる世の中を作る」

こんにちは。辻井洋行です。

大学では、研究室の修士論文の発表や科目の成績取りまとめが終わって、充電期間に入っています。新しい科目を本格的に受け持つことになるので、準備がいつもよりも多くなっています。また、学会での発表や論文の再査読の対応も継続の案件です。そこに、複数回のFD研修が2本走っており、頭を切り替えつつ乗り切る覚悟を決めています。

新しいことも、手足を動かしていくうちに形になっていくものです。億劫に思って、手をつけなかったり、足を踏み出すのをためらっていれば、何も得られないまま、時間だけが進んで行ってしまいます。アラフィフになるとある程度の仕事の型ができているので、熱を込めて打開するべき割合は小さくなっている感覚はあります。とはいえ、なんでも簡単に裁けるほどの器用さは持ち合わせていません。

4月になって授業期間になるとひたすら放電するばかりになるので、この1月半は、大切な充電の毎日になります。これまでやって来なかったこと、新しく関心を持ったことに分け入っていく期間は、苦しくもあり楽しいものです。「誰もが自分の足で立って生きる世の中を作る」という僕の使命のために、手足を動かし続けます。