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2013年11月26日火曜日

盛況!学祭模擬店・焼き抹茶そば

盛況!学祭模擬店・焼き抹茶そば (9 photos)  昨11月9・10日は、勤め先の大学の響嵐祭で、模擬店を出店しました。勤務10年目で初参戦でした。私たちは、30-40代の家族連れをメインターゲットとした「焼き抹茶そば」を企画しました。商品内容は、抹茶が練り込まれたそばをパリパリに焼き、それに、金糸卵、甘辛牛肉を載せ、きざみ海苔、ネギ、紅葉おろしを添え、アツアツのめんつゆを掛けました。一杯300円は学祭店舗としては高めの価格設定でしたが、想定した世代の皆さんを中心にご好評頂き、なんとか300杯を販売することができました。  今回は、若松の御茶前田園の前田さんから、若松土産として販売中の「若松天使のカッパラーメン」の新メニュー展開を検討してみようということで、それを受けた出店でした。私たちは、ラーメンの麺を茶そばに見たて、山口川棚温泉の名物である瓦そば風のメニューとしました。麺は、同僚の高木さんが、ホットプレートでカリカリに焼き上げて、香ばしさを出しました。竹下さんの焼いた薄焼き卵の色つやも秀逸でした。また、本石さん、藤田さん、うちの家族も接客と集客に取り組んで下さいました。  私にとって20年ぶりの模擬店でした。おかげさまで、黒字を達成し、同僚5名で忘年会をする程度の利益を上げることができました。この出店は、本年限りで、もうやりません。花火は、ぱっと上がって、楽しませ、それっきりというのが良いものです。  レシピはこちら。http://cookpad.com/recipe/2389617  FBページはこちら。Facebook

2013年11月23日土曜日

若松商店街の成り立ち

 若松港が石炭積出港となったのは、1890年(明治23年)である。1891年(明治24年)に開業した筑豊興業鉄道は直方から若松港を結ぶ石炭貨物線であり、それ以前に遠賀川から洞海湾へ福岡藩が切り通した堀川に変わる輸送手段になった。若松の本町は、貨客の集まるターミナルだった。
 若松渡船は、明治期以前から若松村の名士が運行していた渡し舟をルーツとするものであり、1889年(明治22年)年から若松村による運行となった。地図をみると、国道199号線が、現在のウエル本町商店街とエスト本町商店街を抜けて、若松渡船場へつながっていることが分かる。この2つの商店街は、古くからの物流通路上に拓かれたものであった。エスト本町商店街と垂直に交わる明治町銀天街は、その名前に準じれば明治期になってから新設されたものということになるだろう。若戸渡船が若松と戸畑を結ぶ主要な交通手段であった明治期以前から、現在の商店街界隈に人が集うのは必然であったろう。これら商店街の立地する地域に、本町1−3丁目という名前がついていることからも、これらの商店街が地域の中心であったことが推察できる。
 1962年(昭和37年)に若戸大橋が架かってからは、人々の日常的な移動は、これら商店街を跨ぎ、迂回するルートを取るように大きく変わった。自家用車とバス路線の開設により、若戸渡船の日常的な利用が減ると本町の商店街を通過する往来客の数も必然的に少なくなった。

2013年11月22日金曜日

「人生には意味がある」のか。ま、お茶でも飲みながら

「人生には意味がある」と「人生には意味はなく強度だけがある」という人生論争がある。前者に立つ人は、後者を認識が足りないと笑うが、果たしてそうだろうか。人生の意味は、意識的に見いだしたものではなかろうか。それが意識的であるということは、自らにそう思わせているに過ぎないのではなかかろうか。根拠のない日々を生きる不安から逃れるために、自ら根拠を作り出しているのではないだろうか。この世に生きる種で、生きることの意味を云々言っているのは、ヒトのみである。ヒトのみが、生きることの意味を持つべき特別な存在であるというのは、すこし乱暴ではないか。

 ヒトが、ナマコから進化したのであるとして、その頃から生きる意味を意識したのだろうか。おそらく、意識は脳が記憶を獲得してからのことだろう。そう思えば、人生の意味は脳が生み出したものということにはなるまいか。記憶がなければ、人生の意味を問うことがそもそもない。生物種には、生態系の中に役割がある。それが生きる意味であるということもできるだろう。しかし、ヒトがいなくなったとしても、生態系にとって、それは一時の攪乱に過ぎないのであって、そのうち、改めて最適化を実現するのみである。この世に生きる種としてのヒトの意味は、その程度のものであるとして、それでも人生に意味があるというのには無理がある。

 私たちが、母から生まれたのは、一つの偶然である。いわば、受け身の生を行き始める。それが、そのうち主体的な個人であることを求められるようになる。個人は、英単語でIn-dividual、すなわち、不可分の存在であり、主体的に思考する他に代え難い存在であるという考え方がある。これを西洋近代的自我という。デカルトの「我思う故に我あり」という言葉は、ここでモノを考えている私という存在は疑いようがないということである。その主体的に思考する私が、空洞であっては仕方がない。何か芯があらねばらならい。この立派であるはずの私の中身が空っぽでは話にならない。その中身が、見当たらないのあれば、見つけださなければならない。自分探しは、この自我の概念に伴って必要となった。その芯こそが、生きる意味であり、存在価値であると思うことで、私たちは生の根拠のなさから解放され、不安を払拭することができるのである。



 私たちは、記憶を獲得して、他の生物と比べて有利に生きられるようになった見返りに、生きることの根拠のなさという不安を背負うことになった。そういう不便な存在なのだろう。一方で、「人生には意味はなく強度だけがある」という認識は、生命としてのそもそもの存在性に則した人生観であるとは言えまいか。近代以降の人間観には反するものの見方ではあるが、より生命の根源に近いように思える。この立場の違いは、生きることの根本をどこを始点として組み上げればいいのかを問うものである。従って、文頭の前者は後者を笑うことはできず、むしろ、自らの心の頼りにしている人生の有意味さの根拠を問い直す鏡として後者を扱うべきだろう。

2013年11月19日火曜日

学部科目「企業と技術者」(2年次選択)を新たに担当します。

 次年度からひびきのキャンパスで学部2年生向けに開講する「企業と技術者」という科目を担当します。国際環境工学部の中では、キャリア設計科目の1つとして位置づけられており、いよいよ2年生から自分のキャリアをどのように設計し、作りあげていくのか、大学で何を学び、経験していけばいいのかを考え、具体的に行動できるようになること。そういうことを目標とした科目に育てて行きたいと思います。

 授業には、実際に技術者(エンジニア)として、仕事に取り組んでいる方々に、特別講師としてご登壇頂いて、日々の仕事、これからのビジョン、学生時代のエピソードなどをお話頂いて、履修者諸君が自分の将来を具体的にイメージするための題材を提供して頂こうと思っています。世の中には、多様なエンジニアの活躍の場があるぞ!ということを履修者のみんなに知らせたいです。

 まだ、具体的には、どの方に登壇して頂くかが固まっていません。もし、自薦して頂ける方いらっしゃれば、私までお問い合わせ下さい。ただ授業予算が、それほど潤沢ではないので、福岡県内でご活躍の方々を優先させて頂きます。