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2020年12月30日水曜日

年越しは生き方を一旦ご破算にして問い直す時にしたいものです

こんにちは。辻井洋行です。

年が新しくなることの効用について、考えてみたいと思います。私たちは、日々取り組んでいること共に過ごしています。私とは、取り組んでいる物事の束であるのではないかと思います。特に、社会的な存在としてしての私は、仕事の束であり、それを運用したり、アップデートして行ったりすることを期待し、また期待されながら生きています。いろいろな物事や人たちと接点を持ち、何かに取り組むことで、私たちの毎日は進んで行きます。

そのように生きる中で、私たちの内面には変化が生じます。引き受けた仕事に対して、いつまでも同じような興味を持ち続けることができないこともあります。また、そこに介在する他の人との関わりにも変化が生じて、以前と同じような居心地を感じられなくなることもあります。とはいえ、私たちは期待された役割を担い続けるものと期待されていると自ら思いこんでズルズルと過ごしてしまうことがあります。

私自身、20-30代のことは、そのように他の人に依存的であり、余力で仕事を引き受けてしまっていました。また、それが正しいことであるとも思っていたのでしょう。しかし、40代も後半になってくると、そういう状況が居づらく感じられるようになり、割と積極的に取り組む仕事の整理整頓をするようになってきました。また、そういった仕事の相手方も、それならそういうことでと応じてくれることが分かりました。つまり、居づらさを感じる関係を作っていたのは、自分自身の思い込みに過ぎないということなのです。

年が新しくなる時は、そのような判断や決断に相応しいはずです。私たちは、実際には終わりなき日常を生きているのですが、大晦日と元旦は、いやがおうにもやってきます。その時節がフィクションに過ぎないと言わずに、積極的に活用して、自分のコンパスが指す方向を見定めてみましょう。年越しとは、そうするべき時なのです。一年の計は元旦にありと言いますが、計りごとのためには、それの足を引っ張る雑事を整理整頓し、身軽になることが先決なのです。

年越しは、新しく服を重ね着したり、持ちものを増やすのではなく、いったんご破算にして、何を着て持つべきなのか、どうしたいのかを自分に問い直す時としたいものです。




2020年12月29日火曜日

大掃除は雑事を忘れるくらい一生懸命になってみれば良い発見が得られる

こんにちは。辻井洋行です。
大掃除の効用は、生き方の整理を付けることにあると思ったという話しをしてみようと思います。
この年越しの時期には、大掃除として集中的に、いつも手を付けられない場所の掃除に取り組みます。「今年の汚れ、今年のうちに」という掃除洗剤のCMが染みついていて、やらないと年を越せないような気分に急かされるのがこの頃です。もちろん、年賀状づくりも重なるので、気ぜわしさはピークに達します。

掃除をすることで、家の内外からホコリがなくなり、雑然としていたものがスッキリと整います。その状況に身を置くことによって、心も整然として安らかになります。また、掃除をし終えた後の疲労感が、けだるさと共に眠さを呼び起こし、気持ち良い昼寝に誘ってくれます。これは、長距離の散歩の後やジョギング、スポーツ後の感覚と同じです。

そして、掃除に集中している時には、平行して取り組んでいる他の仕事のことを忘れてしまいます。それによって、気ぜわしさという不快感から自由になることさえできるのです。気ぜわしさは、あれこれを取り組むべきことで頭の中が一杯になった時に、生じてくる感情です。

大掃除を仕上げなければならないという大義名分は、気ぜわしさを多い隠して、忘れさせてくれます。そして、物理的な時間が消耗することによって、取り組むべき事の取捨選択や優先順位付けが自ずとなされます。結果的に、最も大切なことへ労力を傾けることができるようになるのです。

このように考えれば、年の瀬に大掃除に一生懸命になることは、生き方の整理整頓になり、年明けからのスタートダッシュに貢献してくれます。大掃除は、しないよりは、する方が良い。できれば、他の雑事を忘れるくらい取り組むのがよいと思うのです。



2020年12月28日月曜日

伝えたいことを伝えたい相手に伝えるには媒体を選ぶ必要があります

こんにちは。辻井洋行です。

写真や動画が主要な伝達媒体になっている時代に、文字で何かを伝えるのは、相手を選ぶことになります。本が売れない時代になって久しいといいます。本が売れたとしてもそれを買った人は読んでいるとは限りません。本やネットに文章書くときには、その読み手が誰であるのかを具体的に想定する必要があると言うことです。

どれだけ文章を一生懸命書いても、その読み手がいなければ、書いた甲斐がありません。 伝えたい相手に対して適切な媒体があると考えれば、慎重にそれを選ぶ必要があります。

広告宣伝においても、文字媒体が良いこともあれば、写真や映像が有効な時もあるでしょう。それは広告宣伝の目的や対象によって、最適な方法が違うということです。

小中高校の教科書が電子化されることによって、物理現象の説明に映像が使われるようになってきているようです。何十年も前には、学習は基本的に紙媒体であり、写真を見て、それをもとに実験室で確かめるという方法でした。今では、3Dグラフィックスを使った現象の説明が可能になっています。

新しい技術は、これまでにない伝達の方法を開いていてくれます。それを活用しない手はありません。ただ使い方を熟慮していなければ、世の中にゴミを送り出してしまうことにもなりかねませんよね。

このようなブログも、文字媒体で情報を受け取ってくれる皆さんがいるからこそ、成り立っているのです。いつも読んでいただいてありがとうございます。




2020年12月27日日曜日

腕時計の電池交換はいつも時計屋さん任せだったけど意外と簡単にできた

こんにちは。辻井洋行です。

今日は、腕時計の電池交換について書いてみようと思います。いまやスマートウオッチの利用が増え、電池交換できる腕時計を使っている人は数少ないかと思います。3年前までは、ソーラー電池式のカシオ・ウェーブキャプチャーを使っていて、その前には、ALBAの腕時計や懐中時計を使っていました。

ボタン電池式の腕時計の電池交換を時計屋さんでお願いすると手間賃を含め、1000-2000円くらい掛かってしまうので、自分でやってみることにしました。作業方法を紹介するウェブサイトを見て、「こじ開け式」と「かじめ式」があることを確認し、前者であれば自分でやれそうだと考え、自前の工具で裏蓋を開けてみるとボタン電池が覗きました。型番を確認して、近所のホームセンターで1つ380円のボタン電池を買って来て、なんということもなく、交換できました。「かじめ式」の方は、裏蓋を開けるための専用工具が必要なので、しばらく到着を待ってから作業しようと思います。

あれこれ、自分で身の回りのものを修理・メンテナンスできるようになると色々なものが故障してもなんとかなるような気がするし、誰かに発注するよりも低いコストで手当ができます。自分に新しいスキルが身につくということも楽しみの一つになります。

世の中は便利になっており、大抵のことが代金を支払えば解決してもらえるようになっています。そういう中でも、なるべく自分で手当するようになれば、自分の領分が広がる気がして充実感を味わえますよ。ぜひ、どうぞ。




正月のお鏡のために近所の散歩道でウラジロを手折って来ました

こんにちは。辻井洋行です。

今回の正月のお鏡飾りは自宅で作ってみようと考えて、散歩がてらウラジロを撮ってきました。ウラジロというのは、シダ植物の1種であり、歯の裏側が白いのでそう呼ばれます。

今年は、いつもパンを焼いているホームベーカリーで、お餅を作れることがわかったので、毎年買っているプラスチック製のお鏡には頼らずに、いくらかは風情のある正月飾りを作れるように思います。このほかにも、昆布や干し柿、四手(紙垂)、みかん、半紙を揃えて、三宝に飾れば立派なものになりそうです。

余談ですが、さすがにしめ飾りは、市販品に頼ることになりそうです。子供の頃は、藁から縄を編んで、みかん、四手、裏白を重ね、しめ飾りを造形する手伝をしていました。それが僕の年末の家の手伝いであり、その他にも、竹やぶから竹を切り出してきて、すす払いをしたり、家の周りの溝のさらいをして過ごしていました。

そう思えば、大人になってからの正月の迎え方は、ずいぶんと簡素なものになったなと思います。

皆さんよい年の瀬をお過ごしになりますように。




2020年12月25日金曜日

課題解決へ主体的に取り組める人になろう

こんにちは。辻井洋行です。

今回は課題解決型人材になろうという事について話したいと思います。

既に社会人として活動している皆さんにとっては、私たちの仕事は、誰かの困りごとを解決したり、より豊かな生活を実現したりすることによって、評価され対価が支払われていることで成り立っているわかります。ただただ職場に行けば、給料がもらえると言う事はなく、誰かにとって価値あるものを生み出しているからこそ、そこに対価が発生しているわけです。

ただ毎日の仕事をなんとなくやり過ごしてしまっていると、そういった基本を忘れてしまいがちになります。特に、会社に対価を払っている人との直接の接点がない人にとっては、日々それを意識しながら仕事を続けることが難しくなるようです。

私たちの社会は、誰かの貢献によって成り立っています。移動や物流や小売、飲食や芸能、生活を支えるための家電製品や車といったものは、すべて誰かが生み出しているから、対価を払うことでそれを利用することができる訳です。そして対価は、自分が抱えている課題を解決してくれるからこそ支払うことになるわけです。

消費者としての観点作り手に置き換えれば、自分もその主体であることを思い出すことになります。そして、取り組むべき課題が身の回りにいくらでもあることが見えてきます。自分にとって関係がないものと切り捨ててしまう事は簡単ですが、自分の技量や労力を傾けることによって、解決できること、解決に参加したいと思えることであれば、それらに取り組むことで、より主体的に社会へ関わっていくことができます。

対価として得られる金銭はもちろん私たちの生活を支えるものですが、それ以上に私たちの生きることの喜びとなるのが、課題が解決したという実感や受け手の喜びです。そうやって信頼を築いていく人のもとに、対価が転がり込んでくるのは自然な流れのようです。課題解決型人材として社会から得る信頼は、あなた自身は経済的にも心理的にも豊かにしていくものです。

何か自分にできそうなこと、ぜひ取り組んでみたいと思えることをいつも探しながら過ごしていきたいものです。毎日の生活をなんとなくやり過ごすのではなく、引っかかりを感じながら生きていくという事の大切さを改めて感じています。




2020年12月24日木曜日

頭が冴えている朝は自分の大事なことに集中して取り組みたい


こんにちは。辻井洋行です。

仕事場での朝の時間は、集中して取り組むことが必要なことのために確保するようにしています。執筆や教材作りには、特に注意を要するので、朝の仕事にしています。とても急ぎで、簡単な返事で済むようなメールやLINEには即答しますが、本当は、それらは午後の時間に回したい作業です。

打ち合わせやミーティングは、午後の予定が好ましいです。昼食後の打ち合わせは、お互いにリラックスしておおらかな気持ちで取り組めるように思います。ただし、勝負をかけるような打ち合わせの時には、こちらは食べずに臨むか、早い目の昼食を取ってしまうように心がけています。やはり、胃袋に血が回っていると頭が回転しなくなるからです。

そのように考えれば、午後におおらかに気持ちで打ち合わせするための資料作りを午前中に行うというのは理に適っているように思います。そして、午後の遅い時間は、一日の振り返りであり、広げた風呂敷を折りたたむ時間になります。

時間が立て込んでいる時は、思うように時間を使えないことがあります。というより、そのようなことが少なくありません。それでも、なるべく仕事は、平準化して仕事量の波がない状態へ近づけることが理想であり、常にそのようにしようと心がけています。

遠い将来のための大切なことほど、後回しにしてしまうことがありますが、それは長い目で見て、人生の満足度を低めてしまいます。そういうことほど、時間を確保して、少しずつでも積み上げていく必要があります。相田みつをは「毎日少しずつが、なかなかできないんだなあ」と慰めていますが、彼こそ毎日少しずつ積み上げた成果として、作品を世に出しています。

コロナ様がもたらしたのは、自分の人生の一大事を捉え直す機会と思います。自分の大事なことを追求できれば私たちは幸せを感じらえれるし、そうであればこそ、他者を思いやれるようにもあります。それぞれが、他者を道具のように見なさず、主体性を持つ自分と同様の存在として尊重し合うようになりますように。


2020年12月23日水曜日

ソーシャルメディアで実名を使わない人の割合がどうして多いのかについて考えてみた

こんにちは。辻井洋行です。

どうして、ソーシャルメディアを実名で使わない人の割合が多いのかということについて考えてみました。

その辺の統計については2014年版の情報通信白書に調査結果が載っており、Twitterについては日本における利用者の75.1%が匿名であるのに対し、アメリカやイギリス、フランス、韓国、シンガポールでは、大体30から45%の範囲にとどまっているとのことです。またソーシャルメディアに実名を公開することに対する抵抗感について、日本では 41.7%の人たちが抵抗感を示しているに対し、先程の国々では、11から15%台にとどまっています。

匿名性の利点は、名前を隠して自分の言いたいことを広く世界に世間に知らしめることができるとことです。ただそういう仕組みが欲しいと思う心理とは、実名ではそれができない社会環境がその人を取り囲んでいるからこそ生じるのでしょう。

上の統計には出て来ませんが、中国からやってきた人に聞くと、今ではソーシャルメディアの利用や他のアプリケーションの利用履歴についても、常に誰かにチェックされてるような気がしてめんどくさいという感想がありました。他の国もまたそんな悩みが社会の中にあるのかもしれません。

一方で、自分に気に入らない発言に対しては、とことんやり込めてやろうとか、そんな発言が存在すること自身が認められないという人がいることも事実のようです。そういったやりとりをソーシャルメディアでは炎上と呼んでいます。それを避けるためには匿名性を利用するか、実名であればそのような発言をあえてしないという選択を取ることになるのかもしれません。

炎上するような案件も、見ないようにすれば良いよねとするあっけらかんとした見解もあります。絡んでくるような面倒な相手も、 少しの暇つぶしのためにそうしているのに過ぎず、それほど本気では無いかもしれません。

そういった意味では、自分自身の中の鈍感さを発揮していくことが、ソーシャルメディアの時代を生きていくための1つの処世術と言えるかも知れませんね。また、根拠のない誹謗中傷は、然るべき機関へ通報するという選択肢もあります。

私自身を振り返れば、ソーシャルメディアでの発言は全て実名で行っています。あまり誰かを批判するような発言や不満を書くこともありません。それよりは、第3の道、オルタナティブを志向する方がクリエイティブで面白いと思います。



2020年12月22日火曜日

音声入力ではGoogleDocsとMac+ATOKを作成する文面の目的別に使い分けています

こんにちは。辻井洋行です。

わたしは Google docsとMacの音声入力機能を両方使っています。両方使うことでそれぞれの良さや特徴が何かということを確認しようとしています。


 Google の良さは変換精度の高さですね。同音異句が割と正確に表示されるのは良いところと思います。ただし句読点を音声で入力できないのが難点です。スムーズに入力するには初めに文章だけを話し、後から句読点をつけていくことです。Google ドッグスの場合は途中で句読点を入れながら音声で入力して行こうとすると入力機能が一時的にストップしてしまうことがあり、左上に表示されているマイクのマークを押し直すことがあります。


一方でマックの音声入力の場合は、句読点も「、」や「。」と発声すれば、自動的につけてくれます。日本語の変換ソフトについても ATOK とMacにプレインストールされているものを併用することができます。ATOKとGoogle Docsの同音異句の表示は、どちらも互角なような気がしています。


両方使っていることの難点は Google Docs を使っているのに Mac 的な入力方法をやってみたり反対にマックなのに Google Docs のように使おうとしてみたりしてしまうことです。これは使う人間の混乱が原因なのですが、 仕事で使う文面は Microsoft Word をで送受信することが多いので Mac マックの機能を使うことが多いです。仕事で、Google Docs を使おうとすれば、フォント変換やレイアウトの再整理の面倒があります。従って、私の場合は文面を提供する相手方によってどちらを使うかを決めているということになります。


このように両方を使っていると特徴が少しずつ見えてくるのですが、大切なのは思考の流れをせき止めることなく文面づくりが進むことです。このようなソフトウェアは、思考を効率化してくれるかどうかが、価値になると思います。


ちなみにこの原稿は Google Docs の音声入力機能で書いています。




2020年12月20日日曜日

夜中にディスプレイを見ない生活をするためには

こんにちは。辻井洋行です。

今回は、就寝前にスクリーンを見ない生活への切り替えについて考えてみたいと思います。


そんなことを考えながら、このブログを書いているのは、夜の遅い時間です。書くためにはPCを使っているので、ディスプレイを見ることになります。音声認識機能を使っているとはいえ、入力している文章を確かめるために、 ディスプレイを見ないわけにはいきません。


一つの解決策は、 ブログを書く時間を変えるということです。朝早く起きて書くなど、 時間の使い方を変えることを考えることができます。朝の時間であれば、 頭がすっきりしているし、前の日までの出来事や経験が整理されているので、何かを書くにはもってこいの時間です。その通りにするならば、 夜なべしている時間をはやばやと切り上げて、朝型の生活へと変えて行けばいいのです。


ただ、早起きをしすぎると、 昼過ぎには息切れしてきてしまいます。眠り始める時間をかなり前倒しにして、長い目の睡眠時間を確保しなければ、日中の仕事時間に支障が出てしまいます。私の今の職場は、勤務時間帯が決まっているので、それに合わせて仕事時間を組む必要があります。完全にフレックスタイムやジョブ型の職場、フリーランスの作家業であれば、いつ働いていつ休みを取るかは、 本人次第です。


思考の整理学で有名な外山滋比古さんが本の中では確か、朝は2時か3時頃に起きて、ずっと原稿を書き、朝ごはんも食べずお昼までずっと仕事を続けるといったことを書いていたのを読んだ覚えがあります。外山先生は、エッセイストとして知られていますが、お茶の水女子大の英文科の教員でもあったので、そのような時間の使い方ができたのはなぜなんだろうと不思議に思ったことはあります。


その他、夜にディスプレイを見ないためには、ブログのインスピレーションが湧く夜の時間には、 ノートにキーワードのみを書き並べておいて、それを朝から音声入力で文章化していくという方法もあるでしょう。そうすれば、趣向も整理され、 書くことや書かないことの選別も、 比較的クリアな頭で行うことができるかもしれません。


時間をどう使うのか。年を重ねるごとに、いろいろある自分の役回りに、どうやって時間を割り当てるのかを割と真面目に考えるようになりました。明日からは、ブログを含めて、物書きは午前中にまとめるようにしようかな。そんな風に思いながら、 今晩もディスプレイを眺めています。



2020年12月18日金曜日

週末は人としての全体性を回復するための時間なのだと思うのです

 こんにちは。辻井洋行です。

 週末がやってきました。週末は、 生きているということのバランスを回復するための重要な時間です。仕事の時間には、私たちは、身体を使って行えることのほんの一部に特化しています。その特化している仕事は、 私たち自身が強みとしている何かであり、他の人とは異なる価値を生み出すことで、お互いに必要とし補い合うために必要なことです。お互いに必要とするからこそ、対価が生じることになります。


ただしそれは、人としての能力の一部にすぎません。人は身体を使って、様々なことに取り組めます。 それら全てが、私たちが生きるということであり、意味であるのです。仕事をしている間は忙しいので、その全体を発揮することはできません。従って、週末の仕事から一旦離れる時間には、それらに取り組み、 生きるということのバランスを回復する必要があると思うのです。


もちろんそのことを1日24時間のうちに、全て含めるような生活を設計できれば、何にもまして幸せなことでしょう。しかし私たちは、全ての事を効率的に行うことができるほど器用ではないので、ついついアンバランスな生き方をしてしまうことになります。週末は、生きる上での不足を補い、人として生きることを振り返り見直すための時間になります。 


さて、明朝起きたら何をしようかな?








2020年12月17日木曜日

年賀状にはあれこれ書かず一文字でご挨拶を申し伝えます

こんにちは。辻井洋行です。

ところで、あなたは年賀状を書きますか。僕は、今年は70枚ぐらい書こうと仕入れました。以前は、120枚くらい書いていたのですが、相手先から「今年限りで」という連絡が来たり、「電子化しましょう」という便りが来たりする中で、書く枚数はどんどんと減ってきています。


12年くらい前までは、プリントごっこを使って、刷っていたのですが、今はもうそれを止めてしまって、宛先以外は、一枚一枚手書きするようになりました。年に一度の毛筆の日です。ハガキの真ん中に大きな文字で干支の漢字を書き込みます。同じ筆を使って干支の絵を描いていたこともあるのですが、なかなか大変でした。それで、干支の漢字であれば画数も少なく、それなりにバシッと決まるなと思い、前の巳年から、その方法へ変えました。


筆で書いた後、その脇に消しゴムで作った印を押しています。 わりに美しく仕上がるので、印刷したものだと思われることが多いようですが、一枚一枚を手書きしているのです。手元に一枚舞い込んだ方は、ぜひ、まじまじと書面を見直してみて下さい。


いつもこの時期に、年賀状を書き始めるのですが、干支の文字を一つ書き入れる作業を何十枚も続けていると、不思議なことに、その文字の雰囲気が少しずつ変わっていきます。同じ文字を書いているのに、まるで違う風合いの文字が書き上がってきます。そのうちに元の文字がどんなものか、分からなくなってきてしまうことさえあります。ゲシュタルト崩壊というやつでしょうか。一旦休むとまた調子が戻ってきます。


たくさん書いたものを床に並べて見直します。最も仕上がり具合が良いなと思えるものをスキャンして、ソーシャルメディアにアップロードします。色々とコメントを書くこともできるのですが、僕の場合は、賀詞を印刷したものに、直接文字を書き込むだけです。その一文字で、相手に新しい年を迎えられたことの感謝と引き続きのご愛顧を申し伝えているつもりです。


さて、今年はどんな一枚ができあがるのでしょうか。書く前から楽しみです。令和二年は、子の文字を少しアレンジしたものだったみたいです。




2020年12月16日水曜日

たまのブッフェで学んだこと

こんにちは。辻井洋行です。

コロナ禍における僕の幸いは、 外食の機会が減ったことです。 以前は定期的に飲み会や会食があり、そのたびに食べ過ぎや飲み過ぎをやらかしていました。人と会えないのは少し寂しいのですが、行き過ぎた飲食の機会が減ったことによって、体重は減るし、胃腸の具合も良好であるし、全体的に健康が維持されています。


そんな中、先日ブッフェ・レストランに行くことになりました。久しぶりの外食に自分自身色めきだったのでしょう、プレートにたくさんの食べ物を盛って盛って、デザートまでたくさん食べてしまいました。そんなにたくさん 食べることがこのところ減っていたので、お腹がびっくりして、しばらく眠れませんでした。


苦しいほど食べてしまうとおいしさを感じられなくなります。(経済学でいう収穫逓減の法則を体現してしまった。)また、食べ物に対しても申し訳ない気が後から湧いてきてしまいます。私たちは、 適量を摂取することによって、精神的に満足し、生理的にも健康を維持し、食品を浪費するというもったいなさを感じる必要がなくなります。


外食は減ることによって、懐具合にも多少の余裕が出ます。外食の機会が増えれば、家で食べるよりも何倍ものコストがかかります。ビール一杯は、自宅で飲めば200円程度ですが、同じ量をバーで頼めば、2.5倍ほどのコストがかかります。 ワインやウィスキーにも同じことが言えます。


一方で、ブッフェレストランの良さは何かと言うと、家庭で揃えれば随分コストのかかる品数を、少しずつ沢山の種類食べることができるということです。 その点については、ブッフェに分があります。それでも、それは時たまのことであれば良く、 その方がありがたみを何倍にも感じられます。ただその機会が僕の場合はあまりにも少なかったので、ついつい食べ過ぎてしまうことになってしまったわけです。


今回のブッフェでは、いろんな調理の仕方を見ることができました。鶏肉一つとっても6種類くらいの料理が並んでいました。 それを見れば、今度の休みの日には、いつでも二つでも自宅でそれらを再現してやろうという気になります。そのように、自身の調理のレパートリーを増やすための情報収集のチャンスと思えば外食もいいものです。 


このように、不足からも過剰からも学びがあり、そういった経験が、また、僕の物事の考え方や日々の生活の仕方を作っていくのです。禍は生活に負の影響を与えますが、その中にも正の価値を見つけだすこともできます。いつも変化から何かを汲み取って行きたいものです。




2020年12月15日火曜日

バットを振らねばボールは打てない。ブログも書かねば読まれまい。

こんにちは。辻井洋行です。

今回も、これといったトピックが見つからないので、とにかく何か書いてみようと思います。 書くことがないなないなと思ってるうちに、どんどんと時間がたっていきます。 書くことがないなというよりは、何か読む人にとって意味のあることを書こうと思ったり、目に止めてもらおうと思うことを書こうとするので、どんどんと 敷居の高さが上がっていくのです。そんなこと関係なく、書きたいことを書いて行けばいいのだけど、その踏ん切りがなかなかつかない。そうしているうちに時間がたっていきます。


しかし振り返ってみれば、何の気もなく書いてみたブログが、 たくさんの人に読まれたり、力作と思ったものが、全く気にもとめられなかったりするものです。すなわち、 力を入れて見れなくても、目に止まるかどうかは、風向き次第ということです。


人気ブロガーの人は存在しています。人気ブロガーの人は、コンスタントに読み手に訴える文章を書き連ねていくことができてるように見えます。しかし彼らも、自分の書いたブログに対するアクセス数を見れば、波があることに気づいているはずです。 これは音楽の世界でも同じで、一人のアーティストが、リリース曲を全て大ヒットさせることが難しいのと同じです。


ま、 そんな有名アーティストのパフォーマンスと比較することはおこがましいことなのですが、市場性のあるものをリリースするということは、 意図的に行うにせよ、 その結果までを全てコントロールすることはできないということです。 当たり前のことではありますが、そう思い直せば、書いたものについて一喜一憂したり、書けないから書くのは諦めてしまうと思うより、 何かを書いてリリースしてみるという主体的な行動の方が、きっと意味があるはずです。バットは振らなければボールには当たりません。そういうことですよね。




2020年12月13日日曜日

カードホルダーさえあれば重たい財布をもたなくても困ることはありません

こんにちは。辻井洋行です。

財布を持たなくなって、数年が経ちました。 僕の財布代わりになってるのは、樹脂のカードホルダーです。このホルダーには、職場の入構カードや紙幣数枚、クレジットカード2枚、免許証と車の任意保険のカード、よく行く DIY ショップのポイントカード、名刺3枚ほど、カード型のカレンダーが入っています。毎日の生活では、これだけのものが手元にあれば、事足りています。


お店での支払いは、ほとんどクレジットカードや電子マネーで済ませます。最近はiDを使うことが多く、 Apple Watch で支払いをする機会が多くなっています。従って、 クレジットカードを持ち歩く必要はないのかもしれません。昨日、ガソリンスタンドへ行きましたが、 iDでの支払いが可能だったので、 AppleWatch を端末にかざして清算しました。以前は、長財布を持てばお金が貯まると聞いた話がありましたが、お金が貯まったという実感が全くありませんでしたので、はやばやと止めてしまいました。


クレジットカードや電子マネーで精算することのメリットは、支払い履歴が一覧表出てるので、自分がいくら使ったのか、今月はあといくら使えるのかを見積もることができるということです。一応、小遣い帳をスマホアプリでつけていますが、それは、クレジットカードでの支払いの裏を取っておくことと、時たま現金で支払う必要があるからです。完全に支払いが電子マネーになれば、小遣い帳をつける必要もないのかもしれません。


話をカードホルダーに戻しましょう。このカードホルダーを使い始める前は、財布に入っていたカード類を名刺入れて持ち歩き始めました。それで、手元のものはずいぶん小さくなったのですが、分かったのは、中に入っているカード類が擦れて傷になってしまうことです。このカードケースは、一枚一枚分けて納めることができるので、 傷がつきにくいです。また、パッと開けることができるので、カードがどこにあるか、探すことがありません。それ以前に、このカードフォルダーに入れるもののものを厳選しているので、 探すという作業をすることがありません。


ごくまれに使うようなカードは、例えばコストコのメンバーズカードのようなものは、 別に保管しておいて、店舗に行く時だけ持ち出せば良いと考えています。このように、いつも持ち歩くものを簡単化することによって、時間を短縮することができます。でかい財布を持って、カードの海に溺れそうな方は、是非、毎日持ち歩くべきものを厳選し、管理することで、持ち出し忘れや、必要なカードの捜索に翻弄される毎日から自分を解放してみて下さし。 




ノートカバーで大学ノートの手軽さがより引き立てられる

 こんにちは。辻井洋行です。

今回は、僕の愛用のノートカバーについて書いてみます。


僕は、何でもかんでも書き込むノートとして、B5判の大学ノートを使っているのですが、それを差し込んでいるのがこのノートカバーです。これはコクヨ製のSYSTEMICというシリーズで、大学ノートを2冊収納することができます。サイズは A 6 ・A 5・ B 5サイズが揃っています。 理由は、他に比べて手に入りやすく、値段も安いからです。真ん中にはしおりになるしっかりした紐が2本入っていているので、簡単に書きかけのノートを探すことができます。


ノートカバーを使うことの利点は、鞄の中で、他の荷物に紛れてノートの角が折れたり、ページがしわになってしまったりすることを防げることです。ノートカバーそのものが、荷物の重さを増やしてしまう点は不利なところですが、ノートの保護の利点はそれを補って余りあると思います。


ノートを差し込む部分には、硬い樹脂の板が上下に分かれてはめ込まれています。また同じ場所に、打ち合わせなどでもらったプリントを二つ折りにして挟み込むことも可能です。見開き向かって右側の差し込み側には、名刺サイズのスリットがあり、名刺を収納することができます。


表面はテキスタイルになっており、手の平にしっくりとなじみます。白とネイビーの布地の間はポケットになっており、写真のようにペンを指すことができます。また、少し重くなりますが、 iPad Air であれば差し込んで持ち歩くことも可能です。その外側ポケットが両面にあります。ただし、あまりたくさんのものをポケットに挿し込みすぎると、開いてメモを取る時に、ノートが不安定で落ち着かなくなってしまうので、あまりお勧めしません。


20代の頃には店大きなオーガナイザーを持ち歩いていたこともありました。しかし、ほとんど使わない紙の束を持ち歩くよりは、最小限のノートだけの方が楽チンでいいですよね。大学ノートの手軽さは、ノートカバーによってさらに引き立てられると思います。




2020年12月9日水曜日

足温器ひとつで足先から腰までポッカぽかと快適にして冬の書斎仕事を乗り切りましょう

 こんにちは。辻井洋行です。

今回は、私が寒い冬の書斎で暖を取り、快適に過ごすために使っているグッズを紹介したいと思います。 


エアコンを使ったり、石油ファンヒーターを点したり、椅子の座面にアンカーを乗せている方がおられると思います。私は、 足温器を使っています。足温器と言っても足先だけを暖めるのではなく、 ズボンのように足先から腰まですっぽりと包んでくれる足温器です。https://panasonic.jp/danbo/p-db/DF-38.html


上のリンクは、 私が愛用している足温器の Web カタログです。すでに生産が終了しているそうなので、新調することはできません。とても具合が良いのに、 どうしてやめてしまったのでしょうか。きっと、もっと効果的な暖房が世の中に登場しているのかもしれませんね。


私が今使っているこの足温器は、3世代目になります。大学受験を控えた高校3年生の頃だったと思います。その頃のブランドはまだナショナルでした。水色のキルティングで包まれた足温器に助けられて長い冬を乗り越えました。その後の学生時代にも、 続けて使っていましたが、使い方が悪く発熱板が割れてしまったので、量販店で新調したのを覚えています。その後、社会人になった頃には発熱しなくなり、ネットで調べて、いま使っているグリーン色の3世代目を手に入れました。この先は、 キルティング部分にポケットがあって、手先を温めることもできるんですよ。また、 汚れてきたら発熱板を抜き出して、キルティングのズボンの部分だけを選択丸洗いすることもできます。


エアコンの暖房機能は、風向きを下げて足下へ暖気を送ることができますが、全体的にはどうしても頭より上の方があったまってしまう傾向があります。石油ファンヒーターも同様に、誰か余分の空気が暖まって行きます。 その点、 足温器は足の裏から止めてくれるので、温かさが血流に乗って腰のあたりまで上がってきて徐々にポカポカとしてきます。 一方で頭は冷たい空気ですっきりとしているので、ぼーっとしてしまうことがありません。背中の冷えについては、服を着込んで、 さらに  mちゃんちゃんこ羽織ることにより、保温効果を高めることができます。


僕は、 このような格好で、18歳の頃からおよそ30年間、冬場の夜の仕事場の寒さを凌いできました。 スタイリッシュさの欠片もありませんが、実に効果的で、おすすめの方法です。足元が寒いなあと思っている方は、ぜひ足温器を試してみてください。






2020年12月4日金曜日

メダカの食事習慣は直ぐには変わらない

こんにちは。辻井洋行です。

今回は飼育しているメダカについて書こうと思います。


2年ほど前からメダカを飼っているのですが、もう3世代目になりました。この春には、

その世代が15匹ほどいたので、 半分ずつに分け、 室内の水槽と庭の鉢に分けました。

すると夏を過ぎる頃には、庭のグループが栄養状態が良いせいか、どんどんと大きくたくましく

育っていきました。一方で、室内の水槽のグループは、小さいものでした。

庭の子達は、手をかざすだけでもエサが来ると思って寄ってくるくらい食欲が旺盛になりどんどんと体長も大きくなります。しかし室内の子達は、対して食欲を示しません。そこで、10月初旬に室内と庭のグループを入れ替えてみることにしました。

入れ替えた後でも、やはり元々食欲の旺盛なグループは室内でもたくさん食べ、食の細かったグループは庭に移っても変わりませんでした。さらに、11月になるとますます水温が下がってきたためか、庭の鉢の子達は深いところでじっとして、 餌を撒いても浮上して来ようとしませんでした。

結局、庭に移動したグループも別の水槽に移し、 室内へ連れて来ることになりました。室内に移動して3日ほど経ちました。外に比べると水温は何度か高く維持されているはずです。 しかし水面に餌を撒いても、勢いよく浮上してくる感じはなく、水槽の低いところでじっとしています。

これは何ヶ月もの間に、メダカ達が見つけてしまった習慣が残っているのかもしれません。夏に外で過ごし、 旺盛な食習慣を身につけたグループと、室内で食の細いまま育ったグループでは、環境を揃えてもすぐに同じように行動するようになるとは限らないということでしょうか。

今日もメダカの生態観察は続きます。




2020年12月1日火曜日

歯磨きペーストを節約して歯科代も節約する

こんにちは。辻井洋行です。

今回は、歯磨きペーストの使い方について、考えてみようと思います。くだらないことです。(いつもやないかい!)


あなたは歯磨きペーストを毎回どのくらい使いますか。なかなか他の人が使う例を見ることはありませんよね。僕はもともと、歯ブラシの毛先がいっぱいになるくらい、ペーストを使っていました。それを少しずつ減らして、今ではほんの少しだけ、つけるようになっています。分量のイメージとしては、 あまり良い例えがないのですが、 小指の爪の1/3くらいの量でしょうか。


なぜそのように少なくするようになったのかというと、歯磨きペーストの役割は、清涼感を与えることが主であって、たくさんつけても洗浄力に大した差がないということを理解したからです。歯についた汚れを取るには、ブラッシングの方がよっぽど重要であるということです。実際に減らしてみると、前に変えたくらいの量で、十分な清涼感は得られますし、口の中が泡だらけになってもこもこすることも避けられます。 しっかりとブラッシングした後には、歯の表面がつるつるになっているので、ペーストの量はほんの少しでいいんだと思うようになりました。 


また、 以前は色々な高機能性の歯磨きペーストを試していましたが、今では、スーパーやドラッグストアで、お値頃なものから選ぶようになりました。歯磨きペーストの優先順位が下がった一方で、歯ブラシは、ヘッドのコンパクトなものを選び、ポイントブラシを導入して、歯と歯の間の隙間に勝てるようになりました。さらにはフロスを使って、歯間の汚れをしっかりと取り出し、リステリンオリジナルで仕上げます。


歯磨きペーストの使い方から少し話題が逸れてしまいました。私は、以前、口に歯磨きペーストを含んでいれば、大してブラッシングしなくても綺麗になるものだという勘違いをしていました。大学生の頃には、歯磨きを本当に軽んじていたと思います。 ここ4年は、半年に一度は歯医者さんへ歯科検診に向かい、クリーニングをしてもらった上で、フラッシングの足りない場所について、歯科衛生士さんに指導してもらっています。 予防歯科の大切さを認識するようになりました。


歯磨きペーストの清涼感に満足せず、ブラッシングをしっかりとやること。 歯磨きペーストを節約して、歯科代も節約するというお話でした。




何を書きたいか分からない時には、兎に角、何かを書き初めてみると書けるようになります。

 こんにちは。辻井洋行です。

ブログに何を書こうかと迷った時は、とりあえず書き出してみることです。何が言いたいか分からない時には、このようにあてもなく駆け出してみることによって、書きたいことが明らかになってきます


これはとても不思議なことです。 書くという作業は、自分の頭の中にある物事を切り取って、文字に起こしてみるという作業です。文字にすることによって、何かが目の前に形となって現れてきます。文字にするということは、頭の中な物事を切り取ってしまうことなので、全体像そっくりそのまま映したということにはならないのですが、ひとつひとつ短文を重ねていくうちに、なんとなく形になっていくような気がします。


このように、ぶつぶつ書いているだけで、このように何行か分の文章が目の前に現れてくるのです。それは見ていると、 僕は何か「書く」ということについて考えて見たかったのだということが明らかになってきます。もし初めの表題だけを書いて、書き進めることを諦めていれば、このような文章が生じることはありませんでした。もちろんこの文章が、誰かにとっていう意味であるかどうかはわかりませんが、書いた当人、とっては、少なくとも、一つの思考過程を残すことができたということになります。


私たちは、日頃から何かを考えているようであって、僕の名前は何かを「感じている」に過ぎません。思考するというのは、このように言葉に関連して見るという行動を意味します。「わかってるんだけどうまく言えない」というのは、何か感じているということではあるけども、自分自身の考えとして整理できていないということになります。整理されていない思考は、相手に伝えることができません。私たちは、思考を相手に伝えることによって、協力をしたい、その内容を高めあったりして、より充実した生活を築き挙げてきます。


ジョンレノンは、 Love is feeling, feeling is loveと歌いました。この歌手は、feelingの尊さを謳っていますが、そのように言葉にして歌っているということに、私たちは目を向ける必要があります。彼は、言葉にすることによって、この思想を世界に広げたのです。ただジョンレノンが、feelingだけしていても、私たちが特に感動は伝わってこなかったわけです。彼の人生から遠く離れた私たちがその思想を掴むには、やはり言葉が必要だったわけです。


今回は、何をブログに書こうかと思いつつ、兎に角なんか書いてみようと音声入力をしているうちにこの文章が出来上がりました。 思考をまとめないままに書いてみるという体験を読者のあなたもどうぞ試してみてください。