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2020年10月30日金曜日

トラックボール・マウスの使い心地の良さにもう後戻りできない件

 MacBookに慣れ切ってしまい、私は、デスクトップでもトラックパッドを使っていたのですが、ここ数ヶ月で手になじんできたのは、トラックボール型のマウスです。

トラックボールといえば、1990年代にアップルのPowerBookを使っていた人なら懐かしく思い出すはずですね。あの、キーボードの手前にあるボールをコロコロと転がして、ポインタを動かすやつです。トラックボールの難点は、ホコリがたまりやすくて、掃除をしないと誤作動しがちだったことで、それがトラックパッドに置き換わって行ったのです。

しかし、それがまた、マウスに付いて戻って来ました。僕は、マウスをスライドさせる動作が鈍くさく感じてしまうのですが、トラックボール付きのマウスには、その動作がなく親指一つで操作できます。

はじめのうちは、ボールの回転とポインタの軌跡の設定のちょうど良い具合を探し当てるのに難儀しました。使い慣れないうちは、微妙な距離の移動をなかなか効率的に操作できなかったのです。それが、徐々に上手くできるようになり、仕事でストレス無く、サクサクと使えるようになりました。

あまり、食わず嫌いせずに、新しい道具はとりあえず手に入れて使ってみれば、思わぬ良い出会いに恵まれることがあります。



2020年10月29日木曜日

カメとの遭遇

 田んぼ横の水路で、2週間ぶりくらいにカメを見ました。夕方の散歩は、僕の習慣となっていて、決まって長い長い田んぼの中を通る水路沿いを歩いています。まだまだ暑かった頃には、水藻の上で甲羅干しするカメを何匹も見かけることができたのですが、ここ2週間はからっきし見かけることがありませんした。

もしかしたら、飼い主がいて、冬眠させるためにどこかへ引き上げてしまったのかなと思うくらい、彼らの姿を見ることができなかったのです。

それが、ダメもとで水路を覗きながら早足で歩いている時に、水面に顔を覗かせている中くらいのサイズのミシシッピアカミミガメと久しぶりの対面を果たしました。ああ、元気にしとったかい?という暇もなく、その子も水藻のしたへ隠れて行ってしまいました。

ここ数日で、少し気温が上がった今日だったので、変温動物の彼らにとっては、体の動きが少し緩んだのかもしれませんね。明日も会えるかどうか分からないのですが、水路をまた覗いてみようと思います。




2020年10月28日水曜日

本は折り目を付けて読み込むほどに活字が載った紙の束を超えるものになる

 本を読む時に、気になる箇所にであったら、そのページの上の角を内側に折り込んで記しを付けています。これは、紙の本でないとできません。電子ブックリーダーの時には、指でその行をなぞっておくのですが、紙の本でそれをやっていると、読むスピードが乗ってこないのです。

割と丹念に読み込む本でも、折り込みをしています。その上で、付箋を付けたり、マーカーを塗ったりすることもあります。しかし、新書や文庫本の類いは、そんなに労力を掛ける必要はありません。それよりも、著者が書いていることをおおつかみにするために、簡単に折り目で記しを付けるだけで読み進めていけばよいと思います。

そういう読み方をすると古本屋に高く売れないと心配になる人にはおススメしません。ただ、1000円前後の新書であれば、売却しても高くて数百円だし、時間が経てば二束三文です。売却時の心配をするよりも、内容を把握することを大切にしましょう。二度目に読む時の自分自身へのガイドにもなります。

私は、本を踏んづけたり、曲がったままで放置されたりしていると居たたまれなく感じます。本を邪険に扱うタイプではありません。むしろ、本に対しては、単純な物体以上の扱いをしています。ページに折り目を付けることは、本やその著者と自分との対話の履歴を記すことであっても、虐待ではな決してありません。

本に物理的な影響を与えることによって、買ってきた時にモノを超えた何かを備える存在へと育てていく。本は折り目を付けて読み込むほどに活字が載った紙の束を超えるものになっていくのです。本との付き合いとは、僕にとってそんな感じのことなのでしょう。





2020年10月27日火曜日

こざっぱりしたテキストチャットのやり取りは大人のたしなみか

 電子メールでのやり取りは、特に、ビジネスベースでは書式や作法が決まっていて、内容よりも形式を整えるために時間が掛かってしまう。伝達する内容を端的にやり取りできるテキストチャットが簡潔で使い易い。ただし、それはある程度、定期的なやり取りの関係ができていないとこの社会では使えない。

大学で勤めていると学生たちとのやり取りには、「教育的配慮」として、メールの書式や作法を事細かに指導してしまうのだけど、僕自身は、本当は内容のやり取りさえできればよい。メールの作法などは、ネットと調べて自分で普通に作法に則って書けるようになって欲しい。そんなことを今更メールでやり取りする相手に教えてもらわないといけないほど、ネット上のアーカイブが貧相な時代ではないだろう。

少しフォースが乱れたらしい。話を戻そう。

テキストチャットのやり取りは、表題を書く必要がない。むしろ、表題でレビューしなければならないような長文を送りつけるのは、NGなのである。サクッと、ワンショットで読める範囲の文字量で端的に伝え合うのが、チャットの利便性である。また、相手の時間を侵さない非同時性もまた良さである。(待てよ、これも作法なのか?)

ビジネス上のチャットのやり取りは、何か伝言し合うことで、協働が前に進む。相手の仕事が前進することが前提となる。端的な表現で、時間を掛けず、余分な労力を使わずに要件のみを伝える。そこには、意味だけがあり、権威や世間体などは介在しない。スッキリとした目的合理性の世界である。もちろん、いくらか、潤滑油としての気遣いがあってもよいのだけど。

大人と大人の間の、こざっぱりしたやり取り。テキストチャットの粋はそこに。



2020年10月26日月曜日

筆記用具は余計なことが気にならないものが何より

 筆記用具には、これは物理的な筆記用具のことなのだけど、ゼブラのJetstreamの4+1を使っています。それは、4色のボールペンとシャープペンシルです。

ただ、オリジナルだとボールペンの太さが0.5mmなのが細すぎるので、芯を1.0mmに差し替えています。赤、青、黒については、1.0mmが見つかるのだけど、緑だけそのサイズがなかなか見つからないのので0.7mmで妥協しています。僕は、基本として青を使うので、それだけは箱買いして在庫を持っています。

シャープペンシルについては、0.9mmにしたいところですが、これも差し替えものが見つからないため0.5mmのままにし、芯の濃さを2Bにして書き味の軽さを補っています。

筆記用具は、頭の中に浮かんだものを書き写す道具なので、ストレス無く自在に使えるものであるとよいです。書き味と重量感は特に大切で、書くことが苦痛でないことがとても大切です。

とはいえ、筆記用具はキーボードや音声入力へ置き換わりつつあります。音声入力は、変換の正確性が大切で、特に文脈から判断してくれることが使い勝手の良さになります。特に、日本語には同音異口が多いので、音+意味を判断する変換機能のアップデートには期待する他ありません。

とはいえ、電源がなくても書き続けられるボールペンとシャーペンは、まだまだ外せない仕事のアイテムであることに違いありません。心地よいとまではいかなくても、余計なことが気にならず、思考を邪魔しない筆記用具をずっと探していたい。



2020年10月25日日曜日

家庭菜園に調理残さの野菜など混ぜ込むとゴミが減るし肥料になるし

家庭菜園といっても猫の額ほどの広さなのだけど、調理の時に出る野菜の切れ端や卵の殻を肥料として混ぜ込むようにしています。調理残さを肥料にすれば、家庭ゴミの量を減らすことができます。その他にも、カブトムシの幼虫のフンも有効活用しています。

調理残さを混ぜ込む時に大切なのは、なるべく小さく刻むことです。にんじんのヘタや大根の皮などボリューム感のあるものをゴロッとそのまま混ぜ込んでおいても、土の中のバクテリアによる分解がなかなか進みません。数日後に、混ぜ込むために土を掘り返した時に、まるままの野菜が顔を出すことがあります。

コンポストを導入する手もあるのですが、住宅地の家庭菜園では、近所に臭気が漂ってしまうのがおっかなくてやれません。少量の野菜くずを土に埋めていく位であれば、その点が気楽なものです。

昨日近所の山に入って、道を外れてみたら、土がふわふわで気持ち良かったです。木の葉が積もって、土にかえっているのです。香りはホームセンターでたまに買ってくる腐葉土と同じです。山には、天然の腐葉土があるわけです。自然界には、「ゴミ」はなく、大抵のものは回り回っています。


今日、混ぜ込んだニンジンのヘタも、そのうち、チシャ・レタスになって、焼肉と一緒に僕の口に入り、身に成ってくれるのでしょう。家庭菜園でも、やっていると気づけるのは、自分も循環の一部であるということです。(なんてね。)

2020年10月24日土曜日

電子ブックリーダーならではの価値は読み上げ機能にある。

 電子ブックリーダーとして重宝しているのは、 Kindle の読み上げ機能です。 これを使えば、散歩中でも、食器洗いしているときでも、運転中でも、本の内容を目で読まずに内容を理解することができます。

日本語の読み上げ機能としては、細かな部分で漢字の読み違いがあります。例えば、「その方が」の「方」を「かた」と呼んでしまったりすることがあります。ただしその程度の読み違いであれば、それを聞いている私たちに、ある程度の語学力があれば、補って理解することが可能です。


その程度の問題はありますが、基本的には読まなくても本の内容を知らせてくれるので、隙間時間や単純作業しているあいだに、知識を仕入れていくことができます。これは紙の本ではできないことであり、電子ブックリーダーが登場して初めて可能になったことです。


今後は、日本語の読み上げ機能の精度もどんどんと向上していくはずなので、手放すことができないものだと思います。




2020年10月23日金曜日

歯磨きを念入りにすれば夜に間食しなくて済む

夜なべをしているとついつい間食してしまうものです。それを防ぐには、部屋に気軽に食べられるものを置かないことです。しかし、それでは不便もあるでしょう。僕の次善の策は、夕食後には、早いうちに念入りに歯を磨いてしまうことで、夜についつい食べ物に手を伸ばす癖を抑えています。

僕の歯磨きは、通常のブラッシングだけでなく、ポイントブラシによる隙間や歯と歯茎の間の歯垢取り、さらにフロスを使った歯間の書き出し、仕上げはリステリンオリジナルでのリンスです。しっかり磨くと10から15分くらい掛かります。これだけ念入りにやれば、間食をした場合の磨き直しが面倒くさくなるので、もう食べまいと思えるようになります。

子供の頃は、食事の直後に歯を磨くと表面を傷つけるので、しばらく時間をおくことと教えられましたが、最近ではその定説は上書きされているようです。夕食が済んだら、さっさと歯を念入りに磨いて、食べることが面倒くさくなる状況を作ること。それで、良い感じに減量できれば、他にない報酬になります。



2020年10月18日日曜日

本を歩きながら読めばどんどん歩数計が増えていく

 こんにちは。辻井洋行です。

新しい生活様式になってから、散歩することが私の趣味の一つに加わりました。毎日、アップルウォッチの歩数計を気にしながら過ごしています。

当初は、1万歩を超えれば満足していたのですが、ここ数週間は1万2000歩を超えることが目標になっています。

ただ、歩数を散歩の時だけで賄おうとすれば、仕事が押して散歩の時間が取れない時に、困ってしまいます。それで、散歩の時間以外にも歩数を増やす方法がないかと考えました。

私の場合は、仕事上、本や文献を読むことが多いので、その時に歩きながら読むようにしています。狭い部屋の中をウロウロとしながら何かを読んでいるのですから、きっと傍目があれば奇妙なはずです。幸い、仕事場では個室を与えて頂いているので、誰からも見られずに、昔の動物園の檻の中にいる動物のように、人目を憚らずウロウロと歩き回ることができます。

なかなか仕事の都合で、そういう訳にはいかないという人も、移動の時にはとにかく歩くということを意識して過ごすといいでしょう。階段があれば、思案するまでもなく、歩くのみです。近くの社屋への移動も、電車で一駅くらいであれば、歩いていけばよいのかもしれませんね。

本を読むときに、寝そべったり、椅子に座ったままであれば、それは歩数を稼ぐチャンスを失っていることになります。

歩き回ることを習慣にすれば、運動不足を解消するために、わざわざ出かける必要はないでしょう。一石二鳥ならぬ、一石N鳥となるはずです。



2020年10月15日木曜日

つまみ読みのススメ

こんにちは。

あなたは、どういうふうに本を読んでいますか。私は、いくつかの本を平行して読むことが多いです。仕事の合間の息抜きに、伏せておいた本を開いて少し読み、また仕事に戻って、くたびれたら別の本を読んだりします。時に、のめり込んで、読み通してしまうこともあります。

こういうのをつまみ読みというのですが、いろいろな本との出会いの機会を増やすには良い方法です。一つの本を一行一行丁寧に読むということもありますが、つまみながら、関心のあるところだけを読んでいく。確認のために、関連のページも読んでみる。また、ジャンルの違う本を平行して開いておくのです。

私たちの頭には、いろいろな知識が、それを手に入れた時の状況と共に蓄えられています。本なら読んだ場所の空気の匂いや温湿度、本の色合いや手に伝わる質感、飲んでいたコーヒーの香りなどといっしょに。

忘れていた記憶は、過去に経験した類似のエピソードによって引き出され、脈絡に沿って整理されていきます。

つまみ読みによって、取り入れられた知識もまた、平行して読み込まれた他の知識と関連づけて頭の中に収納され、引き出される時を待つことになるのでしょう。

こういう読み方は、ついつい積ん読してしまう人にとっては、まずページを開き、本の著者との出会いを早めることにもなります。はじめは、とりあえずちょこっと読み始めてみる。気に入ったらどっぷり浸かっていく。こういうのをリアルアプションと呼んだりします。

あれこれ同時に手に入れたい、欲張りな人もどうぞ。

2020年10月14日水曜日

BloggerではDocsのような音声入力ができない(Mac環境だから?)

 Google Docsを最近使いはじめた人は、音声入力の便利さと精確さに感動を覚えているのではないかと思います。僕は、そのノリでBloggerでも音声入力をやってみようと考えたのですが、同じように入力することができないことが分かりました。

DocsとBloggerは、同じGoogleのサービスなのだから、当然おなじように操作できるものとの思ったのですが、まだ統合されていないのですね。

私は、Macを使っているので、Bloggerの文面を音声入力しようとしても、音声を拾ってくれないのです。譲歩するとすれば、Docsでブログの文面を音声入力し、それをBloggerの編集画面へコピペするということになります。できれば、そういうどんくさい編集方法を取りたくないのですが、現状、入力環境がそうなっているので諦めるしかないようです。

同じGoogleのサービスなので、担当部署が違うとしても、この辺りの編集技術は共有化して欲しいものです。

写真はプノンペンにあるCJCC内のNatureCafeのオムライスです。


2020年10月13日火曜日

水路の亀たち

いつも夕方に散歩している通り沿いの水路には、ミシシッピアカミミガメが住んでいる。見分けられる範囲では、4匹ぐらい住んでいるはずだ。でも、日によって顔を出していたり、いなかったりする。


そのうち1匹は見るからに歳をとっていて、甲羅の色が茶色く、藻ようなものさえ絡んでいる。僕はかってにそれ「主」(ぬし)と呼んでいる。それに次ぐ大きな亀は、「若大将」である。(それも勝手にであるが。)こちらは見るからに健康そうな大型の上で、動きがとても機敏である。その他にも、生まれて間もない小さい若者が2匹ほど住んでいる。


水路全体には、水草がびっしり生えているので、彼らはその影に実は潜めている。その中でも長老である虫は時に堂々と水草の上に乗っかり体を休め甲羅を温めていたりする。その水路は田んぼのための用水路なので、水かさが多い日は少ない日がある。少ない日は川床までよく見える。


これから寒い季節になっていくので、亀たちは冬眠の季節に入るのだろう。しかしコンクリート三面張りなこの水路から、彼らはどうやって外に出て、潜る土地を探すのだろうか。彼らの姿を全く見なくなったときには、きっとあの長老の「主」に誘われて、冬眠をはじめたのだと思うことにしよう。


散歩道にいたタデの花 Lady's thumb


2020年10月12日月曜日

寝不足を解消しよう

 生活のテンポを整えることに、注意を払っています。僕は、ややもすると夜更かしがちになる傾向があります。朝におきる時間は決まっているので、夜更かしするごとに、寝不足が加算でいきます。そのことは、手元のAppleWatchが嘘をつかず、誤魔化さずに教えてくれます。

夜更かしをすればするほど、思考力が減退し、眠りに付く準備をするという意思さえ全うに働かなくなります。生産性は当然上がりません。

寝不足の朝は、体を起こすために、なるべく動いて、テンションを上げていきます。布団をたたんだり、カーテンを開けたり、外へでてメダカに餌をやったり、野菜に虫除けスプレーを吹き付けたり。そうしているうちに、徐々に意識がクリアになり、食欲も湧いて、ようやく一日がスタートになります。

そのまま、夕方まで調子よく過ごせる日は、まだ眠りが足りています。寝不足がかさむと、昼が過ぎた頃から集中力が欠け、甘いものに手が伸びたりします。生命活動が停滞すれば、体を支えるために栄養を付けようとするのは、生理的な現象です。ただ、栄養が日常的に足りているのに、追加の栄養を必要とするのは、それは眠りが足りていないからです。

ということで、今日からまた、早く眠る習慣を取り戻そうと思います。この試みは、果たして何度目でしょうか。今回は、以前よりも少しは長く続くことを願います。

眠ろう、カピバラのように。


2020年10月9日金曜日

(今更ですが、)テキストの音声入力にはいいマイクを使いましょう

ここのところ、文字の音声入力の便利さにはまっていて、LINEもメールも、全部この方法をとっています。特にスマホで文章の返事を書くときには、音声入力が役立っています。どうしてもフリック入力では時間を食ってしまうんですよね。

iPhoneで、長い作文をしてみたら、これがなかなか便利で、タイピングよりも文章がどんどんと前進していくように思います。べんり便利、これは病みつきです。

昨日の仕事の時、同じことをMacBook Air(2015)でやってみたところ、なぜだか誤植がやたら多くて困ったなと思い、はじめはMacOSの音声認識の質が低いのだろうと諦めかけていました。

MacBook Airには、iGOKUのピンマイクを挿して使っていました。もしかしたらと考え、マイクを別のPCにつないでいたAlvoxcon USBコンデンサーマイクに取り替えてみました。すると、全く誤植が生じることなく、スムーズに日本語の文章を音声で入力することができました。やはりコンデンサーで、広い音域までカバーしていることが、高い入力品質の理由でしょうか。

これを書きながら考えた事は、今度は、MacBook Air(2015)の内蔵マイクで音声による文字入力をやってみて、入力品質を比べてみようということです。

オンラインで仕事をすることが増えた今、音声入力の品質だけでなく、カメラやイヤホンについても設備を整えることによって、双方にとって良好な作業環境を作り出すことができるものと思います。

iGOKUのピンマイクも通常のオンライン通話では、それほどノイズを拾うこともなく、使い勝手は良好です。小さくて、持ち運びに便利です。USBコンデンサーマイクは、持ち運べなくはありませんが、手荷物としてはちょっとかさばります。




 

日本の製造業はどこの国を顧客とすればよいのか

一人当たりGDPは、個人や企業などミクロ単位の購買力にも反映する。日本の技術的に優秀な製品の価値を定価で評価してくれるのは、日本よりも一人当たりGDPの高い国の人や企業ではないだろうか。

そうでない国においては、日本の製品やサービスは、割高に感じられ、手を出しにくい。もちろん、この数字は平均値なので、各国内での偏りはあるのだけど。

それでも、日本の技術力が高く、国内を地盤にする製造業が誰を対象にしてビジネスをすれば、フェアに評価され得るのかを大まかにつかむには、この数字を参考にしないわけにはいかないだろう。

https://www.globalnote.jp/post-1339.html 

2020年10月7日水曜日

ゼミ生との研究ノートにMS-OneNoteを活用しています。

私は、ゼミ生との研究ノートとして、マイクロソフトOneNoteを使っています。マイクロソフトアカウントさえあれば、無料で使え、複数の人たちとノート共有をすることができます。

ノートには、「セクション」と「ページ」を追加することができます。 ゼミ生ごとにノートを作り、研究相談のレジュメや文献紹介、ウェブ記事の共有などセクションを設けて、ページを付け足していきます。

書き込んだ記事は、クラウドへ自動的に保存・共有されます。記事には、全てタイムスタンプが付くので、ゼミ生とのやり取りのログを残すことができます。ゼミ生が研究論文をまとめる時にも、この情報を集約したノートから情報を引き出せばよいので、PC内のフォルダをあれこれと探し回る必要がありません。

特別に急いで読んで欲しい時には、「共有」機能を使って、メールやLINEにリンクを送ることができます。

私自身は、研究ノートとして、Evernoteを使って来ているのですが、ゼミ生と共有するには、相手にも有料プランを組まなければならないので、OneNoteを使うことにしました。

その他、利点は、操作が軽いこと、テキストの書き出しが自由であること、添付ファイルを編集できる形で貼り付けられることでしょう。また、あまり活用してはいませんが、音声録音も可能です。

皆さんもうまい活用の仕方をしていたら、是非ご照会下さいね。



2020年10月6日火曜日

ライフログを書いてみた

こんにちは。辻井洋行です。

今朝は、7時頃におきて、眠気を飛ばすために布団をたたみ、ひげを剃り、着替えてからメダカに餌をやりました。メダカは、去年から飼い始めたのですが、親世代は何匹か越冬しましたがみんな既に天に召され、今いるのは第2世代です。

メダカたちは、僕が餌をやる以外は、小さな鉢に落ちてくる食べられるものを待つしかないので、飼い主としては、責任重大です。

食事を済ませて職場に着くと、まず無線ルーターとPCをお越し、新聞に目を通します。そのうち教材の元になりそうなものはスクラップしておきます。

今朝は、10時からプノンペンの先生方とzoomを繋いで教材の研究会があったので、それに向けた予習をしました。また、プノンペンで以前いただいた「クロマー」(コットン製のマフラー)を引っ張りだして、襟元に巻いて準備完了です。

10時から研究会を行い、11時半に終了、早めの昼食を取って、科研費の申請書を書くための材料を整理していきます。

そのうち、研究室の院生さんからの研究相談に対応しました。また、学生さんの研究室にPCが足りなくなって買い足したものに、職場の経理担当の方が備品シールを貼りにやってきたので、それにも対応しました。

その後、また、科研費の申請書の準備に戻り、「科研が書けんなあ」とかぼやきながらも、とっかかりを見つけて、ググッと掘り進めたところで、帰宅時間となりました。

帰宅してから約50分間の散歩をして、戻ってから植栽の水やり、納屋にいるカブトムシの幼虫が住むマットに霧吹き保水しました。夕食をとり、うたた寝をし、ホームベーカリーをセットしつつ、洗い物をしてから入浴し、歯を磨いて今に至ります。これから、夜の部の仕事に戻ります。また明日!

散歩で見つけた蝶(蛾)の名前知らず


2020年10月2日金曜日

青さを捨てられないうちは

 自分の役回りを知ることは、世間との関わり方を見い出すということだ。身体的な特性とそれに基づく知的な営みによって、誰かに取って意味のあるモノやコトを生み出すことである。それは、諦めの意味を含むのかもしれないし、身の程を知るということなのかもしれない。ただし、身の程は拡げられるものという精神の青さをまだ捨てられないうちは、そこに諦めは不在である。植物が幼木から老木へと変化していく。人も同じようである。常に変化していくもの。寿命が尽きたとして、生が流転するのかどうか知らないが、役回りはそれぞれの刹那に見いだし得るものと思え。



自学自習できる探求者にはリモート授業は好機なのだろう。

リモート授業の利点は、学ぶことの内容に集中できること、学習目標の達成のために取り組むべきことに没頭できることにある。また、授業資料が学習支援システムにアーカイブされるので、必要に応じてそれを取り出して見直すことができる。

学びとは、当人が情報を仕入れて、咀嚼し、自身の考えを変化させていく過程である。高校も大学も義務教育ではなく、むしろ知的な探究の場である(はずな)ので、自分自身の研究課題を常に抱えて、授業をサプリメントのように仕入れて、思考を補強したり、改めたりしていく。

高校も大学も、モラトリアムを消化する場であったのは、悠長な時代の遺産であり、今は常に直近の課題を解決していくための知的生産の場になっている。リモート授業は、時間の制約が軽減されている分だけ、知的探求を行いたい学生にとっては好都合な学習に仕組みになるはずである。

ただし、自学自習の習慣のない人にとっては、学びのペース配分を自分で行う必要があるので、難しい環境になっているのかもしれない。それを補う仕組みをリモート授業に含めなければならないことも、今の大学の仕事のうちなのだけど。目の前にいる誰かに強制されながら勉強することが学びだともし思っている人がいるとすれば、リモート授業はつらい仕組みなのかもしれない。

美しい夕焼けの散歩道