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2021年4月25日日曜日
Flower never found in shops
2020年11月3日火曜日
花鳥風月が心に染み入るのはなぜか?
庭で野菜を作ったり、植栽に肥料をやったりすることに関心を持つようになったのは、何か生きてるものに関心を持つようになったということだと思う。それは見方を変えると、自分自身が生きているということであり、生かされているということへの実感でもあると思う。
10代や20代の頃の僕にとっては、生きていることがあまりにも当たり前であり、生きているということにそれこそ関心を払わなかったように思う。40代も後半を過ぎると、生きているということやその事実を少し引いた視点から捉えられるようになる。自分自身の生き方にも、少し客 評価が下せるようになってくる。デタッチメントという言葉がある。それは自分の作品を自分から一旦手放して、客観的に眺め、評価してみるということである。
若い頃は、このデタッチメントがなかなか難しくて、自己を正当化したり、言い訳ばかりを重ねてしまう。ハンドウェイビングとは、 苦しい自己弁護繰り返す姿を形容する言葉である。年を重ねれば、手抜かりのある自分を少しは仕方なく重い、またその駄目さ加減を笑って許すこともできるようになる。
そのように、生身で生きる自分を客観視できるようになれば、身の回りにある他の命に対しても、自分と同じように思いやりをもって接しようという気持ちが湧いてくるものである。いつまでも20代のようではないし、20代のような青さを失った分、40代後半になって手に入れられる芳醇さもあるようだ。何かを手に入れるということは、何かを失うということでもある。
人生は誰にも一回限りである。1回限りであるということは、決して取り戻せないということであり、取り戻せないからこそ、そこにかけがえのない価値が沸き起こるのである。だからこそ、花鳥風月は心にしみ入るのである。
2020年10月29日木曜日
カメとの遭遇
田んぼ横の水路で、2週間ぶりくらいにカメを見ました。夕方の散歩は、僕の習慣となっていて、決まって長い長い田んぼの中を通る水路沿いを歩いています。まだまだ暑かった頃には、水藻の上で甲羅干しするカメを何匹も見かけることができたのですが、ここ2週間はからっきし見かけることがありませんした。
もしかしたら、飼い主がいて、冬眠させるためにどこかへ引き上げてしまったのかなと思うくらい、彼らの姿を見ることができなかったのです。
それが、ダメもとで水路を覗きながら早足で歩いている時に、水面に顔を覗かせている中くらいのサイズのミシシッピアカミミガメと久しぶりの対面を果たしました。ああ、元気にしとったかい?という暇もなく、その子も水藻のしたへ隠れて行ってしまいました。
ここ数日で、少し気温が上がった今日だったので、変温動物の彼らにとっては、体の動きが少し緩んだのかもしれませんね。明日も会えるかどうか分からないのですが、水路をまた覗いてみようと思います。
2020年10月25日日曜日
家庭菜園に調理残さの野菜など混ぜ込むとゴミが減るし肥料になるし
2020年10月13日火曜日
水路の亀たち
いつも夕方に散歩している通り沿いの水路には、ミシシッピアカミミガメが住んでいる。見分けられる範囲では、4匹ぐらい住んでいるはずだ。でも、日によって顔を出していたり、いなかったりする。
そのうち1匹は見るからに歳をとっていて、甲羅の色が茶色く、藻ようなものさえ絡んでいる。僕はかってにそれ「主」(ぬし)と呼んでいる。それに次ぐ大きな亀は、「若大将」である。(それも勝手にであるが。)こちらは見るからに健康そうな大型の上で、動きがとても機敏である。その他にも、生まれて間もない小さい若者が2匹ほど住んでいる。
水路全体には、水草がびっしり生えているので、彼らはその影に実は潜めている。その中でも長老である虫は時に堂々と水草の上に乗っかり体を休め甲羅を温めていたりする。その水路は田んぼのための用水路なので、水かさが多い日は少ない日がある。少ない日は川床までよく見える。
これから寒い季節になっていくので、亀たちは冬眠の季節に入るのだろう。しかしコンクリート三面張りなこの水路から、彼らはどうやって外に出て、潜る土地を探すのだろうか。彼らの姿を全く見なくなったときには、きっとあの長老の「主」に誘われて、冬眠をはじめたのだと思うことにしよう。
2019年5月2日木曜日
左へカーブを曲がると
幼虫マット
我が家には、カブトムシの幼虫が一匹いて、水槽の中で生活しています。
ぼくが子どもの時には、ほとんど気にしていなかったのは、その幼虫がフンをするということです。いま思えば、当たり前なのですけれども。w
ということで、月に一度は、水槽の中をたらいに開け、幼虫を一旦取り出して、DIYショップで買って来てた新しいふかふかの幼虫マットと入れ替えます。
その度に、黒い楕円形のものが、マットの中にたくさん混ざっていることが分かります。これだけしっかり主張しているものを子どもの頃には見逃していたようです。
ところで、彼の幼虫は、つやつやのプリプリっ!天敵のいない水槽の中で、日々成長しているみたい。夏に向けて、いつサナギになるのだろうか。そろそろ、新しいベットをご用意するときには、扱いに気をつけなければならないかな。
2019年5月1日水曜日
ツルニチソウ
花の名前を調べれば、ツルニチソウという外来種らしい。ひと目を楽しませるから、摘み取られずに、残ってきたようだ。
よく見ると花の真ん中に、アリのご来客があった。撮影した時には気づかなかったな。
意外なものが写り込む。自然であるとはそういうことなのだろう。
2018年6月27日水曜日
吉野山訪問記・2018年4月
斜面地に建つ家は、「吉野造り」と呼ばれます。表からみると2階建ての家も、谷の方から見上げると3階建てだったりします。
急な山の道すがら、花が癒やしてくれます。
はじめの開けた街路へたどりつくと、椎茸を干してありました。
乾燥させると栄養価が高まるという椎茸(ま、色々なものがそうらしいけど。)
若い留学生風のグループもちらほらと。京都や大阪辺りからも足を運ぶのかな。
大阪阿部野橋からなら、快速電車で2時間程度かな。
何気ない木立ちもまた、なにか吉野プレミアムで、美しく見えます。
吉野山は、桜ばかりでなく、信仰の山でもあります。
世界遺産登録がなされたことで、観光客が一年間を通じて見込めるようになったとか。
堅牢さは美に通じる。
多様な石が組み合わされることで、堅牢な基盤となります。
社務所に荒い造りの仏像がいくつも。
仏師の仕事も徐々に形作られていくのでしょう。
ひとつひとつ手彫りです。お寺の方の趣味かもしれないけど。
さらに、山を奥へ進みます。
吉野・五條地域には、柿の葉寿司業者が、大小合わせて200件程度あるそうです。
本場で食べる柿の葉寿司
ここの店構えがなんだか素敵です。
こちら上千本!
ヤドリギ(宿り木)も多数!
店先のムスカリが鮮やか
ひとつひとつがお洒落やなあ。
苔玉にシクラメン
ここにも柿の葉寿司のお店が。たなかはんや大和はんばっかりやと思ってもらったら困りますわ。
観光地と暮らす民家
火の用心
ほっこりしますね。
葉っぱを食べ過ぎて、体が葉っぱになってしまったバッタたち。この呪いが解けるのは、いつなのだろうか。
やれやれ、よく歩いたね。
吉野にもソメイヨシノが。
よく歩いたご褒美は、よもぎソフトで決まりです。次回は、さくらソフトを!









