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2024年2月12日月曜日

葛の蔓を刈る

こんにちは。辻井洋行です。

この3連休をあなたはどのように過ごしていましたか

僕は、ひたすらゆっくりと休養を楽しみました。

2023年度には、いろいろなことに取り組んで経験値は

高まったと思うのですが、自身のドメインを定める内観を

疎かにしてしまっていました。

歩いた道が人生だという考え方もありますが、

時に立ち止まって、自分の心根に問いかける時間をとらなければ、

浮ついた時間が流れていくばかりになる。

そういう危機感を持つことになったのが、

2023年度だったように思います。

2月10日には、響灘ビオトープへ行って葛の蔓を刈って

来週の籠網の準備をしました。

講座を開く仕事をしてきていますが、

たまには、誰かが主催する講座に参加するのもいいものです。

感謝の気持ちを持ちながら。

 


2024年2月3日土曜日

手元にあるガジェットは、いつもスタンバっている状態であって欲しい。使う訳でもないのに、電池が満タンで稼働できる状態でないと不満である。古い腕時計も、いつ使うか分からないのに、止まっているのに気がついたらボタン電池を買いに走って、取り替え作業を行う。もうiPodで音を聞くことはないのだけど、気付いてせっせと充電している。なんのためということでもない。きっと自分の分身は、つねに動いていて欲しいということなのだろうか。放っておけばいいのに、手放せばいいのに、いつまでもそこにおいてあるだけなのに。

2024年1月19日金曜日

この歳になると放論はみっともないという気が働いてしまう。何か書くには、責任が伴うものだとも。それは、なんとなく言霊のようなものを感じているのかもしれない。このような電子データにも、肉声や手書きの文字と同じく発する者の魂が宿ると当人が思う。同じくそれを受け取る側もそう思う。それは、共同幻想なのかもしれないけど、相互のやり取りが断片的な形であるとしても成立している場合には、そう思わずにはいられない。だから、書くことに何か特別な思いを書き手として持ってしまう。そんなこと偉そうに四の五のしているうちに、誰かをニヤリとさせる粋なフレーズでも捻り出してみやがれってんだね。

2024年1月6日土曜日

毎日の下らないやり取りの中に、無駄や不要不急に、わたしたちの生の本質がある。コスパやタイパの追求は、何か必要があってなされているのかもしてないけど、それは表層的なことに過ぎない。生きることの意味は、自ら見い出していくものなのだけど、それもまた下らないことことの中に見つかるものなのだろう。下らないという表現は、都から地方へ下ってこないようなつまらないことなのだそうだ。そんなに下るものが山のようにあってたまるものか。ほとんどの物事は、下らないものなのだ。そんな普通の下らないものを愛でてていく。そして、ごく稀には下りうる物ごとを生み出してやろうという心の蒼さを残しつつ。

2024年1月4日木曜日

 SNSの分類の中でもブログは、古典的なツールのひとつであるが、この独立性に心地よさを覚える。ネットワーク上に記述する時点で、これらの言葉は、外へ放たれたものなのだけども。それでも、大して気遣いするわけでもなく、ペース配分を気にする必要もなく。キーボードを押す指にままに表現して、自分自身にもお咎めがないことが、魅力として感じられる。誰が読むわけでもなく、また自分で読み返すわけでもなく。

2024年1月1日月曜日

謹賀新年・辰年2024

新年おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します!