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2021年2月28日日曜日

電子辞書を見直しています

こんにちは。辻井洋行です。

最近、電子辞書を見直しています。分からないことは、たいていウェブ検索に頼っていたのですが、内容の専門性については、オーソライズされたものを引くことが大事だなと改めて思うようになりました。

写真は、SII(セイコー・インスツルメンツ)のDAY FILERという電子辞書で、もうSIIが事業撤退してしまったものですが、基本的な言葉の意味を取るには重宝しています。新語の類いについては、辞書のアップデートがないのですが、収録語については、横串検索ができて便利です。

最新の電子辞書は、アップデート機能も付いているようなので、いいものが見つかったら買い換えようと思います。このSIIのは廃盤なので、次は、カシオかシャープかな。

また、電子辞書は、言葉を調べるための単機能の製品なので、スマホのような誘惑がないのもよいところでしょう。学習・仕事・研究用のツールとしては、ユーザーに優しいものと思います。

今の電子辞書の難点は、カラー・ディスプレーになったためか、電池寿命が短くなっているようです。二次電池を使えば充電可能ですが、頻繁に充電するのは手間になります。その点、液晶ディスプレーのものは、今でも電池を交換すれば数ヶ月使い続けることができます。電池の改良は課題のように思います。



2021年2月27日土曜日

同じ釜の飯を食うのはエモい連帯感を作るため

こんにちは。辻井洋行です。

「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。 これは、寝起きを共にする、一緒に生活をするといった意味があります。それは言葉通りの意味なのですが、僕はもう少し立ち入った意味が含まれているように思います。それは、ご飯を食べているときの私たちの無防備さです。食べ物に夢中になっているときは、他の物事への注意が少し薄れてしまうくらいです。

また、食べるという行為そのものが私たちにとって楽しみであるため、ものを食べながら話したことや見たり聞いたりした事は、楽しさを含むイメージとして頭の中に残ることになります。

このように、同じ釜に入っている飯を一緒に食べるという行為には、人と人の間の距離を短くし、連帯感を生み出す効果があるように思います。

コロナ禍では、家族以外の人と、マスクを外して会食をすると言うことが制限されているので、この同じ釜の飯を食うという共通体験を得ることが難しくなっています。次善の策として、オンライン飲み会が一時期流行しました。

僕は、数回参加しましたが、早々とやらなくなりました。オンライン飲み会の場では、たしかに時間は共有してはいますが、物理的な空間や食べ物は共有されません。そういうところに、エモーショナルな欠落を感じて、つまらなく感じてしまったのだと思います。

これから、ワクチンが普及して、1年後くらいには、同じ釜の飯を食う機会が少し増えてくるのかもしれません。それまでは、エモーショナルなつながりを作る事は、なかなか難しいのでしょう。

同じ釜の飯を食わないと連帯感を作りにくいのは、動物としての人間の性(さが)と思います。それを乗り越えて、連帯を作ることができるとすれば、動物としての進化を遂げた人たちなのかもしれませんね。

角打で同じ徳利の酒を呑む


2021年2月26日金曜日

建築学生がカンボジア社会起業家の元でインターンシップします!

こんにちは。辻井洋行です。

今日から、カンボジアの社会起業家さんと建築デザインの学部生とを繋ぐ、オンラインインターンシップがはじまりました。

このプログラムは、株式会社value ソーシャルマッチ for SDGs の教育事業部・金愛月 氏の仲介によるものです。カンボジアで中低所得者向けのレンガ住宅を供給するコンギー氏の会社で、北九州市立大学国際環境工学部建築デザイン学科の学部生4名が、建築デザイン提案を行います。建築学生たちは、これまでにも様々なコンペや課題を経験し、十分な提案力を持っていると私は思っています。


株式会社value ソーシャルマッチ for SDGs

 <https://socialmatch.co.jp/>

My Dream Home-Cambodia コンギー氏

<https://www.youtube.com/watch?v=YLza_WgBFIk>


日程は、1ヶ月間です。キックオフの本日は、カンボジアの歴史や社会状況、住宅供給の課題についてのレクチャーを受け、学生たちがそれぞれポートフォリオを含めた自己紹介をしたのちに、コンギー氏から建築設計への注文を提示して頂きました。これから4週間掛けて、学生たちは提案書を作成して行きます。打ち合わせは、週1回のペースで進み、3月18日が最終発表となります。プログラムは、全てzoomを経由したオンラインでの実施です。

コンギー氏の事業は、レゴブロック型のレンガを使った住宅供給です。このレンガは、相互に噛み合う形状が特徴で、モルタルの使用を最小限に抑えることができるようです。また、レンガそのものの造作も平易で環境配慮がなされているようです。

その商材を元に、これまで数々の住宅を供給してきていますが、デザインに新しさを取り入れるべく、日本の建築学生からの設計提案を受け入れたいということでした。さて、どんなプログラムになっていくのでしょうか?!



オンラインでの打ち合わせ


2021年2月25日木曜日

出納状況を簡単に記録できる家計簿アプリを使う

こんにちは!辻井洋行です。

何かものを買うときには、基本的に電子マネーかクレジットカードを使うようにしています。そのような生活をする上で大切だと思うのは、出納帳をこまめにつけることです。クレジットカードの明細を見れば事足りるのですが、いくつか併用していると、それぞれの合算金額が分かりません。そこで僕は、「家計簿」というアプリを使うことになりました。

このアプリの良いところは、ゴタゴタとした余計な機能が付いていないことです。アプリを開けば、まず初めに、金額を入力することになります。その後に、支出項目や種類を入力することもできるのですが、省略することも可能です。僕の場合は、飲食、通信運搬、書籍、交通といった費目のグループを作っていて、金額を入力した後に選ぶようになっています。また、支出タブの隣に収入タブもついて簡単に切り替えられます。

このアプリは、カレンダーの形式になっています。何月何日に、支出をしたのかということが最低限わかるようになっています。また残高は、合算されて引き継がれていくので、自分の手元にどれだけの金額が残っているのかということも自動的に算出されます。

出納帳や小遣い帳は、つけること自体が面倒でしたが、このアプリであれば、最も基本的な出納機能が入っているだけなので、なるべく簡単に整理したい人にとっては、とても使い勝手の良いアプリだと思います。もし関心のある人はダウンロードして使ってみてください。1つのスマホ端末使うだけであれば、無料プランで十分事足ります。



2021年2月24日水曜日

鼻炎薬の薬効も生活習慣との相性があるみたい

こんにちは。辻井洋行です。

気温が20℃前後で推移する季節は、他になく快適なのですが、同時に人によっては、花粉症のために辛い毎日を過ごすことになります。

僕自身も、二十歳のことから花粉症なので、この時期は鼻炎薬のお世話になることが多いです。去年から使っているものは、フェキソフェナジン塩酸塩錠という薬効成分で、調べてみると眠くなりにくいのが特徴ということで、ぼーっとしてられない人にとっては、重宝するお薬と思います。この錠剤は、1日2錠の服用となります。1錠に60mgのフェキソフェナジン塩酸塩が入っていて、成人は120mgが適量のようです。

じつは、2月初旬には、エピナスチン塩酸塩錠を使いかけたのですが、どうも合わないようでした。こちらは、就寝前に服用すれば次の日1日鼻炎が緩和されるというもの。眠気を催す特徴があるということもあり、就寝前がよいようです。ただ、僕は夜更かしの傾向があるので、こちらではちょっと間に合わないのかもしれないと思って使わなくなりました。

どちらも、ドラッグストアの薬剤師さんに説明してもらって使ってみるわけですが、やはり効き目を体感して判断することも必要とおもいました。

よく眠れそう



2021年2月23日火曜日

思い込みを乗り越えるには手足を動かしてみるのがよいのかも

こんにちは。辻井洋行です。

今日の小さな気づきは、机の上のノートPCとディスプレイのレイアウトの工夫です。これまで、外部ディスプレイを真正面に置いて、その手前にノートPCを開きタイピングしていました。このレイアウトだと、どうしても机の奥行きが足りず、手元に窮屈感がありました。

そのディスプレイを当面から右側に動かすだけで、ノートPCを机の奥のほうに送ることができ、手元が広く開きました。なんだと思うことなんですが、やってみて初めて気づくことがあるものだなぁと、しみじみ感じました。

思い込みや常識はなかなか厄介なものです。このようにするのが当たり前だ、このようにするしかないと思い込んでしまっていることが、実は身の回りにたくさんあるのかもしれません。そのことにちょっとしたきっかけで気づくことがあります。

ただしその瞬間は、ぼーっと現場を眺めていても訪れません。手足を動かして、あれこれとものを触り動かしていく中で、ふと現れるものです。

僕の場合は、昨日までであれば、机の上が手狭になってしまったので、外部ディスプレイをやめてしまおうかとまで考えていたのです。今日の気づきによって、外部ディスプレイをお蔵入りさせずに済むことになりました。

改良された自宅の仕事机
この時に比べたらかなり広い






2021年2月22日月曜日

カボチャの種から双葉がでました

こんにちは。辻井洋行です。

1週間ほど前に食べたかぼちゃの種を小さなトレイに入れて水をやっていたら、可愛く芽吹きました。まだ種の作付時期ではありませんが、毎日窓際に置いて、日差しを与えつつ、適度に水やりを繰り返していました。

ここに2-3日、特に、気温が上がってきていたので、このかぼちゃも、「そろそろ芽を出してやるか」と一念発起したのでしょうか。とても立派な双葉が登場しました。

しばらくはこのまま養生し、気温がある程度暖かく安定してきた時点で、庭に植え替えをして、すくすく育ようにサポートしていこうと思います。夏か秋には、おいしいかぼちゃが食べられるといいなと思っています。

去年にも一度、かぼちゃの種を入れたポットを庭にならべて、しばらく養生していたのですが、どれからも芽が出ず見事に失敗しました。気温が低かったことと、水やりが過剰だったからではないかと反省しています。やはり、温度管理や適度な水分の提供がカギになるのかもしれないですね。

試行錯誤を続けながら、自給自足?に向けて地道に経験を積み重ねていこうと思います。




2021年2月21日日曜日

サンスベリアを飼っています

こんにちは。辻井洋行です。

サンスベリアを飼っています。飼っているといっても、鉢植えの植物です。サンスベリアは日本名をトラノオ(虎の尾)ともいいます。

飼い始めたのは、職場のある資料室に放置されて枯れかけていた株を引き取り、新しい鉢に土を入れて養生させたことです。花も咲かないし、たいして愛嬌はないのですが、スラット伸びた細長い葉になかなか良いと思っています。

いち時期、電磁波を吸収してくれるという噂があったからか、オフィスやリビングに置かれることあったみたいですが、それが定かかどうか、私にはよく解りません。

ただ、飼い始めて、その株がうまく育ったので、面白くになり、自分でもひと株買い足しました。それから、去年退職した人から二鉢譲り受け、それらがまた元気がなかったので、株分けをしたところ、元気にすくすくと育つようになりました。

サンスベリアは、日陰でも枯れず、比較的丈夫なため、放置されることが多いように思います。確かにそういう面はありますが、長い間水も肥料もあげないと、少しずつ弱っていってしまいます。定期的にひのあたるところに置いたり、暖かい日には外に出したりして、光合成を促進させるようにして、メンテナンスを欠かさないように気遣っています。

葉がスラット長く伸びすぎてバランスが悪くなってしまうことがあるので、なかなか短く刈りとることがあります。それでもまた新しく芽吹いて、精力的に伸びてくる姿が愛らしいものです。

あなたにも何か見えている植物はいますか?




2021年2月20日土曜日

価値を生み出す思考のぬか床は手書きの習慣で生成できる

こんにちは。辻井洋行です。

物事を深く考えるには、書き出すスピードを遅くする必要があります。キータイプよりも遅くなるのは、手書きになります。一方で、スピードを早くするには、音声入力になります。

手書きが、思考に有効なのは、考えを文字に起こしながら、その周りに落書きをしたり、言葉と言葉の関係を線で結んだりして発想を広げたり、まとめたりすることが、わりと自由自在にできるからでしょう。グルグルと円や螺旋を書いたり、言葉を○や△、□で囲ったり。抽象と具体の間を行ったり来たりするのが比較的自由なのが、手書きなのだと思います。ただし、それらの表現は、ペンを走らせるという時間的・物理的な負荷が掛かっており、それが考えるための時間を生み出してくれます。

タイピングは、熟練していくと、意識せずにできるようになりますが、こちらも指でキーボードを物理的に打つこと、書き出された文字・テキストを目で確認しながら書き進めるという物理的な負荷が掛かっていています。タイピングに掛かる負荷が、思考する時間を生み出すように働くことになります。ただし、手書きほど時間を要せず、つらつらと文字・テキストの生産が進んで行きます。また、手書きほどの多様な表現を諦めざるを得ないことが、書いていることについて、じっくり考えることできなくなります。

音声入力は、口から発した言葉が、そのまま言葉やテキストとして、表示されて行きます。滑舌よく淀みなく話せば、音声変換ソフトがそれをどんどんと表示していってくれます。音声入力には、手書きやタイピングに比べて、文字やテキストを書き出す負荷が少ない分、書きながらじっくりと物事を考えることがありません。音声入力は、物理的な入力の負荷が少ない分、効率的なのですが、言葉が上滑りしてしまう危険性をはらんでいるということになるでしょう。そのように考えれば、物事をよく考えながら音声入力するには、その前段として、手書きでコンセプトを整理することが必要になるのかもしれません。

物事を深く考える事は、私たち個人が、自分自身が生み出すことのできる価値を作り出すために絶対必要なことです。熟慮のない浮ついた生産は、駄作ばかりを世に出してしまいます。それは結果的に、つまらないもので世の中を埋め尽くすことになってしまいます。むしろ私たちは、物事を深く深く考え、価値を生み出すための元、例えば、ぬか漬けのための糠床の生成に注力する必要があります。

ぬか床を生み出すために、深い思考に取り込めることが、長く価値を生み出す人になれるかどうかを決めるのだと思います。ぬか床を生成するためには、手書きでゆっくり考えを深める習慣を身に付けましょう。

デジタル化しても手書きノート

2021年2月19日金曜日

今回また思うままに音声入力で文章を書いてみた

こんにちはー 辻井洋行です。

今回もまた、何を書こうか迷っているところです。文章というのは、淀みなくどんどん出てくる時もあれば、全く出てこない時もあります。そういうときには、ええいっ!と発起して、書き進めるに限ります。

「何を書きたいかは、書けばわかる」という言葉があります。それは至言であるなど常々思います。書いているときに起こっていることは、書いた言葉によってインスピレーションを受け、その言葉がまた次の言葉をつなぎ合わせてくれる、といった感じです。

きっと、ずいぶんなことが脳科学的に解明されているのかもしれません。ただ僕はその知識については疎いので、ここでわざわざ書く事はありません。

ほら、そうこうしているうちに、文章が書き連ねられてきましたね。文章が増えてくると、なんだか楽しくなって、どんどんと書き続けていきたくなるものです。おしゃべり好きな人のおしゃべりが全然止まないのと同じことです。

書き始めは苦しいのですが、筆が乗ってくれば先へ先へと言葉が進んでいきます。発した言葉が、次の言葉を見つけ出していく、そういう循環に入っていきます。まだこれぐらいの分量では、ライターズ・ハイには至りません。(そんな言葉があるかどうか知りませんが。)

ただ、そんな余計な事に思いが至るのも、書き始めたからこそ起こった現象と思います。何も書かなければ、そんなことを考えもすることがなかったはずだからです。

私たちは情報を消費することに慣れてしまっていて、それを生み出すことにはなかなか関心を向けられません。情報は誰かが作るものであって、自分がそれを消費する立場であるという線引きを知らず知らずのうちに作ってしまっているのでしょう。世の中が、いろいろな人の貢献によって成り立っているという基本的な構造を理解すれば、生み出す側に加担することに関心が向くようになるかもしれません。

きっと文筆家は、このような作業を毎日毎日繰り返していて、無数の文章を書き連ねているに違いありません。そのうちの一部が表に出て、作品となっていく。書いた文章に魅力があり、それに商品価値が生じるのは、奇跡的とまではいわないまでも、簡単なことではありませんよね。

物事を考える私たちは、同じような社会文脈の中で生きています。その中で、何か突出したことが書けるのは、異なる文脈から得た観点を持ち込んでいるからと見ることができるでしょう。その点では、1つの世界、特定の文脈だけに身を置くのではなく、少しでも離れたところ、できれば遠く遠くに身を置き、物事を考え、ある文脈における常識への違和感を形にしていきたいものです。

今回のブログはここまでとしましょう。

ハイフォン名物のバインダークァ


2021年2月18日木曜日

仕事の自動化を進めて原液作りに傾注して参りましょう!

こんにちは!辻井洋行です。

仕事をスムーズに進めて生産性を高めるには、それに関わる手間が少なければ、少ないほどよいです。手間を掛けたことに、美徳を見出しがちになりますが、それはただの思い過ごしであり、自己満足に過ぎません。同じクオリティーの仕事をアウトプットとして相手に提供するのであれば、手間は少ないに越したことがないのです。手間に時間をかける分、濃縮した原液を作ることに時間を割くべきなのです。

例えば、僕はブログを書いて、朝の7時に配信するようにしているのですが、その後にわざわざTwitterやFacebookにお知らせを投稿しています。このテーマは、ブログの中身を良くすることとは関係のないものです。できればこの作業を自動化できればと思います。そのように、ソーシャルメディアにアップする時間も、一回に1分掛かっているとすれば、年間に365分、2つのメディアで730分の時間を使っていることになります。

例えば、ブログを書いたことを自動的に、指定したソーシャルメディア配信してくれる機能のついたプラットフォームへ乗り換える方法が思いつきます。また、誰かにその作業を頼むこともできます。ただし、そんな単純作業を誰かに請け負わせるのは、その人の時間を奪うことにもなってしまうので、できれば自動化できた方が良いに決まっています。

ちょっと話しは代わりますが、何かを学ぶことは、その人が主体となって学びとり、自分の思考や概念世界を塗り替えていくことが本質のはずです。それに貢献するサービスであれば、本質的な価値を提供していると言うことができるでしょうしかし、その学びを生み出すための作業にどれだけたくさんの時間をかけたか、献身的に作業行ったのかという事の方へ、価値がシフトしてしまうと、学び取る人を忘れてしまうことになります。

仕事の手法が、共有されていくことにより一般化すれば、どんどんと同質的なものになっていきます。それらの手法が世の中に全くないときには、ある程度のレベルまで上、共有することの価値がありますが、その水準を超えてしまえば、それぞれの主体が最も良いと考える仕事の手法で物事を進めることの方が、多様な仕事のあり方を世の中に生み出すことができるようになります。

ただし組織というのは、価値を平準化させる方向へのバイアスを含んでいるので、気をつける必要があります。隣国には一国二制度がありましたが、その制度が統一の方へどんどんと進んでいくのは、勢力の強い方が組織化のバイアスを持っているからでしょう。それで、平準化した価値の実現は近づきますが、多様性を失い、環境の変化への適応力をしなってしまう可能性踏まえておく必要があるはずです。

それはさておき、情報技術やそれを使いこなすリテラシーは、仕事を進めるための作業を自動化の方向で支援してくれます。それを使いこなして、面白い価値を生み出すことが僕たちの仕事だし、そういう人たちが集まる世の中こそが、面白みのある場所なのだと思います。仕事の自動化を進めて、原液作りに傾注できるようになって行きましょう。

雑多性を美しいと思えるように


2021年2月17日水曜日

今だけでも花粉フリーな地域へ短期移住したい

こんにちは。辻井洋行です。

花粉症の季節となりました。僕は、杉や檜がたくさん生えている山間で生まれ育ちました。近所には、花粉症だといって患っていたおばちゃんたちがいたのを覚えています。ただ、僕自身には無縁だと思っていました。

それがですよ。突然やってきたのは、大学2年生の頃でした。熱は無いのに、くしゃみが止まらず、水鼻が出る。これはなんだと思っていたら、誰かから、それは花粉症だと教えてもらったのです。

ただ、お医者さんでアレルギーチェックをしてもらったことがないので、スギに反応しているとかヒノキだから高級だとかいうことは分かりません。排気ガスなど、複合的な微粒子に反応しているのかもしれないのですが、この春先の暖かくなり始めのみの症状であるので、季節性のアレルギー症状であり、通年性ではないはずです。スギ花粉というのは、僕の仮説に過ぎないのですが、おそらくそのなのでしょう。

このようになってしまったら、もう花粉を浴びないこと、目や鼻から花粉を吸い込まないことが第一の対策になります。幸い、今は、マスクを付けることが当たり前になっているので、迷い無く装着します。次に、アレルギー症状を緩和薬を摂って症状を予防することです。

いまの時期の至福の瞬間は、帰宅して顔を洗った時と入浴の時です。ああ、花粉からやっと解放されるぅ。とはいっても一時的なことのですけれどね。時に、目ん玉取り出して丸洗いしたい衝動に駆られることもあります。いまも、この文章を書きながら、マスクを付けています。マスクを付けるだけで、吸い込みが減るせいか、とっても楽チンです。

ああ、この1-2ヶ月間の日本の労働生産性は、きっと何パーセントか落ち込んでしまうのでしょう。去年の2-3月に、ひどい花粉症を感じながら、飛行機に乗ってバンコクからプノンペンに入り、ふと気づけば鼻がムズムズしないことに気づいて幸せだったことを思いだしました。その後、日本に戻って来たら元の木阿弥だったのですが。この時期だけでも花粉フリーの地域へ短期移住したいです。
プノンペンのマーケット




2021年2月16日火曜日

映像は外部モニターへ、キーボードはオリジナルのものを。

こんにちは。辻井洋行です。

僕の自宅でのデスクトップは、こんな感じになっています。引っ越しや模様替えが好きなので、セッティングはどんどんと変わっていってしまうのですが、当面の決着がついたのがこの形です。

少し前までは、Bluetooth接続のキーボードとマウスを使い、MacBookの画面を閉じて作業していたのですが、どうしてもデスクの上が手狭になってしまうのと、トラックボールよりもトラックパッドの方がやっぱり好きだなぁと思い直すことになりました。

このセッティングでは、MacBookの画面の照度を一番暗くして、画面の負荷を抑えるようにしています。原稿書きでもメール作成でも、基本的に音声入力をしているので、マイクは性能の良いコンデンサー付きのものを使っています。これだと、小さな声でもしっかりと拾ってくれるので、あまり大きな声を出せない時でも、快適な使用感を得られます。

それぞれの仕事のスタイルに合わせて、用具は最適なものが選ばれていくでしょう。僕の仕事では、特に自宅での作業については、このセッティングが今のところ最適のようです。



2021年2月15日月曜日

弱いつながりはあなたの努力に実を結んでくれる

こんにちは。辻井洋行です。
私たちは、友達の友達、知り合いの知り合いとのやり取りで、思わぬ幸運に出会うことがあります。身近なつながりの間では、情報が共有されてしまっており、新しい発見を得ることは難しいものです。しかし、少し距離のある人は、自分とは違う関係先とつながっています。

そのような世の中の関係を発見し、理論化したのが、スタンフォード大学の社会学者であるグラノベッターです。彼は、アンケート調査で、回答者の就職先の決まり方を調べ、知り合いの知り合いの持っていた情報を頼りに実現していたという結果を頼りにして、「弱いつながりの強さ」という仮説を立てました。

現在のソーシャルメディアの大流行は、そういう現象を多くの人が経験的に感じていることが背景にあるのかもしれなせん。ただ、そうした弱いつながりが活かされるのは、自身が何かを強く求め、自ら形にしようとして行動している時ではないでしょうか。

たんじゅんに、顔つなぎだけをして、知り合いの数をいたずらに増やしたとしても、その紐帯に乗るものはありません。青い鳥は、幸せを求めて長い旅路を経た末に見いだされたものです。セレンディップの王子たちもまた、別のものを求めて行動する中で、思わぬ幸運を手にしたといいます。

何か自分の幸運であるのかは分からなくても、機会を求めて、主体的に工夫を凝らしながら具体的に行動すれば、思わぬところへ結果が見いだされていく。そいうことをグラノベッターは、行間に説いているのではないでしょうか。




2021年2月14日日曜日

ファイルをメール添付で送り編集して返送するを繰り返すのはもう止めにしたい。

こんにちは。辻井洋行です。

Microsoft 365を使うことに使うようになってから、ファイルの共有がとても簡単になりました。

SharePointというクラウドサービスを使えば、そのファイルの共有先をメールアドレスで指定できます。そのファイルを開くには、指定したメールアドレスと相手自身しか知らないパスワードを使わなければ開くことができないので、意図した相手とだけ内容を共有することができるようになっています。

以前は、秘密のファイルを送りたいときには、ファイル自身にパスワードをかけ、それをメールで発送した後に、わざわざ別のメールでパスワードを相手に知らせるという時間の手間のかかる作業をしていました。シェアポイントが導入されたので、この辺の作業が、断然簡単になり、以前と同じだけのセキュリティーを保つことができています。

また、このファイル共有機能では、指定した相手が「表示できる」モードと「編集できる」モードを使い分けることができます。なれない相手とこれを使うと、大抵「表示できる」モードで、共有されてきてしまうので、相手に編集権限をくれるようにメールを送ることになってしまうことが多々あります。これについては、経験を積む中で解消していくことでしょう。

この辺の使い方をマスターしていくと、ファイルの共有や、共有したファイルを共同で編集していくといった作業が簡単に進められるようになります。知的作業に集中することができ、ファイルをやり取りする単純作業から解放されるのが何よりのメリットでしょう。

この辺のファイルの共有は、DropboxやGoogleドライブでも同じように行うことができるので、まだ使ったことのない人は試してみてくださいね。



2021年2月13日土曜日

これからブログをどうやっていこうかフニャフニャと考えてみた

こんにちは。辻井洋行です。

僕は去年の末から、ブログを毎日更新して来ています。毎日書く事を自分との約束にしていると、あれこれとテーマを気にしながら生活することになります。あれ書こうかなこれ書こうかなと考えながら、通勤時宅の車を運転していたりします。何かを書き続ける習慣のためには、ブログがとても有効だと思っています。

ブログは、自分だけがわかればいいものではなく、読み取り内容が理解されて、できれば面白いなぁとか共感するなぁとか思ってもらうものでないと、成り立ちません。それを狙わない文章であれば、手元の日記帳に書き連ねていけばいいわけです。誰かに読んでもらうことを想定した文章を書くのは、ブログの特徴と思います。

ところで、ブログを書くようになって、Facebookのタイムラインにはほとんどまとまった文章を書くことがなくなりました。ブログの良いところは、検索性があることです。キーワードを書き出すことができるので、それで探して過去の文章を読み直したりしています。Facebookでも、過去の記事の検索はできますが、適切なキーワードを書き込まないと、探すことが難しいところがあります。

LINEブログやnote、音声と画像でのブログとしてYouTubeやvoicyや、などいろいろな発信プラットフォームがあります。僕は、まだ、自分のプラットフォームとして最適なものがどれかを選びかねているので、あれこれとかじってはいますが、文字ベースで最も落ち着くのがBloggerであるので、ここ数ヶ月はこちらを主に使っています。

ここ数回は、経営理論を紹介するようなブログが増えていますが、今後は何を変えていこうかななんてことを考えています。余談ですが、この文章は音声入力を使って書いているので、PCにつないだマイクの前で、こんなことをつぶやいている姿はなかなか滑稽なものです。

どうぞ皆さん今後とも、こちらの洋行日記をよろしくお願いいたします。




2021年2月12日金曜日

どうして世の中には組織があるのでしょうか。

こんにちは。辻井洋行です。

あなたは働くなら大きな組織がいいですか、それとも小さな組織がいいですか。取引コスト経済学は、あなたの指向性に答えてくれるかもしれません。この経済理論は、ロナルド・コースが1937年に基礎を作り、オリバー・ウィリアムソンが世に広めたと考えられています。

この理論は、どうして組織があるのかという質問に答えるものです。基本的な考え方は、個人と個人の間の取引に掛かるコストが割高だなという時に、私たちは組織を作ってそれを相殺してしまうというものです。

日常生活で、必要なものがあれば、私たちはスーパーへ買い物に行きます。一般的には、スーパーでは定価販売なので、対価を支払ってものを手に入れます。ただし、仮に、スーパーが客の顔を見て値段を決めたり、売ってくれたりくれなかったりしたらどうでしょうか。そんな不安定なスーパーで買い物をする度に気を揉んだり、不安になったりしたくないですよね。

もしあなたがお金持ちであったなら、どうするでしょうか。例えば、そのスーパーを丸ごと買い取って、傘下に収めてしまえば、自分の思う通りにコントロールできるようになります。そのように、取引上の不確実性へ対応するための労力を下げることが組織化の目的となります。組織は、市場取引の不確実性を内部化するために存在するというのが、この経済理論の説いていることです。

ただし、組織は大規模化すればそれだけ組織を動かすための労力を要するようになります。これを管理コストといいます。組織が大きく成り過ぎて、経営環境の変化に対応するスピードが遅くなれば、分社して機敏に動けるように作り替えることがあります。

このように、ちょうど良い組織の大きさは、管理コストと取引コストのバランスが取れる点で決まると考えることができます。

もし、あなたが市場取引の不確実性をものともせず、むしろ、波乗りを楽しむようにやりこなす素質の持ち主であれば、他者とのフラットな関係の中で、自己実現に取り組んでいくことを望むでしょう。一方で、あまり不確実性を好まず、組織の中の役割を担うことで、自己実現を目指すのであれば、なるべく大きな組織に身を置くことを望むのでしょう。

この取引コストという概念の発見によって、なぜ組織があるのかという疑問に答えることができるようになりました。世の中には、なぜ宇宙はあるのかというまだ解かれていない問いがありますが、経済学の世界においては、それと同じくらい重要な疑問が、この理論で解かれたわけです。

組織の内にいる人は、お互いに協力することが期待されています。一方、組織の外にはそんな期待を寄せて良いのかどうか分かりません。そんな不確実性を下げたり、たとえ管理コストを掛けるにしても。組織(集団)は、私たちのそのような指向性が生み出したものといえそうです。

公衆電話@SaoPaulo


2021年2月11日木曜日

職場へ依存し過ぎないために必要なことは?

こんにちは。辻井洋行です。

これから先、安穏として勤め続けられるような職場はないでしょう。僕が、勤務している大学だって、新型感染症の影響で、教育方法が変わって来ているし、インターネットを介して学ぶ機会がどこにでもあると思う人が増えれば、入学者を集められなくなります。現在の大学ビジネスは、まだ大学を卒業することが、就職に有利であるという共同幻想を基盤として成り立っているわけですが、その幻想がいつ晴れてしまうかなんて、誰にも分からないものです。

自分の職場がいつまでもあって、雇い続けてくれるという前提に立つか、いつ無くなるかわかならないという前提に立つかによって、職場と自分との考え方は違ってくるはずです。後者に立てば、ひとつの職場に収入や仕事の機会依存していることがリスクであると気づくことになります。職場組織の視点に立てば、そこに働く人の収入源や活動の機会を全て提供する状況を作ることによって、職務条件について有利に交渉できるようになります。よくある話は、会社の財形貯蓄融資でマイホームを買った途端に、遠方へ転勤になって単身赴任することになるといったことがあります。それは、職場が働く人の財産形成に対して優位になるという例です。

フェファー(スタンフォード大学)とサランシック(カーネギーメロン大学)による「資源依存理論」は、経営資源の依存関係が、組織間に力(パワー)関係を生み出すということを説明しました。その経営資源が他者にとって、魅力的であればあるほど、それを持っている組織は、他者を強く依存させることができるため、交渉を有利に進めることができるということになります。このような社会関係は、組織間だけでなく、個人間や個人と組織との間にも生じます。

では、ある職場に対して、収入や活躍の機会を依存している私たちは、この相対的な力関係を緩和し、独立性を高めることができるのでしょうか。計らずも新型感染症の流行によって、財務業績を低迷させている企業が、従業員の兼業副業を積極的に後押しするようになっています。この機会に、個人は収入源を複数持つことができるようになっています。また、その機会を通じて得た会社の外での経験が、その職場の発展にとって必要なものであれば、その個人の職場における重要性が高まったことになります。

ビジネスにおける競争優位の元になる能力のことをケイパビリティと呼びますが、昨今の社会状況においては、どこの職場でも付加価値を生み出せるケイパビリティを持つことが、個人の人生における独立性と自由度を高めるため、より注視されているように思います。また、そういう人の集まる組織こそ、継続的に世の中で必要とされる価値あるプロダクトを生み出し続け、他の組織に対して相対的に優位な地位を築くことができるようになるのでしょう。



2021年2月10日水曜日

競争相手のいない場所で新しい価値を生み出していこう

こんにちは。辻井洋行です。

私たちの収入が少ないとすれば、それは、激しい競争の中に突っ込んで行っているからかもしれません。ある市場において、激しい競争があるとすれば、ユーザーにとっては選びたい放題なので、より安くモノやサービスを売ってくれる相手からものを買おうとします。売り手は当然薄利となるので、結果的に収入を減らすことになります。

特別なスキルの要らない、誰でもできる仕事にも、上と同じ原理が働きます。誰でもできて、みんなが就きたい仕事には、成り手が集まってくるので、採用側からみれば選びたい放題の状況です。当然、給与水準を低くしても成り立つので、求職者の収入は少なくなってしまいます。

そういう悩みを解消し、収入を引き上げるための考え方を示したのが、INSEADのW・チャン・キムとレネ・モボルニュによる「ブルーオーシャン戦略」です。その教えの核心は、「徹底的に競争する必要のない新しい市場価値を生み出せ」ということにあります。大切なのは、新しい市場価値という部分にあります。

彼らは、そのために、現在の自分の戦略の見直し方や自分(自社)と相手(競合他社)の戦略評価のメソッドを紹介して、徹底的に他者の戦略と競合の無い、ねじれの位置にある戦略の創出の方法を説いています。このように、他者を意識しながら、自分独自の価値の作り方を追求していくことが収入を増やすばかりでなく、多様な価値が提供される活性化した市場が広がっていくことになります。

自分が、同質的な他者とゴリゴリの戦いの最中にあると気づいたら、ブルーオーシャンを求めて、やり方を根本的に見直してみましょう。




2021年2月9日火曜日

司馬遼太郎は好き嫌い?

こんにちは。辻井洋行です。
この歳になって、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでいます。読んでいますといっても、Kindleに読んでもらったり、文字を目で追ったりの組み合わせなのですが、飛び飛びでやっと第1巻を読み終えました。

文学の類いは、小中学校のあと、あまり読まなくなっていたのですが、ニューノーマルにかこつけて、これまでやらなかったことをやってみようかと思い立って、ダウンロードしました。

司馬遼太郎作品については、好き嫌いがあると聞いていましたが、なるほどそういうことかと思いました。時に、登場人物の人間味が、あまりにも生々しく描かれているので、これまでに色々な資料から読み手が想像していた人物像が崩れてしまう。そこに違和感を覚えるのでしょう。

ただ、司馬遼太郎は、「そんな細かいこと、誰も知らないだろう」ということまで、資料を調べ尽くし、綿密な調査研究を行ったといいます。その上で、「坂本竜馬とは、武市半平太とは、中岡慎太郎とは、岩崎彌太郎とは、こういう人であったとしか考えられない」という人物像をビビッとに読者へ提示してくるわけです。

それに乗るか反るかは、読者次第なのですが、微妙なところをくすぐってくる筆者に太刀打ちできず、ぼくは読み進めることになってしまいました。何か210年も前に生きていた人たちの匂いがプンプンしてくるのですよ。

そういうのが、いつも論説や理論書ばかり相手にしている自分の頭の中を撹拌してくれるようです。


2021年2月8日月曜日

キャラの立っている企業やNPOは他と何が違うのか?

こんにちは。辻井洋行です。

世の中には、キャラの立っている人がいるように、企業やNPOなど組織にも、キャラの立っているもの、誰もの知っているものがありますが、何が違うのでしょうか。この問いに1970年代から取り組んだのは、カール・ワイクという組織心理学者です。

センスメイキングというのは、行動や体験に意味を与えるという意味であり、私たち個人も、それを何かをした後に振り返りを行うことで、体験を経験へと昇華して行きます。また、これまでの経緯を踏まえつつ、これから取り組んでいく行動にも意味を与えるということもあります。それによって、当人だけでなく、他のメンバーや周囲の個人や組織の認識に影響を与え、活動に巻き込んでいくのが、センスメイキングを効果的に取り組む組織の特徴といえるでしょう。

センスメイキングは、プライベートなことというよりは、むしろ、より多くの個人や組織に関わる普遍的な価値に関することを含みます。社会学には、「大きな物語(Grand narratives)」という言葉がありますが、自他が共に「そうだよね」と腹落ちし、「当然そういう方向へ進むよね、進んでいくべきだよね」と納得することによって、その発信者は、求心力を持つようによります。

キャラ立ちしている組織は、リーダーだけでなく、メンバーがそれを共有し、その大きな物語の実現に向けて行動を起こし、内外のステイクホルダーに影響を与え、さらにその周りにも伝播していくことになります。その流れの中で、震源となる会社やNPOの組織がのキャラが立ち、誰もが知る存在になっていきます。

このセンスメイキングは、社会の混乱や市場・技術の急速に変化し不安定な状況になるほど、有効性を発揮します。組織を構成する個人は、物事を判断し行動に移す時には、合理的であろうとしながら、限定的な視野や情報の範囲で考えざるを得ません。そういう個人の性質ゆえに、混乱の時代にはセンスメイキングが重宝されるのかもしれないですね。



2021年2月7日日曜日

職場でのイノベーションには知識創造の仕組みを動かす個人の賢慮が問われている

こんにちは。辻井洋行です。

この一年で、仕事のやり方はずいぶんと様変わりしました。都市部ほどテレワークが推奨されて、職場の仲間とのやり取りの方法や頻度の最適化が進んだのではないでしょうか。車での通勤が可能な地方都市では、オフィスの三密を避けるために、間引き通勤が続いています。

大部屋でのワイガヤを基本としている職場では、人が集まらないとコミュニケーションが疎になり、作業の進捗が滞り、イノベーションの機会を失うことへの心配があるのでしょう。

組織におけるイノベーションは、SECIモデルとして整理されています。このモデルでは、人の頭の中にある知識を「暗黙知」と呼び、それが言葉や数字へ変換したものを形式知と呼びます。暗黙知が他者との経験の共有をへて共同化(Socialization)し、言葉などに置き換えられて表出化(Externalization)します。これが、他の形式知と連結化(Conbination)した上で、再び個々人の暗黙知として定着する。このサイクルがスパイラル状に繰り返されることで、組織が発展していくと考えます。

この暗黙知と形式知という言葉は、もう一般的なビジネス・ワードになっているし、ERP(Enterprise Resource Planning;業務基幹システム)の中には、このSECIモデルを基本思想としているものもあるようです。ERPは、人・モノ・金・情報という経営資源を統合的に管理する仕組みであり、企業にとって重要な差別化要因である情報的資源、その中でも組織内外の知識(intellegence)のマネジメントは肝となるはずです。

テレワークの時代には、暗黙知と形式知の変換・融合を空間を共有せずに実現することが必要になっており、それを支えるための仕組みが普及してきているようです。ただし、それは十分に機能し、知識創造を実現してきているでしょうか。

SECIモデルは、仕組みを作れば自動的に機能するものではなく、それを推進していく人たちのコミットメントを必要とします。それは、メンバー同士が「共通善」の達成に向けて主体的に貢献し合う賢慮(フロネシス)が前提として成り立つものです。

知識創造理論(1996年、野中郁次郎)の提示を遡ること58年の1938年にC・バーナードが、ベル社の子会社社長をしながら書いた『経営者の役割』では、組織の成立要件として、「コミュニケーション」、「協働の意欲」、「共通の目標」の3つを挙げています。

ERPやテレカンファレンスを仕組みとして導入し、メンバー間での経営資源の共有とコミュニケーションのインフラを整えたとしても、そこに「協働の意欲」がなければ、知識創造は実現して行かないでしょう。また、協働の意欲の前提となるのは、組織に集う共通の目的です。メンバーの賢慮を引き出すには、組織の中で共有される明確な事業目的が必要になるはずです。

こういうことをワイガヤで醸し出すのを得意としてきた企業は、組織づくりの前提条件が変わってしまい、その補完方法に苦慮しているのかもしれません。それでも、知識創造によるイノベーションを必要とする場面は、待ったなしで訪れます。知識を生み出し続けるには、充実したシステムを使いこなすスキルばかりでなく、わたし達に備わる賢慮(フロネシス)が問われているのです。

チベット仏教の砂曼荼羅@サンパウロ


2021年2月6日土曜日

どうして誰か頼んだ仕事は思うようにできあがって戻ってこないのだろうか。

こんにちは。辻井洋行です。

「あてにするから はずれるんだよ」というのは、相田みつをの言葉です。また、「信頼しても信用するな」というビジネス慣用句があります。仕事を通じて関わる相手が、期待通りに動いてくれない。仕事頼んだのに、知らないところでサボっているといった世の中によくあることが思い浮かんできます。

どうしてそんな逸脱が起こるのか。モラルハザードが生じてしまうのかという問題を考える時に役立つのが、エージェンシー理論です。

「仕事を頼む人」とそれを「請け負う人」との間には、持っている情報の偏りがあります。そのために、請け負う側が、頼む側が思う通りの結果を出してくれるとは限りません。そのため、仕事を頼む側は、自分自身の利益を守るために、請け負う側を監視したり、管理するための苦労をしたり、思うように動いてもらうためのインセンティブを準備したりする必要が生じるでしょう。その加減をどのくらいに設定するのが合理的なのかを考えようというのが、この理論です。

だって、仕事を頼んだ相手が、仕事を期待通りにやってくれるかを心配して、ずっと見張っているわけにはいかないですよね。そういう過剰なコストを払わなくてもいいように、信頼関係を作ったり、依頼主の期待を叶えることが請け負う側にとっても利益になる仕組みを作る必要があります。

人に仕事を任せるのは不安なものです。小さなことをいうならば、例えば、ビールをグラスに注いでおくよう誰かにお願いするときには、ビールをこぼさないかなとか、泡の量がおいしい具合に加減されているかなということを思ってソワソワしてしまうものです。(ぼくだけ?)その作業を頼まれる方も、そんなことよりは、誰かとおしゃべりしていたいかもしれませんよね。そこに、両者の間の利害対立が生まれます。

依頼する側は、不安を払拭するために、じーっと横で見つめていることができます。しかしそれでは、自分の緊張感は高いままだし、見られている相手も緊張して思わず手元が狂ってしまうかもしれません。(笑)

むしろ、上手なビールの注ぎ方を手本として見せたり、何度か練習させることによって、完成度のブレを小さくし、期待値を高める準備に時間をかけることで、不安は払拭できるでしょう。

このように、エージェンシー理論は、仕事を頼む側(プリンシパル)の利益を守るため工夫について検討します。ただ僕自身は、仕事を頼むのであれば、ある程度の説明をした上で、相手に任せて、やりよう遠くから見守る位が良いのではないかと思っています。特に、致命的な大損害が生じるわけでもないような仕事には、頼む側が大きな度量を持って、請け負ってくれる相手との距離感を保つことが、良好な精神状態をお互いに保っていられるように思います。



2021年2月5日金曜日

わたしたちの発想の狭さは個人が持つ知識や能力だけの問題ではないかもしれない

こんにちは。辻井洋行です。

あなたは、自分の仕事がうまく進まない時、何かをやってしまった後で後悔するときに、発想の範囲や視野の狭さを恨んだり、知識の少なさにがっかりしたりしていませんか。

ただその原因は、あなたの能力ばかりではなく、あなたが関わっているネットワークの状況にあるのかもしれません。私たちは、自分自身は精一杯努力して合理的な判断をしようとしていると考えるものであるし、自分自身にとって良いことが起こるように最高の取り組みをしていると思うものです。

ただしその自分自身を少し引いた目から引いた視点から見てみれば、非常に限定的な環境の中で物事を見たり聞いたりし判断したりしているということに思いが至るはずです。私たちが物事を考えるときは、関わりのある人たちとの情報のやり取りが前提となります。リアルであれバーチャルであれ、私たちの発想は、関わっている他者とのやりとりが制約となっています。

このような人間関係をソーシャルネットワークと呼び、私たちがその中に埋め込まれ、影響を受けながら物事を考え行動しているという世界観をエンベデッドネス理論といいます。この理論は、1985年に、スタンフォード大学の社会学者であるマーク・グラノヴェターが提唱したものです。この理論における人間像は、伝統的な経済学が前提としてきた合理的経済人ではなく、限定合理性の中で物事を判断する存在です。さらに彼は、その存在はネットワークの中で影響受けながら意思決定を行っているという人間像を明らかにしました。

私たちが影響を受ける人間関係は、そのやりとりが継続的になればなるほど、安定した関係になっていきます。その関係は、情報獲得や情報発信のチャンネルとなり、当人に利益を与えればドンドンと強化されていきます。またそのつながりは、仕事を効率的に行うベースとなり、さらには仕事を超えた私的な人間関係さえも、その中に飲み込まれてしまうことがあります。会社が職場であるコミュニティーであるといった発想は、まさにそれですね。

そのコミュニティーが、私たちの埋め込まれた世界になれば、個人の発想もその範囲の中に限定されてしまいがちになる事は否めません。井の中の蛙か大海を知らずという格言がありますがます、ネットワークに埋め込まれた存在である私たちは、その外側を知る事は難しくなります。

何かの拍子に、外のネットワークの世界の発想に触れたとして、自分自身の考え方や世界観を展開していくには、そちらのネットワークへつながるための努力を主体的にしていく必要があるでしょう。繋がりたい先のネットワークも、そのチャネルを強化すると言うインセンティブを感じられない相手とつながる理由はありません。そのネットワークの価値が強化するような貢献が、そのネットワークの一員となるために必要となるわけです。

私たちが、発想の乏しさのために物事をうまく進められないとすれば、それは自分自身の能力のみの問題ではなく、関わっているソーシャルネットワークに備わっている情報が限定的であることが原因となっているかもしれません。

このエンベッデッドネス理論を理解すれば、自分の世界を広げるために何をするべきかが見えてくるように思いますね。



2021年2月4日木曜日

いつも完璧でありたいと思うわたしたちが慢心してしまうのはどうしてか?

こんにちは。辻井洋行です。

ビジネスを大成功させていた会社が、大きく業績を取り崩してしまう。いい客筋を捕まえていたはずの会社が、思うように集客できなくなってしまう。事業収入が安定していたために、市場の変化についていけなくなった。

わたし達が働く会社や団体には、上に書いたような危機が早晩訪れます。それは、そこで働く人のもつ慢心が原因です。わたしたちは、先行きが不安であれば、あれこれと情報を集め、最善の策を打つために活発に動き回ります。それが、会社の成長や継続のために合理的な行動です。それが、いったん最適な仕組みを作り上げ、高い収益性や顧客満足を実現してしまえば、それ以上の変化を起こす必要がなくなります。それもまた、会社の目的のために合理的な行動ということになります。

ただし、会社を取り巻く環境は常に変化します。会社内のシステムが完成してしまった途端に、そのシステムと環境との間にズレが生じます。わたし達が、いったん築いたシステムに慢心してしまうとそのズレに気づかずに過ごしてしまうことになります。

わたしたちに、そのようなズレに気づけない性質があること、合理的に行動しよういう意思を持ちつつも、限定的な合理性の範囲でしか思考できない性質があるということを意識するだけでも、慢心を起こすリスクを下げることができるでしょう。

そのような限定合理性を人間の基本的なモデルとして、経済や経営組織を検討する必要があると提示したのが、ハーバート・A・サイモン(1916-2001)です。彼は、「組織における人間限定合理性意思決定過程の研究」で、1978年にノーベル経済学賞を受賞しています。また、彼の後進たちによる組織行動理論をカーネギー学派と呼びます。

カーネギー学派の貢献は、人間像を新しく定義し直したことです。安定の時にこそ、外的な変化の予兆を掴むための情報収集や分析を止めるべきでない理由を論理立てて説明したことにあります。最適なシステムを完成させたら、直ぐにそれを作り直すために動き出すという一見すると非合理的な行動が、中長期的には合理的であるということを踏まえておくこと。経営者がそのような行動を取ること、組織を再構築する仕組みを組み込んでいくこと。生物学でいう「動的均衡」の状態を失うときが、会社・団体が瓦解するときだということを教えています。




2021年2月3日水曜日

周りから一つ頭を抜け出したい場合には自分の「立ち位置」と「能力の特徴」のどちらに目を向けるべきか

こんにちは。辻井洋行です。

あなたは何か新しい物事に取り組むとき、周りとの関係を考慮して自分の立ち位置を決めるところから始めますか、もしくは自分の自力からできる事は何かということを検討しますか。どちらも自分が他の人よりも、優位性を発揮するにはどうすればいいかという問題を解くための問いの立て方となります。

このような問題を企業経営に当てはめているのが、経営戦略論という研究分野です。立ち位置の定義の仕方から考えるのは、「ポジショニング学派」といいます。このポジショニングに注目する人たちは、他社との明確な戦略性の違いを定義し実践することが、競争上の優位性を作るために重要だと考えます。基本的にポジションの取り方には、3つあります。他社よりもとことん低コストでものを作り販売するコストリーダーシップ戦略、他社との違いを明確にし、プレミアムを作り出すことで高い利益率を得る差別化戦略、そして、前の2つについて特定のユーザーに目を向けるニッチ戦略です。

もう一つは、「RBV;リソース・ベースド・ビュー学派」で、自社の経営資源の持つ性質から、競争優位性を作るための経営戦略を検討する立場です。経営資源に注目する人たちは、経営資源の、経済価値や希少性、他者からの模倣困難さ、経営管理上の仕込みに優位性の根拠を求めます。

私たち個人に応用すれば、他の人と違うことをやるというポジションの取り方、自分の能力の価値ということを見つめ直すこと、両方ともが、自身が他の人よりも一つ頭を抜け出すために必要な視点や評価法であることに気づきます。組織理論や経営理論を個人の行動に当てはめることは少々乱暴なのですが、例え話としては有効なように思います。



 

2021年2月2日火曜日

つぶしが効かないより効く方が好まれることをリアル・オプションという

こんにちは。辻井洋行です。

自由でないより自由な方がいい。つぶしが効かないよりは効く方がいい。こういう直感を説明していれるのが、「リアル・オプション」という考え方です。 

これは、もともとは金融工学の分野で発展した資産売買の権利の価格を決める理論を元にしたものです。特に、先のことを見通すことが難しい時には、評価が定まってしまっているものよりも、評価に柔軟性を見込むことのできるものの方が、高い評価を受けて売買されることになります。

例えば、おなじみのディアゴスティーニ社の工作キットは、最後まで買いそろえると7-8万円くらいを支払うことになるのですが、創刊号は600円くらいに設定しています。それによって、消費者は、始めから大きな投資をせず、気に入らなければいつでも止められるというオプションを買っていることになります。

見方を変えれば、消費者にとっては、創刊号には7-8万円の価値があるので、ついついお得感から買い始めることになります。もし、面白いかどうか分からない、煮ても焼いても食えないセットをいきなり7-8万円で買わされるとすれば、そのセットには600円くらいの価値しか見いだせていないということになるでしょう。

また、日本の伝統的な大企業で、ゼネラリストが重宝される職場があったとしましょう。そこでは、会社の都合で人材を色々な部署へ配置転換させることになります。その職場に、専門性を極めた専門家を採用してしまうと配置転換の柔軟性が損なわれてしまいます。それよりは、地頭がよくどんな部署でも適応して仕事をしてくれそうな学卒者を採用する方が、都合がよくなります。

日本の企業で、専門性の必要な技術系の職種以外に、院卒者が採用されて来なかったのは、そのような事情が効いているのでしょう。組織の都合を最大化してくれるオプションは、専門性にこだわらない地頭の良い人ということになります。一方で、専門性が必要な職場や職種では、専門性の高さが不確実性に対処するために有利になり、オプションとしての価値が高くなります。

こういう判断は、感覚的に行われていますが、「リアル・オプション」という概念を与えることによって、論理的に組み立てて思考・評価できるようになるし、概念としての共通理解があれば、一言で説明がつくので便利ですね。



2021年2月1日月曜日

気合いで頑張ります!ではいい仕事に当たらない

こんにちは。辻井洋行です。

大学3年生向けのキャリアプランニングの授業では、「課題解決型人材として就活できるようになろう」という学習達成目標を立てています。その根本にあるのは、「人材への対価は、課題解決への報酬として支払われる」という考え方です。採用側からみれば、会社に貢献してくれるかどうかが採否の分かれ目となります。

では、企業が抱える解決すべき課題は、どうやって知ればよいのでしょうか。わたしの授業では、上場企業であれば有価証券報告書の「 経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」と「事業等のリスク」欄を読んで、掴んでもらうようにしています。有価証券報告書は、株主に対して経営状況を報告するためのものであり、虚偽の内容を書いてはならないものです。従って、そこに書いてあることは、対象企業が認識している自社の取り組むべき課題やリスクであるということになります。

受講生は、その前段として、ビジネスモデル・キャンバスを使って、自分自身の事業モデルを整理し、それを実現しつつ課題解決に貢献できる企業を探し出すことになります。

このカリキュラムを通じて時々見つけるのは、上の欄に課題らしい課題やリスクらしいリスクを記入していない企業があることです。場合によっては、「取り組むべき課題に大きな変化はない」という内容の無い記述です。

今日、どんな産業界や個別企業においても、取り組むべき課題がないとは考え難いものです。その記述がないということは、課題を積極的に認知していないということになります。また、株主総会において、そのような内容の有報が承認されているとすれば、いよいよチェック機能が働いていないということかもしれません。受講生には、ちょっとその会社については、慎重に考えた方がよいのではと助言することのあります。

求職サイドの大学生が、気合いで頑張ります!という気持ちの強さや愛嬌の良さだけで職を得ようとしても、同じことを自己PRにする競争相手が多すぎるので、採用面接に漕ぎ着ける前に仕分けられてしまいます。具体的なスキルで不利な大学生でも、物事の捉え方や課題解決へのアイデアを示すことはなんとかできるでしょう。他の競争相手とは、すこし違う姿勢で就活に取り組むための準備を手伝っているのです。

あとは、受講生が、この授業で取り組んだ訓練を実際に活用してくれることを願うばかりです。また、課題解決の集団である企業であれば、そのビジョンを持つ人をどんどん採用して行ってもらいたいと思います。