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2012年6月22日金曜日

飛行機を眺める

飛行機の気配を感じると反射的に空を見上げてしまう。
なにか気が高ぶり、機影を確認したくてたまらなくなって
しまうのである。

子供の頃、奈良の山村で育った僕にとって、飛行機は、
遙か上空を細い雲を引いていく羽虫のような存在だった。
音を聞くことはほとんどなく、飛行機雲だけが、
その存在を知らせるシグナルだったのである。

それが、毎日のように頭の上を掠めて飛んでいく。
もちろん、そういう状況を気楽に眺められる場所ばかりが
この世のすべてであるとは思わない。

ただ、僕にとっては、子供の頃からの憧れが、
毎日のように間近で眺められることが幸せなのである。

訓練機に混じって、ブルーインパルスが練習しているのを
見かけることがある。もともと宮城県の松島にベースメント
を構えるはずが、3.11以降は、ずっと福岡で活動している。
きっとパイロットや運営スタッフのご家族は、宮城にいるの
だろうに。きっと、不便な生活の中で、毎日活動して
いらっしゃるのではないか。

ブルーインパルスが、松島に戻るのは、当該地の復興が
成された時なのだろう。それを僕は願う。ただし、その時は
ここで毎日のようにブルーインパルスの機影を追うことが
できなくなるときでもあるのだけど。

2012年6月21日木曜日

分かってるのなら

ブログに何かを書き留めようという日とそうでない日との差がある。
そんなことでは、とても「物書き」にはなれないのだけど、そうである
のだから仕方がない。「物書き」には、きっと、
書かなければ自分の人格がどうにかなってしまうという衝動に駆られている人と
書かなければ生活が成り立って行かないから書くという人がいるのだろう。
それでも、書き続けているという意味においては、僕にとって尊敬に値する方々である。

書くという行為は、不思議なもので、必要に駆られてでも、何かを書いているうちに、
筆がのってくるということが起こる。
キーボードをどんどんたたいている内に、余計なことまで書いてしまう。
書くことが習慣になれば、その「のってくる」ということが、
どんどん増えてくるのだろう。その習慣を作るには、まずは意識的に書き連ねていく
しかないのだと思う。

書くことがあるときも、無いときも、変わらず原稿用紙に向かうこと。
それが「物書き」への路なのだと思う。それを怠るようでは
思うようにはなれないに違いない。日々の習慣が、将来を築いていくのだとすれば、
自分に必要と思うことをやり続けるしかないのである。
「分かっちゃいるけど」ではなく、「分かってるのなら」なのである。

2012年6月11日月曜日

公開講座を終えて

週末の土曜日は、大学の公開講座を開いた。
第5回は、環境問題と産業・企業-中国の場合-
というテーマで、私と宋くん、敖くんが登壇した。

受講者の多くは、熱心な年配の皆さんで、
頷きながら、ほーっと声を上げながら、
聴講して下さった。大学の一般の講義では、
見聞きできない反応である。

宋くんと敖くんにとって、このような講座は、
いつもの聞き手という立ち位置を話し手に
切り替える機会になる。
一般の方々に、分かりやすく丁寧に話すという訓練になる。

今回は、5回シリーズの内の1コマのみだった。
きっと5コマ開講すれば、ワークショップや
受講者による発表など、工夫をこらせるかもしれない。

受講者の方から、「自分たちも、北九州に学ぶ留学生に
街の産業発展と環境問題の歴史を知ってもらうために
何かしないとね」という有り難い言葉を頂いた。

大学と市民、産業が連携して学生を育む空間を
作っていけるならどんなにいいだろうか。
そのような場所は、学生にとってまたとない学びの
機会を得られる地域ということになるだろう。

2012年6月9日土曜日

大学生協理事の仕事

いま勤めている大学の生協で理事を務めて3年目になる。
具体的な活動は、月に1回の理事会への出席で、
月ごとの活動と会計報告を伺い必要であれば
意見を申し述べるという程度のものである。

昨年度は、色々と都合が重なり出席がままならない
状況が続いた。ほとんど貢献はできなかったと
いってよい。

この理事会は、会社でいう取締役会に当たる。
供給高や剰余高で、食堂や販売店の営業業績を
毎月見せて頂く。予算と実績の開きや前年度
実績とのギャップなど大きな数字の開きがあれば、
その理由は何かを問うのが理事の役割である。

それでも所見で資料を見渡して、有効な意見を
出すのは簡単なことではない。それでも、
短い時間で、理事としての役割を発揮することに
集中する真剣勝負の瞬間である。
貴重な時間を割いて、出席していると思えば
なおさら有意義な時間として過ごしたいと
思うものである。

むろん、現場で実際の運営をなさっている
職員の皆さんの知見が、店舗を支えていることには、
疑いの余地はない。それでも、理事という役割を
生協がおいているのであれば、その職責に応えられる
ように、力を尽くしたいと思う。

2012年6月8日金曜日

堪忍袋の緒が切れるのも

仕事上、相手への不満に苛まれることは少なくない。
どうしてこうなんだ、なんでちゃんとやらないんだと
頭に血が上り、沸騰直前に達する感を持つ経験は、
誰にもあるだろう。どれだけ、気の長い人だって、
そういうストレス源と長々と付き合っていたら、
堪忍袋の緒も切れるというものである。

そういう思いをするのは相手に非があるからだと
決めつけてしまいがちであるが、果たしてそうなのだろうか。
相手にそういう行いをさせている自分自身の
説明や段取り、場合によっては、相手への動機付けの
方法に足りないところはないだろうか。

様々な愚痴や批判も、その原因をずーっと辿っていけば、
自分に戻ってくることが少なくないように思う。
ここでは、理解のための具体例は避け、読者の経験に
委ねることにしようと思う。
まずは、自分の力不足を責める自己批判が必要であり、
それを笑いながら公表し、改善のための工夫に、
相手と取り組むくらいの度量の広さが仕事をする上では
必要なんじゃないかな。

身から出た錆とは、よくいったものである。
すべて自分から問題が生じていると思えば、
怒る気にはなれないはずである。

もちろん、ストレスを貯めすぎて、精神的に参って
しまっては面白くない。それでも、自分自身で導ける
解決策に目をやる方が、相手にプリプリ怒るよりも
随分生産的なのだろう。

2012年6月7日木曜日

日記とは名付けたものの

日記とは名付けたものの、日々の更新が全然できていない。
まとめて書くことが見つけられていないのだと思う。
ツイッターやフェイスブックで、ちょこちょこと書くことが
多くなっているのが、ひとつの要因である。
ツイッター以前は、毎日、ブログを書いていたのだけど、
いまは、そうなっていない。

今が自分にとって、そういう時期でないという解釈もできる
だろう。労力を割くべき対象が変わってしまった。
短い一日の数分を何のために使うのか、その優先順位が、
以前とは違っているのである。

それでも、これからものを書いて生きて行こうと思うのであれば、
まとまった思考の履歴を残していくことが、思考の地層をなし、
価値の基盤となってくれるのだろう。

看板は簡単に変えるべきではない。名付けは、軸としての初心
を表すものであるから。制約には、思考を自由にするという
側面がある。

こういうことを書きながら、日記が日記として成立していない
自分への言い訳を書いてみるのである。