毎日の下らないやり取りの中に、無駄や不要不急に、わたしたちの生の本質がある。コスパやタイパの追求は、何か必要があってなされているのかもしてないけど、それは表層的なことに過ぎない。生きることの意味は、自ら見い出していくものなのだけど、それもまた下らないことことの中に見つかるものなのだろう。下らないという表現は、都から地方へ下ってこないようなつまらないことなのだそうだ。そんなに下るものが山のようにあってたまるものか。ほとんどの物事は、下らないものなのだ。そんな普通の下らないものを愛でてていく。そして、ごく稀には下りうる物ごとを生み出してやろうという心の蒼さを残しつつ。