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2013年11月23日土曜日

若松商店街の成り立ち

 若松港が石炭積出港となったのは、1890年(明治23年)である。1891年(明治24年)に開業した筑豊興業鉄道は直方から若松港を結ぶ石炭貨物線であり、それ以前に遠賀川から洞海湾へ福岡藩が切り通した堀川に変わる輸送手段になった。若松の本町は、貨客の集まるターミナルだった。
 若松渡船は、明治期以前から若松村の名士が運行していた渡し舟をルーツとするものであり、1889年(明治22年)年から若松村による運行となった。地図をみると、国道199号線が、現在のウエル本町商店街とエスト本町商店街を抜けて、若松渡船場へつながっていることが分かる。この2つの商店街は、古くからの物流通路上に拓かれたものであった。エスト本町商店街と垂直に交わる明治町銀天街は、その名前に準じれば明治期になってから新設されたものということになるだろう。若戸渡船が若松と戸畑を結ぶ主要な交通手段であった明治期以前から、現在の商店街界隈に人が集うのは必然であったろう。これら商店街の立地する地域に、本町1−3丁目という名前がついていることからも、これらの商店街が地域の中心であったことが推察できる。
 1962年(昭和37年)に若戸大橋が架かってからは、人々の日常的な移動は、これら商店街を跨ぎ、迂回するルートを取るように大きく変わった。自家用車とバス路線の開設により、若戸渡船の日常的な利用が減ると本町の商店街を通過する往来客の数も必然的に少なくなった。

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