アメリカ人は、ピザの耳を食べない。これには、驚いた。
大学のセミナーでピザが振る舞われる時には、大量の耳が紙皿と一緒に捨てられているのを目にするし、学校の給食で一切れ出される時にも、耳だけは食べずに残すのが普通だというのである。
ピザは、たいてい丸形をしていて、その真ん中から外に向けて、ソースが塗られ、具材とチーズが載せられて、窯焼きになる。ピザの耳は、端っこの方のことで、生地がむき出しのままになっているのである。ピザ生地の素の味が好きだという変わり者でない限り、それをわざわざ食べる必要はないというのだろう。
それを知っているピザ店の中には、ピザの耳にチーズを入れ込んであるよ!とか、ピザの耳をディップするソース付きだよ!という工夫をして、食べ残しが出ないようにしている。これは、きっと作り手の商品に対する愛情に違いないと思いたい。
しかし、味が付いていないからといって、ピザの耳を捨ててしまうのは、食べものを粗末にしていることであり、とっても残念な気持ちがする。幼稚園や小学校でも、食べ物を工作の材料にしたりしているのをみると常識の違いを感じさせられる。たとえば、マシュマロをボンドで紙に付けてヒツジのデザインにするとか。
食べ物に対するこのような扱い方は、有り余る食物を持つ豊かな国に住む人たちのおごりに思える。そういうことを意識していないなら、尚更見直すべきなんじゃないだろうか。
もちろん、このことは、僕の身の回り数十メートルで起こったことを取り上げたに過ぎないので、気の利いた研究があればそれを読んでみたい。また、日本を含めて、他の国でも、そのようなことがあるか、調べてみると面白ろかろう。
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写真は、サンパウロでごちそうになったピザ。椎茸と干しトマトが印象的だった。もちろん、耳まで感触したよ。
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