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2017年6月29日木曜日

梅雨である。

 梅雨らしくなってきた。この辺りでは、まとまった雨ではないが、一日中ぐずついた空が続いている。庭に植えてあるプチトマトの背丈が十分に伸びて、実がつき始めている。トマトは元々乾いた地域の植物なので、水を取りすぎると実が水分で破裂してしまう。一昨年にそれをみて、やはり、過剰な水やりはするまいと決めた。きっと、水をギリギリまで少なくすれば、トマトらしい風味に仕上がるのだろうけど、枯れるのが怖くて、その加減を掴めないままである。

 水も栄養も、与え過ぎるのはよくない。人の育成も同じで、情報を与え過ぎると人は自分で情報を求めなくなる。判断も然りである。周りの人が、なんでも感でも自分の代わりに判断してくれる環境で育ては、そのうち、判断を他人に任せる人になってしまう。それはなかなか深刻なことで、二十歳を過ぎて、他人に人生の針路を聞いてしまうような人に接することがあれば、なかなかの問題の根深さを推察して、呆然となってしまう。

 僕自身が、なんでもかんでも、親には事後説明で過ごしてきてしまったので、他人に人生を委ねてしまう人の気持ちの根本的なところを分かってあげられない。それは、僕の弱みなのかもしれない。うまく処方箋が書けないからだ。そういう時は、それが得意な人に、喜んで応対を任せることにしている。自分が巧くできないことを理解しているからこそ、無責任な対応はしたくないのである。

 梅雨である。寒さと乾燥の冬には、あれほど恋しかった潤いのシーズンが、まとわりつく湿気をもたらす深いなものにしか思えない。摂氏28度を超えないと冷房が機能しない職場では、例え湿度が80パーセントでも、摂氏27度では除湿さえなされない。このしゃくし定規に規定を守っているという建前主義とは、いったいなんなのだろうか。まあ、それもよい。僕の忍耐力を鍛える機会と思えば。

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