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2024年10月1日火曜日

自分より若い世代と仕事・活動を共にする中で、よりよく生きるということを改めて考えさせられている。それは、彼らのように生きればよいということではなくて、いまここで自身のできることに全てを集中させるということである。手続きの面倒に翻弄されがちな日々であっても、そんなことに心を奪われず、さっさと片付けて、心の赴く方へ進んで行くのがよい。

2024年9月20日金曜日

ハイエンドを目指すこと

 先週から、YZDA吉田智美さんを講師にお招きしたインテリアデザインWSを3大学合同で開いている。テーマは、米国の湖畔にあるハイエンド邸宅のキッチンデザインである。地域のコンテキスト、施主のパーソナリティ、先端的な機材の応用など、このような価値を反映した住まい作りに関われることのやり甲斐とは、どれほど大きいことか。

デザイン案を作る時に、pintarestを使って、先行事例を徹底的にレビューさせるのは、研究論文やビジネスモデル設計とよく似た点である。画像資料は、思考へ直接的に働きかけるものであるので、それに囚われ過ぎないように扱う必要はあるが、世の中にすでに流通している先端性をレビューすることは、その肩に載って次のステップへ飛躍することにつながる。

それは、学術研究のための文献調査と同じで、従来の研究と重複した提案には価値が臨めないことと同じである。一般住宅は、基本的にテンプレートの組み合わせでコストを施主にとって適切な範囲に留めることに役立っているが、ハイエンドの住宅では施主の目指す価値がそれとは異なるということ。

ビジネス・ローンチプランにも、同じ事がいえる。特に、スタートアップを目指すなら、唯一無二の価値を訴求してこその事業価値といえる。スモールビジネスでもベンチャーでもないところ。それぞれの価値の置きどころの異なりとして。

2024年6月19日水曜日

 久しぶりにブログを開いた。

ここ数ヶ月で、生活習慣が少しずつ変化してきている。大きな変化は、夜更かしをしないようになったことだ。去年は、よく丑三つ時までダラダラと起きていたものだけど、この頃は、12時には眠るようにしている。夜更かしをしないことで、遅い時間に、間食することがなくなった。眠りが足りているためか、日中に眠気を感じることも減ったと思う。

生活改善の取り組み始めは、行ったり来たりとしていたが、そのうち思うようなサイクルに落ち着いて来ているように思う。習慣を作るのは、簡単でないが、定着してしまえば、なんということもないものだなぁ。

2024年2月12日月曜日

葛の蔓を刈る

こんにちは。辻井洋行です。

この3連休をあなたはどのように過ごしていましたか

僕は、ひたすらゆっくりと休養を楽しみました。

2023年度には、いろいろなことに取り組んで経験値は

高まったと思うのですが、自身のドメインを定める内観を

疎かにしてしまっていました。

歩いた道が人生だという考え方もありますが、

時に立ち止まって、自分の心根に問いかける時間をとらなければ、

浮ついた時間が流れていくばかりになる。

そういう危機感を持つことになったのが、

2023年度だったように思います。

2月10日には、響灘ビオトープへ行って葛の蔓を刈って

来週の籠網の準備をしました。

講座を開く仕事をしてきていますが、

たまには、誰かが主催する講座に参加するのもいいものです。

感謝の気持ちを持ちながら。

 


2024年2月3日土曜日

手元にあるガジェットは、いつもスタンバっている状態であって欲しい。使う訳でもないのに、電池が満タンで稼働できる状態でないと不満である。古い腕時計も、いつ使うか分からないのに、止まっているのに気がついたらボタン電池を買いに走って、取り替え作業を行う。もうiPodで音を聞くことはないのだけど、気付いてせっせと充電している。なんのためということでもない。きっと自分の分身は、つねに動いていて欲しいということなのだろうか。放っておけばいいのに、手放せばいいのに、いつまでもそこにおいてあるだけなのに。

2024年1月19日金曜日

この歳になると放論はみっともないという気が働いてしまう。何か書くには、責任が伴うものだとも。それは、なんとなく言霊のようなものを感じているのかもしれない。このような電子データにも、肉声や手書きの文字と同じく発する者の魂が宿ると当人が思う。同じくそれを受け取る側もそう思う。それは、共同幻想なのかもしれないけど、相互のやり取りが断片的な形であるとしても成立している場合には、そう思わずにはいられない。だから、書くことに何か特別な思いを書き手として持ってしまう。そんなこと偉そうに四の五のしているうちに、誰かをニヤリとさせる粋なフレーズでも捻り出してみやがれってんだね。

2024年1月6日土曜日

毎日の下らないやり取りの中に、無駄や不要不急に、わたしたちの生の本質がある。コスパやタイパの追求は、何か必要があってなされているのかもしてないけど、それは表層的なことに過ぎない。生きることの意味は、自ら見い出していくものなのだけど、それもまた下らないことことの中に見つかるものなのだろう。下らないという表現は、都から地方へ下ってこないようなつまらないことなのだそうだ。そんなに下るものが山のようにあってたまるものか。ほとんどの物事は、下らないものなのだ。そんな普通の下らないものを愛でてていく。そして、ごく稀には下りうる物ごとを生み出してやろうという心の蒼さを残しつつ。

2024年1月4日木曜日

 SNSの分類の中でもブログは、古典的なツールのひとつであるが、この独立性に心地よさを覚える。ネットワーク上に記述する時点で、これらの言葉は、外へ放たれたものなのだけども。それでも、大して気遣いするわけでもなく、ペース配分を気にする必要もなく。キーボードを押す指にままに表現して、自分自身にもお咎めがないことが、魅力として感じられる。誰が読むわけでもなく、また自分で読み返すわけでもなく。

2024年1月1日月曜日

謹賀新年・辰年2024

新年おめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します!


2023年12月30日土曜日

名前を手書きすることの意味

年賀状を書き終わった。タイピングや音声入力が状態化している今日において、誰かの名前を手書きする少ない機会である。人の名前は、ご当人を象徴するものである。表意文字であるからこそ、名前には身体性が必ず含まれている。名前を手で書くことは、それをなぞり、その人のことを慮ることにつながるはずである。交通手段が充実した今日であるが、忙しい中で直接会うことは、簡単なことではない。そうであれば、この時期くらいは、手書きで相手の名前を書いみるのがいいのだろう。