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2014年12月5日金曜日

「経験のない若いうちにやりたいことなんて見つかるわけがない」という命題に対して

「経験のない若いうちにやりたいことなんて見つかるわけがない」という命題に対して、僕なりに整理をつけようとしている。僕は、若いうちにもやりたいことは見つかることがあると思っている。やりたいことが見つからないと言っている人は、目の前にある機会に眼をつむっているのではないだろうか。

人生の経験に多少の違いはあっても、その人なりの積み重ねがある。人との出会いがあり、物事との関わりがある。あの人みたいになりたい、あんなことをしてみたい。そう思っても、それを具体的にしてみない限り、自分自身の具体的な経験にはならない。

発想は着想にならないと実際的な価値を生まない。着想とする前に、これでは仕事にならないのではないか、給料をもらえないんじゃないかと考えるだけで諦めてしまう。具体的に取り組む前に発想を手放してしまうのである。

たとえば、子供の頃からバスケットボールが好きでたまらない。大学に来て、将来のことが分からない。きっと、過去と将来を分けてしまうから、その間の跳躍が難しいものになってしまう。

バスケットボールをやっている時に、シューズが滑ってけがをした経験がある。そのような経験をしない選手を増やしたい。そう思った人がたまたま工学部で学ぶことがあれば、材料の開発や力学を専攻して、技術を学びそれに関連する仕事に進むことができる。

学びのきっかけはバスケットボールでの経験であっても、宇宙開発の技術やナノテク医療の分野に関連する仕事の道が開けるかもしれないのである。

また、バスケットボールのゲーム運びの戦略に悩んだのであれば、ゲーム理論や応用統計学に進んで、フォーメーションや選手の人選について、基礎理論を学ぶことができる。

スポーツ理論や統計学を学び、バスケットボールの戦略アナリストを目指すことができる。しかし、それだけではない。それらの知見は、教育や金融の分野でも活かせる知的な経験になる。

肝心なことは、目の前にある機会を自分に関係があると思って、それに具体的に関わってみることである。具体的に行動をして、その行動から自然と派生して登場する新しい機会、人との出会いを大切にして、つかみとっていくことである。

行動しなければ、やりたいことなど見つからない。精神と肉体、両面で行動してみること。ビビッと来たら、考える前にまず行動してみること。好きか嫌いかは、行動してから判断すればよい。食わず嫌いで過ごすのはもったいない。

つまり、若い時には、やりたいことが見つからないのは、具体的に行動してみないからであると思う。誰かの意見や情報のみでやるかどうか判断するのではなく、自分の体でやってみる。判断や損得勘定は、そのあとで構わない。

僕自身は、学校の先生になりたい、国際的なテニスプレーヤーになりたい、途上国に関わる仕事がしたい、国連職員になりたいという思いと行動の変遷の中で、いまは、大学の教員をしている。やりたいことを見つけつつも、出会いや流れを大切にしてきた。そして、これから先にも変化が起こるはずだと思っている。

私たちには、本質的な意味で自由な意思はないのではないかということが研究されて来ている。たとえば、水が飲みたいという意思が生じる少し前から、水を欲する脳の部位は動き始めているという。意思は、それを後付けて生じているということが分かっているそうな。

その意味において、「ビビビッと来た」という感覚は、大切にするとよいのだろう。好きか嫌いかを後付けで判断するよりも前に、脳がそれを既に判断している。直感に従うということは、思い出せない重層的な記憶の履歴に基づくということだ。腹に落ちるという表現があるが、それは、生理的に受け入れられるということである。

ビビビッと来たら素直にやってみる。行動してみることで、脳の判断を検証していく。好き嫌いを意思の力だけで判断するのではなく、直感に従い、行動を通じて確かめていく。失敗したらやり直せばよい。手足を使って学びとること。行動しなければ、失敗することもないでしょ。

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