また、毎日の交通手段である自家用車が、故障無く動き続けるためのメンテナンス・サービスもまだ、自分で車の修理のできない僕にとっては、無くてはならないものである。
不便や不都合は、それが解決しなければ、どんどん時間や財産を浪費し、生活が立ち行かなくなってしまうこと、場合によっては命の危険にも繋がることである。
無いと困ることも前提が覆れば、無価値なものになる。学校の卒業資格は、仕事を得るためのパスポートになっているが、それは世の中の相互了解があるから、それを提供する学校は価値のあるものと見なされる。ただ、仕事のために学校で身に付けられることが、それ以外の方法でもなんとなるということになってしまえば、学校もまた就職のための場としては無価値なものになってしまう。
誰かの不便・不都合を解消するもの・ことは、交換の仕組みに乗ることで、経済的な価値を得ることになる。人には、得意不得意があり、制限のある時間の中で、上手くできることに差があるため、交換の動機が生じることになる。これは、世の中の実勢に沿ったことであるが、極めて都市的であると思う。専門分化し、限界価値を突き詰めているからこそ、他者との価値交換に意味を感じられる。百姓なら、なんでも自分でこさえてしまうのだから、交換の必要は都市住民に比べて少なくなるのだろう。
世界が都市化すれば、それだけ誰かに依存して生きる必要が生じ、誰か他の人のための課題解決に役立つことでしか、そこに居られなくなってしまう。都市化は、人と人との間の相互依存性を極端に高めるのである。
アントレプレナーシップというコンセプトもまた、そういう脈絡で成り立っているのだろう。
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