僕の中の引っ越し虫がうずくので、ここのところ、片付けをしている。抱えているものを減らすことを断捨離というのだけど、断捨離の本来の意味は、何が必要であるのかを見通すことあるし、突き詰めれば、どのように生きるのかをよく考え直すことなのだろう。
20代の頃は、2年に1度くらはいは、住処を変えていた。変えざるを得ない理由があったり、よい機会があったり、きっかけは色々なのだけど、引っ越しすることがよくあった。そのたびに、荷物の多さにうんざりしていた。
保土ケ谷区で間借りしたときには、大家さんに、「あなたねえ、男のなりして、持ち物が多すぎるのよ」と言われたことを今でもよく覚えている。彼女は、お茶のお師匠さんだったと思う。きっとスッキリした居室が当たり前だったのだと思う。
引っ越しは、僕にとっては、リフレッシュメントのひとつだった。環境を変えることで、心機一転新しいことに取り組む。住む場所が変わると人間関係も変わっていく。半ば意図と関係なく転居せざるを得ない時は、その変化も仕方なくやってきた。それでも、何かスッキリして、次のステップを目指せるようになった。
ここ数年は、ひと所に長く住むようになった。職場も変わらないので、オフィスワークの日は、いつも変わらない職場にいく。仕事がら個室を与えてもらっているので、部屋の中は、自分で何かをしない限りは、変化がない。その制限の中でできることは、模様替えである。
デスクの位置を変えてみたり、本棚をカテゴリー別に再整理したり。ただ、先週は思い立って、クローゼットの中にあった使わない古い機材や文具を一掃した。5年使わないものは、きっと6年目以降も使わないはずである。収納には限界があり、もう新しいものを持ち込めないのであれば、不要なものたちには遠慮してもらうしかない。
置いておけば、いつか使うかもしれない。いや、そんな日は決して来ないのである。そういう決心を持って、片付けに望んだ。絡まりきった配線たちもスッキリさせることができた。今の自分の仕事に必要な環境になるよう、常に最適化を目指していく。
Mac内のストレージも同様だ。情報には重量はないが、読み込みや書き出しをしていると重さを感じることができる。その電子データ、ホントに必要ですか。ストレージを管理するAIには、そういう問いかけができるくらい賢くなって欲しい。
僕の引っ越しの虫がうずく時は、きっと心の内外のギャップが表出している時なのだろう。内外関係を最適化しようという衝動が、模様替えや片付けへと僕をかき立てるのである。だたし、それは今のところ制限のある範囲であるが。いつか、大々的な片付けを行う日が来るのだろう。
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