そのように思うのは、自分は変わらないと信じているからなのだろう。毎朝、鏡に映る顔はそれほど変わらないし、考えていることにも大差はない。私には記憶があるので、以前にあったこともそれなりに覚えている。
いつもと違う車両に席を取って、なんだかいつもと違っているなんて思っていても、それは当たっていないかもしれない。同じようなことを思っている人は、私ばかりではないかもしれないからだ。もしかしたら、この車両にいる人たちの大半は、先週には隣の車両に乗っていたなんてこともあり得る。反対に、いつもの車両の乗客だって、そう入れ替えになっていても、変じゃない。
いつもの場所がいつもの通りであると思うのは、一種の願いであって、現実はそうではない。人の細胞は約7年で、そう入れ替えになるそうだ。車両の中吊りだって、定期的に張り替えられる。くたびれた部品は取り替えになり、窓に着いた汚れは拭き取られていく。
意識も、それが備わる身体も、共生菌や微生物も、隣に座っている人も、窓から見える景色だって、変わらず形や機能の釣り合いを保ちつつ、少しずつ変わって行っていく。私は、常に変わり行く最中に、変わらないものを見る。ただし、それは身勝手な願いに過ぎず、時は流れていく。刻一刻と。
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