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2012年6月7日木曜日

日記とは名付けたものの

日記とは名付けたものの、日々の更新が全然できていない。
まとめて書くことが見つけられていないのだと思う。
ツイッターやフェイスブックで、ちょこちょこと書くことが
多くなっているのが、ひとつの要因である。
ツイッター以前は、毎日、ブログを書いていたのだけど、
いまは、そうなっていない。

今が自分にとって、そういう時期でないという解釈もできる
だろう。労力を割くべき対象が変わってしまった。
短い一日の数分を何のために使うのか、その優先順位が、
以前とは違っているのである。

それでも、これからものを書いて生きて行こうと思うのであれば、
まとまった思考の履歴を残していくことが、思考の地層をなし、
価値の基盤となってくれるのだろう。

看板は簡単に変えるべきではない。名付けは、軸としての初心
を表すものであるから。制約には、思考を自由にするという
側面がある。

こういうことを書きながら、日記が日記として成立していない
自分への言い訳を書いてみるのである。

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