エコロジーの観点から生活を見直すのは、単純に節約すればよいということではありません。例えば、これまで出勤に自家用車を使っていたのを、乗り場乗りバスや鉄道へ切り替えること、ガソリン車を電気自動車に変えるということ、自転車にしてしまうということ。エネルギー消費の面では、自転車にするのが正解ということになるのでしょう。
ただしもっと踏み込むならば、そもそも通勤する必要があるのかどうか、さらに、自分にとって、その職場や仕事でなければならないのかという事まで考え直すとことにもなります。なぜその仕事をするのかを改めて問うことも、エコロジーがきっかけとなります。
気候変動への対応や持続的な社会発展の実現のために、資源・エネルギー利用節約や代替エネルギー資源への転換が図られてきています。ただ、既存の資源・エネルギーの利用節約は、気候変動への影響を先送りにしているばかりであるし、代替エネルギーへの転換は、それによる他の課題への対応に目をつぶることがあります。例えば、メガソーラーを建設するために、山林をわざわざ切り開くような行動です。
リチャード・ウェルフォード(R. Welford)という研究者が、1997年にHijacking Engironmentalismいう本で主張したのは、現代資本主義を前提とした環境主義は、資源生産性向上という課題へ矮小化されているということでした。Deep Ecologyの観点に立てば、世界を構成する要素の関係を全体感も持って認識し、そのバランスを取りながら、世界に一員として個の生を設計していくことになります。それが、効率性の追求という1点にのみに問題が矮小化され、政治・経済主流なエコロジー思考の流れになってしまっていることを問題とする必要があります。
人間には基本的に物事を単純化して考えようとする傾向があるようです。複雑な問題を扱うことは不得手であり、簡単な解決策があれば、それに飛びついてしまうのが私たちの性質のようです。ただし、そこには問題の根本的な解決はなく、その状況に生きる私たちは、茹で蛙として 茹で上がってしまうことを待つばかりです。
とはいえ、具体的な行動へ足を踏み出せない、頼りない矛盾した自分自身も存在しています。行動の設計と実践との間にある齟齬が、この問題の本質と思います。
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