次のことを毎日のルーティンとして自分に課すことにします。
旧暦の1月1日に当たる2月10日を前に、ここに書き記します。
気づいた方は、僕に問いかけて下さい。
・論文を1本読む。
・ブログを書く。
・1万歩ウォーキングする。
・腹筋、腕立て、背筋をする。
・新しい人物を知る。
Here I state to impose me those menu as everyday routine.
Please ask me, whether I have done it or not, if you mind it.
-Read one journal paper.
-Write blog.
-10,000 steps of walking.
-Sit-ups, push-up and back-extension as exercises.
-Knowing a new person.
Translate
2013年2月7日木曜日
2013年2月5日火曜日
大学教員の仕事
大学教員としての仕事の本質は何であるのかを改めて考える。大学教員にとって、もっとも重要な顧客は、学生である。学生がなければ、教員ではありえないのだから。学生を顧客としないで、研究のみに没頭したいのであれば、研究所に就職すればよいのである。
大学教員にとって、もっとも重要な顧客である学生の要望とは何か。それは、彼(彼女)らが、自分の将来を切り開いていく力を身に付けることである。場合によっては、(あるいは多くの場合には、)卒業証書さえくれれば、あとは何だっていいと認識している学生もいるだろう。ただし、卒業証書だけをもらって、大学卒業の資格をもっていても、世間の求める能力を発揮できない人は、職業人として生きていくことはできないし、失業してしまうこともあるだろう。自分で業をなすこともままならない。世界はグローバルな大競争の時代、国内では少子高齢化・成熟化経済の時代を迎えている。その世界で飯をくって生きていけるようになること。きっとそれは、「潜在的」な学生の要求なのではないだろうか。
世間の現状は、実際に足を踏み入れてみなければ分からないものであるが、その片鱗に触れさせることは、大学教員にもできることである。それにもまして、ものの見方や考え方、行動や振る舞いについて訓練を重ねさせることは、大学教員の仕事であろう。学生にとって授業を受けることや研究活動は、そのことを視野に納めたものでなければならないと思う。また、大学は交友関係を広げる場所でもある。これについては、教員がとやかくいうよりも、学生同士の間で上手くやってもらうしかないだろうが。
大学教員としての仕事は、学生に向かっている。そうでなければ、教員でなくてもよいのである。学生のことなんか構わず自分の研究にだけ没頭すればよいと思っている人が教員になっているのであれば、きっと大学をさって、研究所に籍を置く方が幸せに違いない。私自身は今現在、教員として活動しているのであるから、顧客である学生の成長を手伝うことに力点を置きたいと考えている。それが、少なくとも当分の間の私の仕事である。ま、その先のことは分からないけどね。
大学教員にとって、もっとも重要な顧客である学生の要望とは何か。それは、彼(彼女)らが、自分の将来を切り開いていく力を身に付けることである。場合によっては、(あるいは多くの場合には、)卒業証書さえくれれば、あとは何だっていいと認識している学生もいるだろう。ただし、卒業証書だけをもらって、大学卒業の資格をもっていても、世間の求める能力を発揮できない人は、職業人として生きていくことはできないし、失業してしまうこともあるだろう。自分で業をなすこともままならない。世界はグローバルな大競争の時代、国内では少子高齢化・成熟化経済の時代を迎えている。その世界で飯をくって生きていけるようになること。きっとそれは、「潜在的」な学生の要求なのではないだろうか。
世間の現状は、実際に足を踏み入れてみなければ分からないものであるが、その片鱗に触れさせることは、大学教員にもできることである。それにもまして、ものの見方や考え方、行動や振る舞いについて訓練を重ねさせることは、大学教員の仕事であろう。学生にとって授業を受けることや研究活動は、そのことを視野に納めたものでなければならないと思う。また、大学は交友関係を広げる場所でもある。これについては、教員がとやかくいうよりも、学生同士の間で上手くやってもらうしかないだろうが。
大学教員としての仕事は、学生に向かっている。そうでなければ、教員でなくてもよいのである。学生のことなんか構わず自分の研究にだけ没頭すればよいと思っている人が教員になっているのであれば、きっと大学をさって、研究所に籍を置く方が幸せに違いない。私自身は今現在、教員として活動しているのであるから、顧客である学生の成長を手伝うことに力点を置きたいと考えている。それが、少なくとも当分の間の私の仕事である。ま、その先のことは分からないけどね。
2013年2月4日月曜日
門司港レトロへ
2月3日(日)節分には、門司港レトロを訪れた。年間400万人がやってくるというこの風光明媚な港町は、大正時代には、日本を訪れたあのアインシュタイン博士も立ち寄り、今の三井倶楽部に宿泊したのに、旅立ったと聞いたことがある。
北九州市においては、押しも押されぬ観光地になった門司港であるが、数十年前までは寂れた町だったという。ただ、赤煉瓦を使った倉庫やビルだけがあった。その町の特徴を上手く捉えて、工夫を施し、今の賑わいを作るに至っている。それを誰が主導して、どのように活気づけていったのかを不勉強な僕はよく知らないが、地域の内外のこの町の持って要る潜在性にとりつかれた人たちが、ああでもこうでもないと良いながら、作り上げてきたものに違いない。
目の前にある門司港レトロ地区を眺めれば、もうそれに圧倒されてしまうしかないのであるが、僕たちが目を向けるべきは、この地区が今までに至った過程だと思う。ひとりひとりの小さな人が、この場所のために、どんなことをしてきたのか。きっと、計画を頓挫させるようなトラブルも頻発したのだろう。どれだけの人たちの思いと汗が、この町につぎ込まれているのだろう。時の流れに思いをはせた日だった。
北九州市においては、押しも押されぬ観光地になった門司港であるが、数十年前までは寂れた町だったという。ただ、赤煉瓦を使った倉庫やビルだけがあった。その町の特徴を上手く捉えて、工夫を施し、今の賑わいを作るに至っている。それを誰が主導して、どのように活気づけていったのかを不勉強な僕はよく知らないが、地域の内外のこの町の持って要る潜在性にとりつかれた人たちが、ああでもこうでもないと良いながら、作り上げてきたものに違いない。
目の前にある門司港レトロ地区を眺めれば、もうそれに圧倒されてしまうしかないのであるが、僕たちが目を向けるべきは、この地区が今までに至った過程だと思う。ひとりひとりの小さな人が、この場所のために、どんなことをしてきたのか。きっと、計画を頓挫させるようなトラブルも頻発したのだろう。どれだけの人たちの思いと汗が、この町につぎ込まれているのだろう。時の流れに思いをはせた日だった。
2013年1月30日水曜日
マイ・ウェブサイトの再構築
マイ・ウェブサイト作りは、これまで軽視してきたのだが、私自身がどんな人物であるのかを体系立てて知って頂くために必要な手段として見直し、再構築することにした。以前、iWebを用いてMobileMe上にあったウェブサイトはもう使えなくなってしまった。今回は、GoogleのGoogle Siteを活用している。
これで、Twitter、Facebook、Blogger、ウェブサイトという4種類のウェブ上の情報受発信をすべて持つことになった。
https://sites.google.com/site/webtsujii/
これで、Twitter、Facebook、Blogger、ウェブサイトという4種類のウェブ上の情報受発信をすべて持つことになった。
https://sites.google.com/site/webtsujii/
2012年12月31日月曜日
万物は流転する
(2007年6月6日のブログから)
日々私たちは流転する万物の中に生きている。
私たちが織りなす人間関係や広くみれば社会や
文化も常に流転し続けるものである。
変わらないと思える自分自身も日々流転する
存在である。ぼーと一日天井を眺めて過ごして
いるとしても、すべての感覚器から情報を取得し、
学習を続けているのである。
そう思えば、身の回りの関係性が変わるという
ことを許して、精神の平穏を保ったままで、
受け入れることができるはずである。
変わり続ける自分を棚に上げて、周りが変わる
ことを嘆いたり批判したりすることは、
フェアではないように思える。
人は変わる、世界も変わる。
変わると考える私の理性もいずれ変わるのだろう。
2012年12月17日月曜日
ゆく河の流れは絶えずして
人の世は、無常なりといえども、どうあってもよいと投げてしなうべきではない。かくありたい、よりよくありたいという強い思いで日々を生きること。そのような蒼氓の形づくる世が無常を表する。この切なさから、私たちは逃れることはできない。
ーーー
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
(鴨長明;方丈記 冒頭より)
ーーー
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
(鴨長明;方丈記 冒頭より)
2012年12月13日木曜日
あなたのために買い付けて来ました。
洋服の販売店がある。小さな商店街に立地する婦人服の販売店である。従来は、店主がこれまでの実績に沿って、自身の感覚で買い付けをしてきたのである。それが売上を減らして来た。店頭に並ぶ婦人服は、季節ごとに値札の価額を下げて、バーゲンセールでほとんどを投げ売りしてしまう。それでは、仕入コストを回収するのがやっとであり、新しく品揃えを充実させるなんていう展開はとても考えられない。
たとえば、次のような工夫はできないものだろうか。来店者と話して、どんなテイストの洋服が欲しいかを聞いてみる。形状、色柄、素材、価格などなど、来客者の要望を聞きとっていく。その要望に沿う服を店主が買い付けにいくのである。個別の来店者が欲しいと思う服をプロの目で買い付ける。欲しいものが、欲しい価格で提案されれば、来店者はそれをその価格で購入してくれるだろう。もちろん、店舗には、提案的な洋服を買いそろえておいてもよい。ただし、受注買い付け販売による販売を収益の中心に据えるようにしていく。
購入者の希望する価格によっては、買い付けコストを掛けすぎない工夫は必要となるだろうが、「あなたのために買い付けて来ました。」ということは、来店者の購買経験を充実させ、次の注文につながるのではないだろうか。「こんな服を探しているのですが」と店で聞いた時に、「そういうのは当店では扱っていないのですよ」と返されることがある。店舗のドメインは、経営戦略の軸となるものであるが、季節ごとのバーゲンセールで売上のほとんどを得ている店舗があるとすれば、売買構造を根本的に見直してみる価値があるのではないだろうか。
2012年12月4日火曜日
Blogger app
I've found this Blogger app this evening, I didn't know before. It must make me easy to upload blogs from know. I love SNS services to update communication with guys coming over distance, but to hold my thinking and arrange it for a long time, the blog has advantage, I believe. Anyway, app is just a gadget to write,it never write instead of me. Write and write!
2012年11月29日木曜日
ランドスケープはそこの暮らす人々の鑑である
一昨日から昨日まで、Landscaperランドスケーパーの佐々木知幸さんが、北九州に来てくれた。直接会うのは3回目のこと。大学で僕が担当する授業に特別講師として来て下さったのである。
僕自身は、植物について、全くの素人である。佐々木さんには、訪問したハイフォン市で、街路や会社の敷地内、郊外の鉱山などで、どんな植物があるのかを見て、これからどんな調査をしていくのかを見定め頂くのがお願いしたことであった。
今回の授業で、佐々木さんが掲げたテーマは、「企業とランドスケープの、これから」である。ランドスケープとはどういうことか、それを見ていくことで何が分かるようになるのかを解いて下さった。印象に残るのは、「ランドスケープは、そこに暮らす人々の鑑である」というメッセージである。
例えば、ファッションは、私たち自身が選択して身につける人為的な造作である。どんな服装を選ぶのかは、私たちが周りの人にどう見られたいのか、(どう見られても構わないということも含めて)という意図を反映している。
その人の内面を直接見ることはできないが、服装を見れば、それを間接的に感じることができる。それは、会社の外観や街並みについても言えることである。この補助線の引き方が秀逸だった。若い聞き手にとって、話を整理しやすくするメタファーだったと思う。
ランドスケープは、その街の風景であると同時に、その街に住む人がどういう内面を持ち、文化を育んでいるのかを表す鑑なのだということ。また、ランドスケープをデザインするということは、その街に住む人達が、自分たちがどのように見られたいのかを画策するということなのである。
工場立地法で、ある一定規模の事業所は、植栽をすることが義務付けられている。北九州の歴史ある事業所では、何十年も前からの植栽が基本になって、工場地においても地域の植生を形作って来ている。
洞海湾の周りを佐々木さんと訪ねていくと、人工的な植栽が歴史を重ねる中で新たに自生した植物を含めて更新していることに気づかされる。いつもなら、見過ごす風景に、引っかかることができるようになる。周囲の見方が変わる体験だった。
ランドスケープは、人為的な営みによるものである。一方で、人為の及ばない自然物を取り込みながら成り立つはずのものである。しかし、近代化の中では、人為の外にあるものをなるべく排除して、人為で成り立つものを選択しようとしてきた。
もちろん、人に動植物を愛でたい気持ちがあるからこそ、それを取り入れてきてはいる。洗練された街並みに、申し訳程度に植栽された樹木は、その気持ちの表れと言えるだろう。ただし、これからも同じでよいのかどうか。
宅地開発のための大造成作業は、何十年前から同じ方法論で進められる。樹木を皆伐し、山を崩して更地にして区画整理をしてから、申し訳程度の植栽を加える。そんな方法論は、もう時代遅れなのではないか。
そのような旧来の方法論で開発られた土地を私たちが好んで使いたいということであれば、それが私たちの内面を表しているということなのだろう。
もちろん、人間も自然から生じた自然物である。ある自然物が他の自然に干渉するということはありふれたこと。ただし、その干渉によって、新しい秩序が生まれるということを忘れては行けない。それが、人間にとって有利な秩序とは限らないからである。
以前、所ジョージさんが、交通ルールで「登りが優先」では登りの車が偉そうだから、「下りが遠慮」と表示した方がいいと言ったのを思い出す。僕は、人間なので、人為的に快適さを担保した空間で過ごしたい。だから、「自然優先」というつもりはないが、もうすこし人間が自然に「遠慮」するべきだと思う。
住宅や工場を造る時には、そこにある自然をご破算にするのではなく、すこし遠慮しながら進める。自然の中に「間借り」をしながら生きる術を構築していくべきである。それを1つの主義としながら、経済性との接点を見つけていくことが、新しい時代の英知として必要だと思う。
私たちが、「空気を読む」ことを得意とするなら、その延長線上で「自然を読む」こともできるのではないだろうか。これからの「森の生活」を構築していくこと。すでに取り組んでいる人は、佐々木さんも含めて何人もいらっしゃるだろう。僕は、彼らの英知を学んで行きたい。
この半年に、ランドスケーパーである佐々木さんとのやり取りを通じて考えたことを書き連ねてみました。感謝感謝であります。
2012年10月22日月曜日
お気を付けて
思えば、長くブログをアップデートせずに過ごしたものである。それは、僕のネット上での関心が、ツイッターとフェイスブックに傾いてしまったからなのかもしれない。また、まとまって何かを書き残したいという気持ちが高まらなかったからである。あれやこれやとスケジュールが立て込んでくると、細切れの時間を使おうという気にはなるものの、腰を落ち着けて何かを書こうと思えない。もちろん、僕なんかよりずっと忙しい人がごまんといて、長い文面を残しているのだから、それは言い訳にはならない。それでも、忙しさの感じ方は、人それぞれのもの。僕自身の自力を高めていくしかないのである。
今朝からお腹を中心に体調が思わしくない。ここのところ夜更かし気味で、睡眠を軽んじているのが原因であれば、すこし多めに寝ればよかろう。とにかく、今日は一日、様子を見よう。けだるさを忘れるくらいに集中して取り組めば、しらぬうちに、具合はよくなっているかもしれぬ。食事を軽めにして、できれば昼も少し歩いてリフレッシュしたいものである。積み残している仕事もあるので、こういう日こそ他の雑事を置いておいて、そちらに力を傾ければよい。具合のよくない時には、そこに自分の体があることに改めて気づかされると誰かが言ったが、今日はその日のようである。
とにもかくにも、これから1週間を走り抜けるために、大切な月曜日がやってきた。どちら様もご機嫌良う。お気をつけて。
今朝からお腹を中心に体調が思わしくない。ここのところ夜更かし気味で、睡眠を軽んじているのが原因であれば、すこし多めに寝ればよかろう。とにかく、今日は一日、様子を見よう。けだるさを忘れるくらいに集中して取り組めば、しらぬうちに、具合はよくなっているかもしれぬ。食事を軽めにして、できれば昼も少し歩いてリフレッシュしたいものである。積み残している仕事もあるので、こういう日こそ他の雑事を置いておいて、そちらに力を傾ければよい。具合のよくない時には、そこに自分の体があることに改めて気づかされると誰かが言ったが、今日はその日のようである。
とにもかくにも、これから1週間を走り抜けるために、大切な月曜日がやってきた。どちら様もご機嫌良う。お気をつけて。
登録:
投稿 (Atom)
