プノンペン市の生活雑排水を受け入れて、自然の沈澱作用によって ある程度まで浄化し、その向こうの河川へ流してくれていた沼地には限界がやってきた。稼げる街には人が集まる。人が集まれば汚れが生じるのは避けられない。街の南の果てにあるこの新しい下水処理場の許容能力は一日5000トン、ただ街からは日に28万トンの下水が生じているそうです。ぜんぜん処理能力が足りていない。人が自然の浄化能力の範囲内で経済活動を留めるような取り組みはなかなか稀なこと。人は経済力で自身の住む場を整えつつ進んでいくしかない。ただ、それがマッチポンプに過ぎないということを踏まえておくことも、一方で必要なことなのだろう。この処理場の周りでは、空心菜がみずみずしく育っている。これはひとつの生態系である。下水処理が究極まですすめば、この緑に余地はなくなる。その日はしばらく来ないものとは思われるが。
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2026年1月6日火曜日
2026年1月5日月曜日
自転車ヘルメット
ここ数年は、散歩とその延長上のゴルフくらいしか、運動らしきことをして来なかった。今回、自転車用ヘルメットを入れたので、しばらくはサイクリングをする理由ができた。形から入ることは大事だいじ。まずは、3日間つづけること、3週間、3ヶ月とつづけて、生活習慣にまで持っていくように。四の五のいわずに手足をうごかせ。
2026年1月4日日曜日
年末の風邪がずいぶんと癒えて、身体も軽くなってきた。何年ぶりかのことなので、体調不良というのは、こういうことだったかと思い出した。今朝から本棚の片付けをした。いくらかものを減らすことはできたが、基本的に詰め方をやり直してスペースをすこしばかり生み出したのみである。中古書店に手提げ袋2つ分持ち込むも、値が付いたのは漫画だけ。売れなさそうなものを引き取るのは、棚を占めてしまう分、タダでも高いものなのだろう。その後は、家具屋へ行って、ずっと懸案だった書斎の椅子を購入した。ひとつ前のものは、仕事をし始めた頃のものなので、22−3年前のことだろうか。これまで、しばらく折りたたみ椅子を使っていたので、新調したものは座りやすい。椅子を仕入れることなどめったにないことなので、座り心地に隔世の感がある。しばらくは気分よく過ごせそうである。
2026年1月3日土曜日
2026年1月2日金曜日
2025年11月21日金曜日
2025年11月14日金曜日
2025年8月31日日曜日
科目「経営入門」2025夏
来週9月1日から5日まで、夏期集中科目「経営入門」に取り組みます。地域の「名物社長」6名と学生が、経営するとはどういうことか?どうすれば職場の創造性を高めることができるのか?という問いの取り組みます。受講生たちは、訪問取材に基づき学生新聞の形で検討成果を取りまとめFAISさんのウェブサイトで公開します。
From September 1 to 5, I will be working on an intensive summer course, "Introduction to Management. Six “famous presidents” from the community and students will discuss what it means to run a business? How can we enhance creativity in the workplace? The students will tackle these questions. The students will compile their findings in the form of a student newspaper based on their interviews and publish them on the FAIS website.2025年8月1日金曜日
模様替えで慰めて
模様替えが好きなのは、目に入る身の回りのものを変えることにより、自分自身にも何か変化が起こることを期待しているからなのだろう。無論、自分自身も刻一刻と変化している。身体的な変化は植物と同じように刻一刻と進むが、大きなものではない。ジワジワと進み、ふと気づけばずいぶん以前とかけ離れていたことに気づく。それは、何かを身に付けたことなのかもしれない。ただ、何かを得るということは、何かを失うことでもある。初めてのことは、二度と訪れることはない。とはいえ、これまでにない体験は、いくらでも訪れてくる。二十歳のことは、2年ごとに引っ越しをしていた。住む場所が変わることには、特に抵抗感はない。新しい街、あたらしい人に適応していけば、そこそこ上手く過ごしていける。それを繰り返したら、コミュニティがどんどん増えて、世間がより広くなっていくものと思えばよい。ただ、それがなかなか叶わないため、せめて模様替えをすることで、自身を慰めているのかもしれない。


