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2019年5月11日土曜日

歩行者と車

こんにちは。辻井洋行です。

横断帯に歩行者が待っていたら、車やバイクは止まって、先に通してあげるのが、交通マナーでありルールである。テレビで、東京オリンピックがやって来るのだけど、都内での交通事故が心配と話しているの聞いて、ああそうなんだろうなと改めて思い直した。

ぼくも、このマナーについてはずいぶん忘れていた。教習所では、学んでいるはずのことである。改めて意識することになったのは、1年間米国へ留学した時だ。米国では、まあ、ぼくが住んでいた町の周辺だけなのかもしれないのだけど、道路での歩行者優先は徹底されていた。信号の無い交差点、横断歩道の前に立つと、通り過ぎようとする車は、必ず停止線で止まってくれる。これは、無視できないこと。ぼくも運転免許を取ってからは、それを守った。

日本では、交通ルールにはそう書いてあっても、実際は、車は歩行者のために止まらないものということが、常識化しているようである。「飛び出すな、車は急に止まれない」というのは、歩行者が身を守るための標語なのだけど、そもそも直ぐに止まれないようなスピードで歩行者がいる道を車を走らせてはいけないのである。

米国での歩行者保護、特に、子どもへの保護は、想像以上だった。黄色のスクールバスは、セサミストリートでおなじみであるが、たいていどこの州にいっても同じデザインである。「登下校の際、子どもたちが乗り降りしている時に、一般の車は、スクールバスを追い越してはならない」というルールがある。これは、スクールバスの陰から子どもたちが道を横断しようと飛び出してくるかもしれないからである。さらに、スクールバスそのものにも仕掛けがある。それは、車体の前後に一本ずつ据え付けられたバーである。子どもたちが乗り降りしている時には、このバーが90度開いて、子どもたちがバスの向こう側へ渡ろうとするのを止めるのである。


車は基本的に前に進みたがっている乗り物である。運転している当人も、目的の場所へ早く着きたいし、走っているのを楽しみたい。だから、のろのろと歩いている歩行者には、そこで待っていてもらって、車を先に通して欲しい。そう思うのだろう。さらには、この車社会では車が主役なんだから、車こそが優先なんだとまで、考えがちになる。

しかし、一度ためしに横断帯で歩行者に譲ってみたらしい。歩行者に譲ることで進めなかったわずかな距離は、すぐに取り戻せてしまうのである。それくらいの余裕を見せる方が、かっこいいドライバーのはずである。そして、車は、あの米国のスクールバスのように、やさしく歩行者を見守るものでありたい。歩行者を怖い思いにさせるのは、車だって本位でないに違いない。

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