紙の本は、かさばるという難点があるけど、直ぐに開いて、好きな場所から読み始められるという利点がある。表紙の質感、ページを埋めるフォントの印象は、工業製品ではあるのだけど、著者の思いを乗せている。実態としてのもの、著者の形見がそこに具現化されているのである。
もちろん肉筆ほどの具体性は活字の本にはない。かえって肉筆は、筆者の思いを強く反映しすぎて、作品として読み込むにはノイズが多すぎる。その点を活字がいくらか中和し、意味を読み取りやすくてくれている。
肉筆原稿の写しを製本したものは、読み物というよりも、鑑賞する絵画のようなものであり、楽しみ方が異なるものである。なにか、職場や茶店などいつも外で会っている人の自宅に上がりこんだような感じ。外で会う時は、その人の一部の情報と接しているだけなのに、自宅にいけば、ドッと多すぎる情報の波に飲み込まれてしまうような。そうなると、筆者が伝えようとしている事柄の断片を摘まみあげ、自分なりの解釈を加えて楽しむ心の余裕はなくなってしまう。
このように考えれば、紙の本は良くできたひとつの設えである。電子書籍には、今のところ、実現できていない質感である。凝った装丁の本ほど、電子書籍には実現できない世界観を作りだしている。
これからも紙の本は、贅沢品になりすぎず、著者の表現をちょうど良く反映する媒体であり続けて欲しいものだなあ。
0 件のコメント:
コメントを投稿