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2021年8月30日月曜日
長雨が引き立てる青
2021年8月29日日曜日
職場近くのカーシェアサービス
こんにちは。辻井洋行です。
うちの職場の隣に、カーシェアサービスの車両が2台止まっています。何ヶ月かサービスが続いているようなのですが、どういう人がユーザーになっているのだろうかなと想像しています。通勤・通学者は、自家用車・バイク、バスが主な移動手段になっています。各学校や団体には、共用の公用車が備えられています。そういう中で、この車両は、どういう使われ方をしているのでしょうか。公用車が足りない時の補完的な役割かな。
きっと私が想定しない用途があるのかもしれませんね。
2021年8月27日金曜日
どこかで買ったホットドッグ
2021年8月26日木曜日
ワクチンと食べ物
2021年8月25日水曜日
ハロウィンまであと
こんにちは。辻井洋行です。
先日、ダイソーを覗いたら、まだ8月中旬なのに、ハロウィングッズが並んでいました。季節ものの販売は、早くすれば売れ行きの動向で増産減産の判断が効くし、関連グッズの展開にも有利に働くのかもしれません。
収穫に感謝し命について考える祭事としては、日本のお祭りも同根なのだと思うのですが、日本のお祭りグッズでは、アイキャッチが足りないのかもしれない。豆絞りを首にかけ、はっぴを羽織るというのは、きっと30年くらいしたらひとまわりして、また流行始めるのかもしれません。
ハロウィンが定着して来たのであれば、そろそろそういうこともグッズに添えて展開することで、恵みや命の尊さについて、考える機会が得られるのかもしれない。
ハロウィンを今の形にしたのは、アメリカ人らしいのだけど、その昔、不景気の頃、ハロウィンはいたずらが行き過ぎて、街が大変な惨状になってしまっていたらしい。そこで、Trick or Treatが発明された。ひとつかみのお菓子で、お化けが気を静めてくれるのなら、お安いもの。
人の中でも自然により近い子どもたちが、怖い自然の化身として街を練り歩く。自然が怖い大人は、その得体の知れないものにお供えものをして、過ぎ去ってしまうのを祈るのみ。決まり文句も言わずに「お菓子下さい」というのであれば、神社やお寺の境内から撒かれるお餅を奪い合う方が生きている実感を得られるのだろう。
2021年8月24日火曜日
現場で培われる力は小さくない
こんにちは。辻井洋行です。
来週には、6日間連続の集中講義「経営入門」を控えていて、準備を進めています。受講生43名、企業経営者9名、役所と教員、TAを合わせて5名、総勢57名が動くプロジェクトとなっています。学ぶべき内容は、経営者の皆さんと受講生が持っているので、僕の仕事は、全体の流れを整えることにあります。
僕自身は、元来、単独行動が好きな質なので、組織的な動きは、どちらかというと苦手なのですが、この授業の切り盛りを通じて、それに必要な準備、段取りを少しずつ身につけて来ているように思います。こういうことには、近道はないですね。
現場で培われる力は小さくないということでしょうか。どのような場になっていくのか。関わる人たちにとって時間を掛けて良かった!と思える機会になるように、準備を進めて行きます。
2021年8月23日月曜日
実りはもたらす
2021年8月22日日曜日
人が憩うための場所
2021年8月20日金曜日
闇と光
こんにちは。辻井洋行です。
光は闇があってこそ映える。闇を照らす光を素敵に感じるのは、私たちの闇に対する恐れ、いつ捕食者に捉えられてしまうかもしれないという怖さが先にあり、その中での安心感を与えるものなのだろう。
一方で、闇の中の猥雑を想起させるものであるからかもしれない。猥雑は生の本源的なものにも通じる。ありとあらゆるものが、公明正大につまびらかにされていては、心が休まることはない。オープン過ぎる場所に人が根付かないのは、そういう理由なのではないだろうか。
私たちは、闇の中を少しの光を頼りに生きてきた。陽の当たる場所だけが生活の場ではなく、闇夜にこそ、生きることの本質があり、そのことを私たちのミームは伝えているのだろう。ハノイの夜は、それを思い出させる。
2021年8月18日水曜日
思うままに
こんにちは。辻井洋行です。
僕らが40年を過ごした世界の秩序が、どんどん変わって行っていることに気づく。その変化は、特定の誰かが意図したものではなく、物理的な制約とその範疇での名も無い人々の意思のうねりの中で進んでいるものである。
ヒトを含む生物種は、常に漸進的な変化の過程にいるが、個体の単位は基本的に保守的に振る舞う傾向があり、周辺の変化に気づいて態度を改めることを拒む。その世代がなんとか永らえたとしても、数世代のうちに不適応な種は無機物への還元され、次の融合を待つほか無くなる。
世界のうねりから見れば、小さな問題も、小さな目にとっては、抜き差しならないやっかい事である。これまで通りが良いという考えは、進化の遅れによるものである。学習は可能であっても、進化は何万年オーダーで進むものであり、学習成果が進化の板の上に載るには、相応の時の経過を待つしか無いのだろう。
学習スピードにしても個体差がある。だからといって現状打開すべく、ガラガラポンと行かないのは、私たちに意思・感情があるからである。意思・感情は、私たちを幸せにもするし、不幸にもする。不幸を疎ましがって、それを捨てるのは、ヒトであることを捨てるに等しい。ヒトとして生きることにいいとこ取りはなく、幸せばかりではない。
それでも、幸せをつかむためのノイズを引きずりながら、私たちは日々を生きているのだろう。まずは、緑をみて目を休め、よく眠って鋭気を養い、今日をまた踏み出そう。









