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2013年12月17日火曜日

卒業せねば。

ここ数日、早く大学を卒業せねばという思いがますます強くなってきた。大学教員が大学を卒業するというのは、大学組織に依存しなくても生きていける「人」になるということ。社会的な役割を果たすためのひとつの機会としての教員職であればよいが、その職を離れると生きていけないようでは、その職を充実したものとすることもままならない。自力を付けること、他にない存在になることが、必要である。今のキャリアは、そのための布石であり、自分に対して提供されている投資機会であると思っている。

2013年11月26日火曜日

盛況!学祭模擬店・焼き抹茶そば

盛況!学祭模擬店・焼き抹茶そば (9 photos)  昨11月9・10日は、勤め先の大学の響嵐祭で、模擬店を出店しました。勤務10年目で初参戦でした。私たちは、30-40代の家族連れをメインターゲットとした「焼き抹茶そば」を企画しました。商品内容は、抹茶が練り込まれたそばをパリパリに焼き、それに、金糸卵、甘辛牛肉を載せ、きざみ海苔、ネギ、紅葉おろしを添え、アツアツのめんつゆを掛けました。一杯300円は学祭店舗としては高めの価格設定でしたが、想定した世代の皆さんを中心にご好評頂き、なんとか300杯を販売することができました。  今回は、若松の御茶前田園の前田さんから、若松土産として販売中の「若松天使のカッパラーメン」の新メニュー展開を検討してみようということで、それを受けた出店でした。私たちは、ラーメンの麺を茶そばに見たて、山口川棚温泉の名物である瓦そば風のメニューとしました。麺は、同僚の高木さんが、ホットプレートでカリカリに焼き上げて、香ばしさを出しました。竹下さんの焼いた薄焼き卵の色つやも秀逸でした。また、本石さん、藤田さん、うちの家族も接客と集客に取り組んで下さいました。  私にとって20年ぶりの模擬店でした。おかげさまで、黒字を達成し、同僚5名で忘年会をする程度の利益を上げることができました。この出店は、本年限りで、もうやりません。花火は、ぱっと上がって、楽しませ、それっきりというのが良いものです。  レシピはこちら。http://cookpad.com/recipe/2389617  FBページはこちら。Facebook

2013年11月23日土曜日

若松商店街の成り立ち

 若松港が石炭積出港となったのは、1890年(明治23年)である。1891年(明治24年)に開業した筑豊興業鉄道は直方から若松港を結ぶ石炭貨物線であり、それ以前に遠賀川から洞海湾へ福岡藩が切り通した堀川に変わる輸送手段になった。若松の本町は、貨客の集まるターミナルだった。
 若松渡船は、明治期以前から若松村の名士が運行していた渡し舟をルーツとするものであり、1889年(明治22年)年から若松村による運行となった。地図をみると、国道199号線が、現在のウエル本町商店街とエスト本町商店街を抜けて、若松渡船場へつながっていることが分かる。この2つの商店街は、古くからの物流通路上に拓かれたものであった。エスト本町商店街と垂直に交わる明治町銀天街は、その名前に準じれば明治期になってから新設されたものということになるだろう。若戸渡船が若松と戸畑を結ぶ主要な交通手段であった明治期以前から、現在の商店街界隈に人が集うのは必然であったろう。これら商店街の立地する地域に、本町1−3丁目という名前がついていることからも、これらの商店街が地域の中心であったことが推察できる。
 1962年(昭和37年)に若戸大橋が架かってからは、人々の日常的な移動は、これら商店街を跨ぎ、迂回するルートを取るように大きく変わった。自家用車とバス路線の開設により、若戸渡船の日常的な利用が減ると本町の商店街を通過する往来客の数も必然的に少なくなった。

2013年11月22日金曜日

「人生には意味がある」のか。ま、お茶でも飲みながら

「人生には意味がある」と「人生には意味はなく強度だけがある」という人生論争がある。前者に立つ人は、後者を認識が足りないと笑うが、果たしてそうだろうか。人生の意味は、意識的に見いだしたものではなかろうか。それが意識的であるということは、自らにそう思わせているに過ぎないのではなかかろうか。根拠のない日々を生きる不安から逃れるために、自ら根拠を作り出しているのではないだろうか。この世に生きる種で、生きることの意味を云々言っているのは、ヒトのみである。ヒトのみが、生きることの意味を持つべき特別な存在であるというのは、すこし乱暴ではないか。

 ヒトが、ナマコから進化したのであるとして、その頃から生きる意味を意識したのだろうか。おそらく、意識は脳が記憶を獲得してからのことだろう。そう思えば、人生の意味は脳が生み出したものということにはなるまいか。記憶がなければ、人生の意味を問うことがそもそもない。生物種には、生態系の中に役割がある。それが生きる意味であるということもできるだろう。しかし、ヒトがいなくなったとしても、生態系にとって、それは一時の攪乱に過ぎないのであって、そのうち、改めて最適化を実現するのみである。この世に生きる種としてのヒトの意味は、その程度のものであるとして、それでも人生に意味があるというのには無理がある。

 私たちが、母から生まれたのは、一つの偶然である。いわば、受け身の生を行き始める。それが、そのうち主体的な個人であることを求められるようになる。個人は、英単語でIn-dividual、すなわち、不可分の存在であり、主体的に思考する他に代え難い存在であるという考え方がある。これを西洋近代的自我という。デカルトの「我思う故に我あり」という言葉は、ここでモノを考えている私という存在は疑いようがないということである。その主体的に思考する私が、空洞であっては仕方がない。何か芯があらねばらならい。この立派であるはずの私の中身が空っぽでは話にならない。その中身が、見当たらないのあれば、見つけださなければならない。自分探しは、この自我の概念に伴って必要となった。その芯こそが、生きる意味であり、存在価値であると思うことで、私たちは生の根拠のなさから解放され、不安を払拭することができるのである。



 私たちは、記憶を獲得して、他の生物と比べて有利に生きられるようになった見返りに、生きることの根拠のなさという不安を背負うことになった。そういう不便な存在なのだろう。一方で、「人生には意味はなく強度だけがある」という認識は、生命としてのそもそもの存在性に則した人生観であるとは言えまいか。近代以降の人間観には反するものの見方ではあるが、より生命の根源に近いように思える。この立場の違いは、生きることの根本をどこを始点として組み上げればいいのかを問うものである。従って、文頭の前者は後者を笑うことはできず、むしろ、自らの心の頼りにしている人生の有意味さの根拠を問い直す鏡として後者を扱うべきだろう。

2013年11月19日火曜日

学部科目「企業と技術者」(2年次選択)を新たに担当します。

 次年度からひびきのキャンパスで学部2年生向けに開講する「企業と技術者」という科目を担当します。国際環境工学部の中では、キャリア設計科目の1つとして位置づけられており、いよいよ2年生から自分のキャリアをどのように設計し、作りあげていくのか、大学で何を学び、経験していけばいいのかを考え、具体的に行動できるようになること。そういうことを目標とした科目に育てて行きたいと思います。

 授業には、実際に技術者(エンジニア)として、仕事に取り組んでいる方々に、特別講師としてご登壇頂いて、日々の仕事、これからのビジョン、学生時代のエピソードなどをお話頂いて、履修者諸君が自分の将来を具体的にイメージするための題材を提供して頂こうと思っています。世の中には、多様なエンジニアの活躍の場があるぞ!ということを履修者のみんなに知らせたいです。

 まだ、具体的には、どの方に登壇して頂くかが固まっていません。もし、自薦して頂ける方いらっしゃれば、私までお問い合わせ下さい。ただ授業予算が、それほど潤沢ではないので、福岡県内でご活躍の方々を優先させて頂きます。

2013年8月31日土曜日

産学合同インターンシップを振り返る

 サンアクアTOTO(株)での産学合同インターンシップは、8月30日(金)までで、10日間の日程を終えました。社長をはじめとする社員の皆さん、ファシリテーターやアドバイザーとしてご参加下さった企業と学校関係の皆さん、そして、研修生の皆さんに、まず感謝を申し上げたい。同社は、重度障がい者雇用の企業として、製品の品質、仕事の安全性、作業の負担軽減を追求なさっている。私は、2年目となった今回のインターンシップのスローガンを「実作業者の立場に寄り添った改善提案を行うこと」定め、研修生の皆さんには、それを常に意識しながら、実習やヒアリング調査、試作など、必要な活動に取り組んで頂いた。日を追うごとに、研修生たちは、自分たちで必要な活動を話し合って作り出していった。対象とする作業セルを担当する方のみならず、関連する他の社員の皆さんへのヒアリングを通じて、改善しようとしているセルが会社の業務プロセス全体の中でどのように位置づけられているのか、公式非公式のどのような人間関係の中で、担当の社員さんが仕事をしているのかを明らかにしていった。また、会社内外の生産工程に目を向け、改善のために取り入れられる工夫を集めて、それを試作し、具体的な図面に起こしていった。2チーム各4名、合計8名の研修生たちは、どんどんと有機的に連係して、ハード(機材・治具)とソフト(メンタル・投資回収)の両面から、アイデアを形にしたのである。もちろん、まだまだ提案の内容は、磨き上げる余地があり、製図も未完成ではある。それでも、会社の皆さまからは、研修生に改善提案をさせて良かったという言葉を頂くことができた。
 「近頃の若者は・・・」といわれることがよくある。それでも、彼らは、活躍のための機会さえ提供されれば、自ら役割を認識し、分担し、協力して、共有する目的の達成のために、活動することができるのである。多くの場合、学生の企業インターンシップは、見学をしてレポートを書いたり、生産作業に参加したりという範囲にとどまっていると聞く。私たちが取り組んだものは、社内の課題の解決に、取り組むという、深く踏み込んだ内容であった。このような機会が、他の企業においても学生に対して開かれることを切に望む。そのためには、大学関係者も工夫が必要である。
 このインターンシップは、いったん幕を閉じるが、これから継続して、改善提案した治具と作業セルの設計、部材発注、組み上げ、実装、効果の検証と続いていく。研修生たちは、3月下旬に再び同社に集まって、実際のものづくりに取り組むことになる。それまで、研修生には、それぞれの学校で、この2週間の経験を励みとして勉学に取り組んでもらえることを期待する。私は、学校で学ぶべきことは、学校の中にはないと思っている。彼らが学ぶことの目的を今回のインターンシップを通じて見つけだしてくれたのであれば、企画者として、それほど嬉しいことはない。秋からの授業がはじまって暫くしてから、研修生には、改めてインタビューに行きたい。また、研修生と深く関わった社員の方々にも、どのような変化が生じているのかいないのか、改めてお聞きしに行きたい。そのような、継続的な関わりを通じて、この産学合同インターンシップは、より意義深いものになっていくと考えている。
 ありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。

2013年8月27日火曜日

感動ある改善提案を

 先週から継続しているサンアクアTOTO(株)での産学合同インターンシップは、7日目を終えた。作業セルの改善提案は、デッサンを終えて、工学系学生によるCAD製図と文系学生による提案の経済評価とメンタル影響の見積もりに入ることになった。

8名の研修生は、2チームに分かれて勢力的に活動を展開している。先週はじめて合った別々の学校の学生がチームとして有機的に改善提案の構築のために協力し合いながら活動している。CAD製図は、会社から車で10分にある北九州工業高等専門学校のCAD室の機材をお借りしている。研修生たちは、授業で図面を作った経験があるものの、実際に会社で社員さんが実作業に使うための治具を設計するとあって、不慣れな中で真剣に取り組んでいる。

製図技能について足りないところは、教員と会社技術者の方の支援を受けながら、着実に作業を進めている。一方で、提案の経済評価とメンタル影響について検討する3名は、ファシリテーターの1人である守屋氏(東京エレクトロン(株)、NPO法人戦略的CSR研究会)のレクチャーを受けながら、必要な情報収集と分析に取り組んでいる。

本研修では、「実作業に取り組む社員さんの立場に寄り添った改善提案を行う」という方針の中で、ヒアリングや疑似障がいを設定した実習を通じて、研修生自身が改善の方向性を模索し、内容を作り上げて来ている。研修生たちの自力の強さを毎日感じている。残りの研修日数は3日である。分厚く、社員さんたちに感動を得て頂けるような改善提案としてとりまとめて行きたい。

2013年8月21日水曜日

当事者に寄り添ってこそ

 サンアクアTOTO(株)での産学合同インターンシップは、2日目を経過しました。この研修では、「体の動きに制限のある実作業者の立場に寄り添った改善提案をする」ということを重視しています。そのようなことは、障がい者雇用会社での研修なのだから、当然のことであると思えますが、特に身体上の動きに制限がない人は、そのことを忘れがちになります。
 昨日の組み立て実習では、研修生は、まず実作業を自分自身の容易な姿勢でやった上で、この作業セルを担当する職員の方に近い身体条件とするために、車いすに座り、右腕にウエイトをつけ、指の関節にテーピングを巻いて握力を制限した形で組み立て作業を行いました。端から見学する時には、簡単そうに見える作業は、実際に取り組むと手際よくこなすことが簡単でないことが分かります。さらに、体に制限をもうけることによって、よりそれが明らかになります。この経験によって、改善提案を検討する際に、必要な条件を当然含めて考えることができるようになります。また、実作業に取り組む職員の方の気持ちを少しでも汲み取れるようになると考えられます。
 この研修メニューは、共にこのプログラムを企画している守屋剛さん(東京エレクトロン(株)、NPO法人戦略的CSR研究会)のご指摘によるものです。昨年度の産学合同インターンシップでは、組み立て実習は行いましたが、研修生は自分の容易な方法での作業に取り組んだのみでした。研修最終日の改善提案の成果発表は、会社の社員の皆さんの前で行うのですが、研修生は自分たちの発案が、社員の皆さんに納得を持って受け入れられたという実感を持てなかったようでした。ことのことは、後に研修生に私たちが行ったヒアリングを通じて見えてきました。それはなぜだったのか。それは、私も含め、研修生が観察者の立場にしかなかったからではないか。相手に受け入れられる提案とは、実際にその機材や仕組みを運用することになる職員の方の立場で考えるプロセスを通じて、はじめて発案できるのではないか。もちろん、ご本人にはなれないわけですが、それに近づこうとする姿勢の中で得る気づきが下支えする発案でなければ意味が薄くなってしまう。その考えに基づいて、組み込んだのが本研修メニューでした。
 2日目を終えた時点で、研修生チーム(2チーム、各4名)は、それぞれの対象とする作業セルと職員さんの業務プロセスをおおよそ把握するという段階に至りました。業務プロセスの中から、より安全で、生産性の高まりそうな課題箇所を取り出し、どのような改善が可能か、知恵を絞るのが3日目になります。どのようなアイデアが出てくるのか、私自身も検討しつつ、研修生を伴走しながら、検討を進めていくことになります。

2013年8月16日金曜日

産学合同インターンシップに向けて

 来週から、2週間は、産学合同インターンシップに取り組みます。TOTO(株)の特例子会社であるサンアクアTOTO(株)の皆さまのご協力を頂くものです。同社は、重度障がい者雇用会社であり、TOTOグループの障がい者法定雇用率2.0%を支えるばかりでなく、広く世界で、障がい者が健常者と共に働く就業環境整備の普及促進にも取り組んでいます。

 今年で2年目になるこのインターンシップには、北九大2名、九女大2名、北九工専2名、有明工専2名の研修生と企業派遣のアドバイザー4名、大学高専教員が参加し、2つの作業セルの生産性向上のための改善に取り組みます。社長からの指示は、「カネを使わずにアタマを使いなさい」というもの。作業セルは、工員の方のリハビリの場でもあるため、全てを機械化・全自動化しては意味がありません。生産性を最大限に高めつつ、障がいを持つ方が力を発揮するための環境を整備することが必要になります。

 工学部や工専を卒業した人は、エンジニアとして、働く人たちのための環境を整備する役割を任されることになります。世の中には、取り組むべき様々な課題がありますが、その1つである障がい者の就業機会の拡大という課題に具体的に取り組み、将来のキャリアにおいて、大切なテーマとして欲しいと考えます。また、マネジメントの仕事に取り組む人にとっても、障がい者雇用を進めるアイデアや引き出しを多く持つ機会になることを望みます。健常者と障がい者とが同じ職場で働くには、まだまだ工夫が必要であるのが、世の中の現状です。障がい者雇用を進めることを目標として、そのための具体的なアイデアを深める訓練として欲しいと考えます。

 それにもまして大切だと思うのは、人の心に触れ、推し量り、思いやる心を深める時間を持つことです。世知辛く、競争の激しい社会の一員になる前に、そこで流されるばかりにならないための価値感を持つこと。そのための機会として、研修生の8名の皆さんには、このインターンシップに取り組んで欲しい。サンアクアTOTO(株)の皆さんの胸をお借りして、力を発揮して、忘れられない夏を作ろう!

2013年8月8日木曜日

振り返りの大切さ

 毎日の振り返りをする時間は、将来に向けて大切であると分かっていながら、それをせずにここ数日を過ごしてきた。日々は、淡々と過ぎていくものであり、振り返ろうが、そうしまいが同じである。多くの動物は、日々を振り返るという発想そのものを持たないが、私たち人間が、大きな記憶容量を持つに至ったがゆえに、その蓄えている記憶に何らかの意味づけを求めるようになったということなのだろう。もてあます情報を整理したい、将来に向けてどんな意味があるのかを確認したい。そういう心持ちが、振り返りという作業を必要としているであると思う。

 一年の計は元旦にありという。それは、みなみ平等に与えられた365日をどれだけ有意義に過ごせるかは、元旦の日にどんな構想を組めるのかによって決まるということだろうか。計画のためには、過去を振り返り、レビューする必要があるだろう。そういう意味では、年に1度だけ振り返れば十分だというようにも思える。毎日、振り返りを行い、記録を付け続けることは骨の折れる作業である。ゆえに、年に1度、そのような日があれば、十分なのかもしれない。しかし、年に1度では、何ヶ月も前のことを思い出すことさえ難しい。とすれば、一言一行でも書き残しておけば、記憶をたどりながら、振り返ることができる。

 いろいろと書いたが、要は、毎日何か書き残して、振り返りをする動機付けを高めようということ。サボりがちな自分への戒めと応援である。

2013年7月29日月曜日

この夏はクマゼミに

 週末の朝の日課といえば、セミ取りである。この春から住み始めた場所の近くには、サクラとトウノカエデが並ぶ遊歩道があり、そこでは無数のセミたちが迎えてくれるのである。主な種類は、クマゼミである。その名の通り大きな体で、発音器官を振るわせてシャシャシャシャ、ジージージーと朝から遠慮なくやっているのである。それをこちらも遠慮なく虫取り網で捕まえていく。もうこの暑い夏が始まってからのことなので、随分と捕獲の方法も心得てきた。その心得とは、虫取り網は振り回すべからずということである。セミを見つけたら、そーろっと網を構え、ゆっくりとセミに近づけ、これまたそろーっと被せるのである。そうすると異変を感じたセミが飛び立ち、まんまと網に飛び込むのである。先週当たりから、この心得に従うことで、捕獲率が高まって、どんどんと虫かごが満たされていくのである。
 セミをたくさん採っているうちに、セミというのは、どんな形をしているのか、興味を持つようになったので、水性クレヨンで描いてみた。緑色のものがクマゼミで、茶色のものがアブラゼミである。この辺りには、この2種類しか見られない。これからは、もうちょっと踏み込んで、習性や生態についても調べてみようかな。
 自分が住んでいる場所を知ること。セミからもきっと学ぶべきことがあるのだろう。この夏は、クマゼミにはまりそうである。




2013年7月25日木曜日

それぞれに

研究室の中だけでも学生たちの研究テーマは、実に様々である。世の中には、もうやり尽くされてしまったテーマばかりのように思うが、そうではないようである。人の持つ関心は本当に多様で、なぜそんなことに関心を持つようになったのか、そのルーツを訪ねるだけでも随分と興味深いものである。中にはやっつけ仕事のものがあることも否定できないのだが、自身の半生からにじみ出てくるような研究テーマもなくはない。きっと、それは自分の半生の謎を解く作業に取り組むようなものである。人は、自分が何者であるのか、なぜ生まれで、ここに生きているのかという意味を知りたいものである。人がそれぞれに依って立つ生きる意味はそれぞれ。研究テーマもまた、それぞれである。

2013年7月24日水曜日

2人のプロフェッショナルに会って

 専門性の深さと教養の広さが、豊かに生きる上で大切であるということは、ある程度一般の同意を得られることであると思う。そのポートフォリオをどのように造形するのが、生き方であるということになる。昨日は、2人のプロフェッショナルに会うことで、そのことを改めて思わされた。
 また、生きることの目的は、もっと個人的な思いでよいとも考えさせられた。大きな社会ビジョンを描くことは、自身の外的な世界に対するメッセージとして必要である。ただし、なぜをそれに取り組むのかという動機は、自分自身のエゴに基づいてもよいように思う。自身がどのように評価され、社会の中で位置づけられたいのか、人からどのようにほめられたいのか、どの程度の対価が欲しいのか。DesireやGreedに類する欲求も、自分を走らせるための大切な動力源になる。
 心の底からわき出る欲求を大切にした。そのような思いに駆られた一日だった。

2013年7月23日火曜日

皿倉山からの眺望

 北九州には皿倉山がある。九州山地の北の果てに位置し、その眺望は、筑前国から豊前国へ至る標高662メートルである。
 もうこの夏の暑さからは逃れられないと諦めかけた週末に、そうだ標高の高い山に登って避暑を楽しもうと帆柱ケーブルに飛び乗った。出発から、10分程度で9合目にたどりついた。涼やかな風が頬を撫ぜた時には、ああ、このようにはまだ極楽といえる場所があったのだ心が弾んだ。さすがに、日差しは肌を刺すものの24℃の山頂気温は、避暑には十分である。気分よく、写真をたくさん撮った中の1枚がこれである。パノラマ故に少し凹型になっているが、八幡から洞海湾、高塔山を望んでいる。雨雲が同じ目線にあり、いまにも降り出しそうな気配であったが結局降らずじまいであった。約10年ぶりの眺望である。これを得られるのであれば、また何度もやって来たいものである。
 

2013年7月21日日曜日

はじめる前から決着してた

 今回の参院選は、投票前から決着していたように思う。誰もが予想した通りの結果が素直に出ている。意外性も何もなく、ただ、ああそうなったのかというばかり。人はもちろんのこと、動物は本来的に保守的な存在である。なんとかなるなら変わらない方がいい、これまでの通りがいい。そういうものである。それが行き過ぎて、また、不祥事が重なると変化を作ってくれそうな方へと目が移る。でも、それがなかなか答えを出せないとなれば、また、元の木阿弥、これまでの通りでええ、となるのである。

 人間には、不確実な将来のことに対して、その意味を過小評価してしまう癖がある。それはそうだ。いつもらえるか分からない将来の分け前を待つよりも、いますぐに確実にもらえる分け前の方が、少なくてもいいということである。その分け前を約束してくれる船の底が抜けているとしても、大きな船はなかなか沈まないのだから、まあまだなんとかなる。今もらえる分け前をよこせとなるのが、普通の人の思考なのである。将来世代への責任、世代間倫理を考えよう。そんなきれいごとよりも、いま食べる飯をなんとかせいという。僕たちは、そんなことをいうやからは、近視眼的なものの見方しかできない、教養のない仕方のない人たちだと鼻で笑ったりする。

 さて、いつまで笑っていられるのか、今回の選挙結果は、私たちこそ、そういう人たちだということを露呈させてしまったのだから。このどうしようもない私たちは、これからどこへいこうというのだろうか。

 もちろん、選挙は勝負ごとである。自分の応援した政治家が勝った側なのか、負けた側なのかにかかわらず、政権与党を応援するべきだろう。もちろん、手放しにではない。批判的に、時には、生産的な意見を提示しながら、政権が示したことをどのように形作っていくのか、関心をもつ必要がある。

 ところで、今回は、初めてのネット選挙解禁の場となった。LINEでは、各政党が情報を提供していた。そのLINEで、どのよう文面で情報が提供されているのかをみれば、各政党が、LINEユーザー世代の有権者をどのように見なしているのかがよくわかる。これによって、投票所へいった若者が増えたとか減ったとか。評価・判断は据え置くが、これが実態だということ。僕には、これでいいとは思えないのだけど。


2013年6月24日月曜日

走れ走れ!

どうも、ここ数日は、気持ちが後ろ向きでよくないぞ。
課題山積に、途方に暮れているのか、己の力不足に
あきれ果てているのか、はたまた、単なるバイオリズムの
なすことに過ぎないのか。
あれこれ、言っててても仕方がない、ひとつづくやり遂げる
ことでのみ、次のステージへ迎えるのだから。

未来へ続く道は、この日常の延長線上にしかない。
大切なのは、何を選びながら進んでいくかということなのである。
毎日の選択、ぼーっと過ごしていられるほど、
自分には余計な時間がないのである。
歩くばかりで間に合わないのであれば、走ればよい。
走れ走れ!これ以上、息が続かないというところまで、
走りのピッチを上げてみろ。
それでだめなら諦めるしかない。でもまだ、諦めることを選択するには早すぎる。


2013年5月29日水曜日

答えが分からないものを考えるのが一番大変なんだから。

研究室には、文化がある。文化は、人々の考え方、物事の捉え方が、
相互に共有されて築きあげられていくものである。

昨日まで九州に来てくれていた守屋さんから、彼の師匠筋にあたる方が
おっしゃったこととして、次の言葉を聞いた。
「答えが分からないものを考えるのが一番大変なんだから。」
だから、「雑用が大変だなんていってないで、ちゃちゃっと終わらせちゃえよ」
ということになる。

雑用は必要があって、やらなければならないことだ。
ただし、雑用は多少の手間がかかっても、答えが決まっているものだ
という捉え方がこの方の言葉の核にある。
まさにおっしゃる通り。

僕たちは、日常生活の中で、雑用に追われて、やりたいこと、
やるべきことができないなどと言いがちである。
答えが決まっているから、雑用には時間を掛けたいと思えない。
クリエイティブでないことには時間を掛けても得にならないということ。
だから、なるべく遠ざけて、後回しにしてしまう。
どんどんと雑用がたまって、日々が埋もれていく。

守屋さんの師匠筋の方の捉え方は少し違う。
答えが分からないものに取り組むことこそ、仕事の醍醐味なんだから、
目標の知れている雑用なんて、ぱぱっと終わらせちゃえというのである。
もっと楽しいことのために、やらないと行けないことは、ささっと片付けろということ。

守屋さんは、学生の頃に浸ったこの文化を今でも当然のものとして仕事しているそうだ。
印象に残った言葉。捉え方1つで、仕事のやり方、生き方が変わる。
彼の学生の頃の研究室にあったミームが、僕のところまで伝播してきたのである。

2013年4月10日水曜日

春を彩るコーヒーを


春を彩るコーヒーを京都のコーヒーショップ・カダナに注文しました。
ここのマスターは、昌彦くんといって、僕の幼なじみです。
弟は僕の同級生に当たります。
昌彦くんは、子供の頃から秀才で、ちょっと変わってたけど、
よく遊んでくれた面倒見のいい兄ちゃんでした。

ある有名な大学の法学部で学んだんだけど、留学したカナダで
インスピレーションを得て、帰国後に、住み慣れた京都にて
コーヒーショップを開いたのです。

月給取りというよりも、学者肌で探求心の強い人です。
コーヒーと和菓子のコラボ企画を打ったり、「手仕事の教室」を開いたり、
街に根付いた無くてはならないお店を目指しているようすです。

それは、きっとお父さんがやっていた更谷モータースと同じ役割です。
単なる街の自動車修理工場というよりも、自動車をきっかけとして、
人々が集う場所でした。それを再現しようとしているのでしょう。

京都にお越しの際は、ぜひぜひカダナを訪れて、昌彦くんのコーヒー談義
に耳を傾けながらホッとひと息ついて下さい。

カダナの所在地


2013年4月8日月曜日

ああー、何してんだろう・・・

昨晩は、4年選手のMacBookに、OSアップグレードとして、
Mountain Lionをインストールしたのですが、
再起動時に画面に、"panic"の文字が出現して先へ進めなく
なってしまった。
これは、リカバリーディスクを使うしかないのだけど、
どこにしまい込んだのやら。
ああー、何してんだろう・・・

2013年4月7日日曜日

梅小路蒸気機関車館

去る冬に行った梅小路蒸気機関車館は、京都駅の西、梅小路公園にあります。
充実したコレクション、本物の蒸気機関車が牽引する客車の試乗もできます。
鉄道ファンではなくても、感動させられます!




新年度を走り抜ける準備は万全だ!

春の荒らしで東日本が大変だというので、
一念発起して、夜の遅い時間から、衣替えを初めてしまった。
テレビや雑誌でよく見聞きするアドバイスに沿って、
もう何年も来ていないものは思い切ってサヨウナラしてやろう
と仕分けをしていったら、随分とタンスにも押し入れ収納にも
余裕が見えるようになった。
この空いたスペースに、新しい服を入れることができるのである。
といいつつ、もう数年は、インナー以外の服を買っていない。
今年の夏も今持っているもので乗り切ってみようかなと思ってる。

気分が乗って来たので、もう1年以上、ストリングスを張り替えて
いなかったギターを磨いて、ストリングスを新調した。
新しいストリングスは、やっぱり音の伸びが違うねぇ。
気がつくと、ネックのところ、ストリングスを巻き取る部品を
止めるネジが一本無くなっているじゃないか。
あの変なビリビリーっという振動の原因はこれだったのか。
工具箱で丁度よいビスを見つけて締め込んだ。
埃も拭き取ってピカピカになったら、気分もすっきり。

身の回りのものに、気分は影響を受ける。身の回りのものを
どのように扱うのかが、自分の心理にも影響を与えるのだろう。
昨夕には、愛車(フィット)の6ヶ月点検も済ませた。
新年度を走り抜ける準備は万全だ!

2013年4月6日土曜日

巣籠もりの日

一日巣籠もりして過ごす。
2月3月と出払う日が多かったので、
家事をやったり、部屋を片付けたりして、
身の回りをスッキリさせた。
昼と夜の炊事も自分の役回り。
人間性を回復してこその仕事であると思う。

2013年2月7日木曜日

My routine work in 2013

次のことを毎日のルーティンとして自分に課すことにします。
旧暦の1月1日に当たる2月10日を前に、ここに書き記します。
気づいた方は、僕に問いかけて下さい。

・論文を1本読む。
・ブログを書く。
・1万歩ウォーキングする。
・腹筋、腕立て、背筋をする。
・新しい人物を知る。


Here I state to impose me those menu as everyday routine.
Please ask me, whether I have done it or not, if you mind it.

-Read one journal paper.
-Write blog.
-10,000 steps of walking.
-Sit-ups, push-up and back-extension as exercises.
-Knowing a new person.

2013年2月5日火曜日

大学教員の仕事

 大学教員としての仕事の本質は何であるのかを改めて考える。大学教員にとって、もっとも重要な顧客は、学生である。学生がなければ、教員ではありえないのだから。学生を顧客としないで、研究のみに没頭したいのであれば、研究所に就職すればよいのである。
 大学教員にとって、もっとも重要な顧客である学生の要望とは何か。それは、彼(彼女)らが、自分の将来を切り開いていく力を身に付けることである。場合によっては、(あるいは多くの場合には、)卒業証書さえくれれば、あとは何だっていいと認識している学生もいるだろう。ただし、卒業証書だけをもらって、大学卒業の資格をもっていても、世間の求める能力を発揮できない人は、職業人として生きていくことはできないし、失業してしまうこともあるだろう。自分で業をなすこともままならない。世界はグローバルな大競争の時代、国内では少子高齢化・成熟化経済の時代を迎えている。その世界で飯をくって生きていけるようになること。きっとそれは、「潜在的」な学生の要求なのではないだろうか。
 世間の現状は、実際に足を踏み入れてみなければ分からないものであるが、その片鱗に触れさせることは、大学教員にもできることである。それにもまして、ものの見方や考え方、行動や振る舞いについて訓練を重ねさせることは、大学教員の仕事であろう。学生にとって授業を受けることや研究活動は、そのことを視野に納めたものでなければならないと思う。また、大学は交友関係を広げる場所でもある。これについては、教員がとやかくいうよりも、学生同士の間で上手くやってもらうしかないだろうが。
 大学教員としての仕事は、学生に向かっている。そうでなければ、教員でなくてもよいのである。学生のことなんか構わず自分の研究にだけ没頭すればよいと思っている人が教員になっているのであれば、きっと大学をさって、研究所に籍を置く方が幸せに違いない。私自身は今現在、教員として活動しているのであるから、顧客である学生の成長を手伝うことに力点を置きたいと考えている。それが、少なくとも当分の間の私の仕事である。ま、その先のことは分からないけどね。
 

2013年2月4日月曜日

門司港レトロへ

 2月3日(日)節分には、門司港レトロを訪れた。年間400万人がやってくるというこの風光明媚な港町は、大正時代には、日本を訪れたあのアインシュタイン博士も立ち寄り、今の三井倶楽部に宿泊したのに、旅立ったと聞いたことがある。
 北九州市においては、押しも押されぬ観光地になった門司港であるが、数十年前までは寂れた町だったという。ただ、赤煉瓦を使った倉庫やビルだけがあった。その町の特徴を上手く捉えて、工夫を施し、今の賑わいを作るに至っている。それを誰が主導して、どのように活気づけていったのかを不勉強な僕はよく知らないが、地域の内外のこの町の持って要る潜在性にとりつかれた人たちが、ああでもこうでもないと良いながら、作り上げてきたものに違いない。
 目の前にある門司港レトロ地区を眺めれば、もうそれに圧倒されてしまうしかないのであるが、僕たちが目を向けるべきは、この地区が今までに至った過程だと思う。ひとりひとりの小さな人が、この場所のために、どんなことをしてきたのか。きっと、計画を頓挫させるようなトラブルも頻発したのだろう。どれだけの人たちの思いと汗が、この町につぎ込まれているのだろう。時の流れに思いをはせた日だった。


2013年1月30日水曜日

マイ・ウェブサイトの再構築

マイ・ウェブサイト作りは、これまで軽視してきたのだが、私自身がどんな人物であるのかを体系立てて知って頂くために必要な手段として見直し、再構築することにした。以前、iWebを用いてMobileMe上にあったウェブサイトはもう使えなくなってしまった。今回は、GoogleのGoogle Siteを活用している。

これで、Twitter、Facebook、Blogger、ウェブサイトという4種類のウェブ上の情報受発信をすべて持つことになった。

https://sites.google.com/site/webtsujii/