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2022年10月31日月曜日
広報宣伝こそイベントの肝
2022年10月28日金曜日
自身を俯瞰する日
科目「企業研究」では、向こう8週間に渡って、先進ものづくり企業の出前授業シリーズを行うことになっていて、今日は、三島光産株式会社の方々をお招きした。
印象に残った言葉は、チームワークとやり甲斐だった。客先からの注文に応えるべく、知恵を絞り、チームで打開していく営みが、こちらの日常なのだと思う。
僕自身の仕事は、基本的に単独で取り組むことが多く、チームでの協業の機会はほとんどない。子どもの頃からやってきたスポーツは、柔道とテニスで、大勢のチームで知恵を出し合うものでもない。経営学が研究対象であるのは、自分自身がマネジメントがそもそも不得意で、上手にやりこなす人たちの営みが不思議であるからなのだろう。
久しぶりに自身を少し俯瞰した日だった。
2022年10月27日木曜日
本人動静
2022年10月26日水曜日
学研都市ひびきのアイデアソン2022インターナショナルに向けて
「学研都市ひびきのアイデアソン2022インターナショナル」(12月3日)に向けた運営チームの打合せを行ないました。北九大生協学生委員から有志が集まってくれて、ポスター広報や賞品の企画を進めました。アイデアソンは、コミュニティに共通の困りごとを解決するアイデアを出し合うワークショップのこと。学研都市ひびきのには、技術シーズや多様性などの地域資源があるのに、どこかお互いによそよそしくて、グルーブ感に欠けるという声があちこちから聞こえて来ます。そんな状況を打破して、ひびきのに縁あって集った人たちが、協働して自己実現を図れるコミュニティを作っていきます。ぜひ、この試みにジョインして下さい。
2022年10月25日火曜日
デジタルノマドの視野狭窄
2022年10月24日月曜日
共感の場をつくる
2022年10月23日日曜日
なかにし養鶏場さんへ
近所のなかにし養鶏場さんに行ったのは初めてだった。前から、道路沿いの幟が気になっていたのだけど。大通りから脇道に入って、きっと以前の本通りだったと思われる小道を進んでいく。飾り気のない建屋、鶏舎のある奥の方には、鳥インフルなど感染症対策で入ることはできない。店舗の奥さんに商品について尋ねてみると、一つずつ丁寧に説明して下さった。プリンを頂き、卵や鶏肉を買い、ケージの中の犬氏を少し可愛がった。
なかにし養鶏所さんの創業は、大正10年で、100年を越える事業者さんとのこと。長く続く秘訣はなんだろう。きっと事業の取り回しと承継に秘訣があるんではないだろうか。
2022年10月22日土曜日
わがままな性分
2022年10月21日金曜日
バラよりソフト
近所にあるグリーンパーク(北九州)で、バラ園フェアをやっているという。花の盛りは、年に1度だろう、なんだかおかしいなあと調べてみたら、今年の5月に同じ公園に行ってバラを見て来たらしく、写真が残っていた。思い込みは禁物。どうやら、バラには春と秋に2度の盛りがやってくるらしい。
グリーンパークのバラの季節には、いつもバラのフレーバーのソフトクリームを売るキッチンカーがやってきる。花の観賞もわるくないが、僕は期待するのはもっぱらこちら。花より団子、バラよりソフトである。
2022年10月20日木曜日
可能性世界へ
2022年10月19日水曜日
マンホールの蓋に映る地域の誉れ
マンホールの蓋に芸術性を注ぐ人たちの気持ちの熱さに畏れ入ってしまいます。
それは、このアートが鋳物であるためと無縁ではないでしょう。
商店街を歩きつつ、なんということもない路面に印象的な花が咲いています。「ああ、熊本には、ヒゴツバキ(肥後椿)があって、住む人の誉れなんだ」と気付くことができます。
2022年10月18日火曜日
番茶ソフトクリーム
地域にはそれぞれの味があり、この「番茶ソフト」 もその一つでしょう。奈良県吉野郡大淀町の道の駅で味わうことができます。色味は、くすんだ茶色、チョコでもごまでも無い色合い。一見苦いのではと身構えてしまうほど。注文して手渡ししてくれるときに、店員さんが、番茶のパウダーを振りかけてくれるので、ひとくち目から、番茶の香りが鼻を抜けます。甘さはほどよく、子ども向けというよりは、壮年向けのひと品です。
番茶は、この地域で広く作られています。とはいっても、番茶の畑が広がっているのではなく、どちらかといえば、畑の端っこで栽培しているというもの。また、番茶は、吉野のソウルフードの一つである「おかいさん」(番茶で飯を煮込んだ粥)に欠かせない。ということなので、この地域に生まれ育ったものにとっては、番茶ソフトは、抹茶に代わるものではなく、唯一無二の意味合いを含んでいるのです。抹茶ソフトでは面白くないから、番茶でというような安易なものではなく、この地域の雰囲気を堪能するのであれば、番茶でなくれば駄目というほどのことでもあるのです。
目立ってメディアで取り上げられたことのない品ではありますが、覚えのある限り10年は販売が続いているものと思います。吉野にお越しの際は、ぜひ番茶ソフトを道の駅で求めて見て下さい。
2022年10月17日月曜日
人手の取り合いでは芸がない
2022年10月16日日曜日
面倒なことは生活を豊かにしてくれる
2022年10月15日土曜日
小さくはじめる
2022年10月12日水曜日
固い心、柔らかい心
2022年10月10日月曜日
芋掘り
サツマイモを収穫した。うちの猫の額にような広さの菜園に、春先だったか、苗を買ってきて作付けした。他の野菜のように、手入れが必要なく、夏に少し追肥をしたりした程度、蔓が伸び葉が広がるに任せていた。安納芋と他2種類の名前は忘れてしまっていた。
掘り出してみれば、丸々と太った芋や小さい根っこが少し膨らんだくらいのものまで、ひと抱えするくらいの数が取れた。初めての作付けにしては、よく取れたと思う。いくつかは、地中で虫に食われて小さい穴の空いてるものも合ったけど、ほとんどは無傷でよかった。いくつも植えておいてよかった。
こういうことは、他の野菜にもいえる。作付けするときには、ひとつだけでなく、必ずいくつか用意することにしている。リスク分散は、ものを抱える時には当たり前にやっておくべきことで、小さなものでの同じである。猫額菜園でも、気付けばたくさん虫がついて、食べられなくなってしまったり、日照条件などの都合で発育不全になってしまったりする。
いくつかの株を植えておけば、そういう悲運をさけて前進し続けることができる。
2022年10月9日日曜日
思索の材料
気に入った作家の話を聞こうと思えば、東京や大きな街の会場へ出向いて直接聞く、そういう時代ではなくなった。その人の雰囲気まで感じようとすれば、直接聞くしかないが、話す内容だけど汲み取るには、オンラインで視聴することができるようになった。たくさんの交通費を支払う必要もない。
また、多くの人が聞きたい話し手ほど、オンラインのビデオアーカイブやポッドキャストをアップロードするようになって来ている。むしろ、それを聞いているだけで、一日が過ぎてしまうほどの量である。ただ、そういう視聴にだけで、時間を割くわけにはいかない。1.2倍や1.5倍速で視聴するにしても、時間が掛かる。
その点で、書籍は時間の制限を受けにくい。もちろん、字面を追う時間は要するのだけど、自分のペースで読み進めれば、その人の言おうとしていることを掴むことができる。熟読する部分と斜め読みする部分を分けて読みこなすこともできる。
話を聞くことも、書籍を読むことも、目的は、読み手が自身の考えを構築ための助けを得ることにある。ただただ、話し手が発する情報を消費することもできる。それもエンターテイメントとしてわるくないが、得た情報について考察し、思索を充実させること、さらには、自身の思索をもって世間をより充実したものにするべく貢献することが、生き甲斐というものだろう。
現代は、自分の思索を充実させるための材料がメディアを発展によって、どんどん世に供給され続けており、そのペースは高まっている。ときに、消化仕切れない情報の氾濫には、諦めの念をもつこともあるのだけれども。
2022年10月8日土曜日
ブラウン神父シリーズ
2022年10月6日木曜日
手入れを押し売らないように
2022年10月5日水曜日
斜め見の格好良さ
2022年10月4日火曜日
野良猫とコミュニティ
コミュニティは、お持ち寄り、分かち合いの集まりであると思う。僕の仕事の場である学研都市には、まだ、大きなコミュニティを感じられないし、他の人もそう言っている。
もちろん、小さなコミュニティはある。大学の中のラボの単位や職場の中の気の置けない人たちは、単なる職場を同じくする人の関係を越えている。ただ、その関係が広く一般的になるには、時間かきっかけが必要であるらしい。
今朝、職場で野良猫を見た。尻尾の短い(無いに等しいくらいの)若い猫だった。大学のキャンパスに野良猫が珍しいく思えるのは、保健衛生上で正しいことなのかもしれないが、空間としての余裕の無さでもある。野良猫が住み着けない空間は、生態系としての要素が欠落していると見ることができるのではないか。
野良猫が数匹住み着いているくらいのキャンパスは、人を含めた生物が生活するのに、余裕のある場所であるだろう。そういうものも規範を立てに、逐次排除してしまう精神は、人が全てを健全に管理できるという思い上がりなのかもしれない。
全てが人の目で管理されている場所に、心の安らぐコミュニティは、果たして発現するのだろうか。
2022年10月3日月曜日
10月からの仕事
2022年10月2日日曜日
町内会の定期清掃
2022年10月1日土曜日
折り合いをつけながら
畑地を耕し過ぎると地中の生態系を乱してしまうという話を効いて、あまり介入せず、空いたところに種を埋めるようにした。
草引きも、種の植え付けに邪魔になるものを摘まむ程度にしてみた。地中の養分、微生物、表面を覆う草が相まって、生態系が生じている。そこに、種を植えることは、新しい要素が加わることになる。
プランターは、区切られた空間であり、他からある程度切り離されている。家庭菜園は、他の生物との関係で成り立っている。その有り様が活き活きとしているのであれば、干渉はなるべく控える方がよいのかもしれない。
30年ほど前に、拵えられた人工の庭も、歳月を経て生態系を養生して来ている。そこに外来の植物をおいた時に、よく育つとすれば、そこの生態系に受入れられたということになるのだろうし、育たないのであれば、他との関係に旨くなじまなかったということなのだろう。
そういう有り様を楽しみながら、作付けをしていくことにする。こういうのを折り合いを付けるというのだろう。