気に入った作家の話を聞こうと思えば、東京や大きな街の会場へ出向いて直接聞く、そういう時代ではなくなった。その人の雰囲気まで感じようとすれば、直接聞くしかないが、話す内容だけど汲み取るには、オンラインで視聴することができるようになった。たくさんの交通費を支払う必要もない。
また、多くの人が聞きたい話し手ほど、オンラインのビデオアーカイブやポッドキャストをアップロードするようになって来ている。むしろ、それを聞いているだけで、一日が過ぎてしまうほどの量である。ただ、そういう視聴にだけで、時間を割くわけにはいかない。1.2倍や1.5倍速で視聴するにしても、時間が掛かる。
その点で、書籍は時間の制限を受けにくい。もちろん、字面を追う時間は要するのだけど、自分のペースで読み進めれば、その人の言おうとしていることを掴むことができる。熟読する部分と斜め読みする部分を分けて読みこなすこともできる。
話を聞くことも、書籍を読むことも、目的は、読み手が自身の考えを構築ための助けを得ることにある。ただただ、話し手が発する情報を消費することもできる。それもエンターテイメントとしてわるくないが、得た情報について考察し、思索を充実させること、さらには、自身の思索をもって世間をより充実したものにするべく貢献することが、生き甲斐というものだろう。
現代は、自分の思索を充実させるための材料がメディアを発展によって、どんどん世に供給され続けており、そのペースは高まっている。ときに、消化仕切れない情報の氾濫には、諦めの念をもつこともあるのだけれども。
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