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2022年10月4日火曜日

野良猫とコミュニティ

コミュニティは、お持ち寄り、分かち合いの集まりであると思う。僕の仕事の場である学研都市には、まだ、大きなコミュニティを感じられないし、他の人もそう言っている。

もちろん、小さなコミュニティはある。大学の中のラボの単位や職場の中の気の置けない人たちは、単なる職場を同じくする人の関係を越えている。ただ、その関係が広く一般的になるには、時間かきっかけが必要であるらしい。

今朝、職場で野良猫を見た。尻尾の短い(無いに等しいくらいの)若い猫だった。大学のキャンパスに野良猫が珍しいく思えるのは、保健衛生上で正しいことなのかもしれないが、空間としての余裕の無さでもある。野良猫が住み着けない空間は、生態系としての要素が欠落していると見ることができるのではないか。

野良猫が数匹住み着いているくらいのキャンパスは、人を含めた生物が生活するのに、余裕のある場所であるだろう。そういうものも規範を立てに、逐次排除してしまう精神は、人が全てを健全に管理できるという思い上がりなのかもしれない。

全てが人の目で管理されている場所に、心の安らぐコミュニティは、果たして発現するのだろうか。


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