こんにちは。辻井洋行です。
おまじないが日常にあることの意味について考えています。僕にとってのおまじないは、初詣やたまに神社へお参りすることくらいです。初詣の時には、お守りを頂いて、身につけています。もっとも気をつけているのは、交通事故なので、車にもお守りがついているし、年末年始には、必ずしめ縄を付けています。
とはいえ、僕の日常を見直せば、おまじないは、年に一度の季節ものになってしまっているわけです。おまじないをするよりは、自動車保険に入っておこうとか、なにか道具を買って安全を確保しようとか、金銭的・物理的解決を選んでいるのです。
その点、沖縄の街中を見渡せば、石敢當があちらこちらにあって、住居への邪気の侵入を跳ね返しています。そこには、保険や道具では太刀打ちできないものへの備えがなされています。科学が普及して、迷信が消え去ったのが現代です。それでも、変わらずに存在するのは、人の気持ちであり、その緩みです。この石敢當は、目に付く場所にあることによって、人の気の緩みを戒めているのでしょう。
様々な事故やトラブルが、人の気の緩みで生じるものであり、それを予防するものがこれでああるとすれば、毎年、保険金を掛けたり、安全用具を購入するよりは、何十年、何百年も効力の続く石敢當を据える方が、合理的な解決策になるのかもしれませんね。
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