一人で何か考えごとをするのは、水に潜る動作に似ている。息を止めて、苦しくなるまで深みを目指して潜っていく。ずーっと潜っていくと3メートルくらいのところで、耳の奥が痛くなるので、耐えかねて浮上してくる。ここ数年は、そんな泳ぎ方をしていないけど、川の淵で泳いだ時のことを思い出す。
その一方で、人と話すことは、息継ぎのようである。深い淵でみたり触ってきたものを誰かと共有するような作業である。話すことで息を吐きながら、外の空気を吸っている。外の空気ばかりを吸ってばかりいるとまた水に潜りたくなる。ただ、外の空気には、中毒性があるで、潜ることを忘れさせてしまうことがあるので危険だ。
深淵を分かち合うには、いつでも水に潜ることを日常にしている必要がある。外の空気ばかりを吸っていると分かち合うものが無くなってしまうのである。潜ることを忘れぬうちに、また潜る筋力を落とさぬように、いつも気持ちは潜水の方向へと向かわせていよう。
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