私たちの体は、そこら辺にあるものと一体です。今朝まで、家庭菜園になっていたプチトマトに含まれていた分子は、僕の胃腸で消化されて、血液を通じて身体を流れ、一時、細胞の一部になっているのかもしれません。
人は、土から生まれ、そのうちに土へ戻ります。身の回りのものを体に取り込み、消化したものを排泄し、命を終える時には、全てを土に戻します。とはいえ、今時は、排泄したものは下水処理場で分解後に放流されるし、火葬が一般的であるので、土へ戻るということを実感することは難しいものです。
土から生まれることについても、食べ物を全てスーパーで買い揃えている分には、口に入れるものの来し方に思いを馳せるのは、なかなか難しくなります。それでも、いくらかを自分で生産することにより、収穫したものの延長上に購入品の成り立ちを思うことできるようになります。
このパイは、Jamestown Settlementというたしか17世紀のアメリカ東海岸の史跡公園で見つけたものです。なんとも魚を丸のままパイに仕立ててあります。その当時、大陸にやってきたばかりの人たちは、こういう工夫をして魚を食べていたのでしょう。私たちの体は、食べたものでできているわけですから、この当時の人たちの体は、魚とパイ生地でできていたということになります。
食べ物も、飲む水も、鼻から入って口から出ていく空気も、私たちの体を作るものです。「環境に優しい」というふわふわワードは、なにか可愛そうな守るべき対象として、環境を抽象的に扱っています。しかし、実のところは、環境は私たちの身体と不可分なものであり、不可分な一体であると気づけば、守られるべき危機的状況にあるのは、私たち自身であるということになります。
こういうものの見方は、あまり一般的ではないようですが、必要なことだと思います。
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