こんにちは。辻井洋行です。
年が新しくなることの効用について、考えてみたいと思います。私たちは、日々取り組んでいること共に過ごしています。私とは、取り組んでいる物事の束であるのではないかと思います。特に、社会的な存在としてしての私は、仕事の束であり、それを運用したり、アップデートして行ったりすることを期待し、また期待されながら生きています。いろいろな物事や人たちと接点を持ち、何かに取り組むことで、私たちの毎日は進んで行きます。
そのように生きる中で、私たちの内面には変化が生じます。引き受けた仕事に対して、いつまでも同じような興味を持ち続けることができないこともあります。また、そこに介在する他の人との関わりにも変化が生じて、以前と同じような居心地を感じられなくなることもあります。とはいえ、私たちは期待された役割を担い続けるものと期待されていると自ら思いこんでズルズルと過ごしてしまうことがあります。
私自身、20-30代のことは、そのように他の人に依存的であり、余力で仕事を引き受けてしまっていました。また、それが正しいことであるとも思っていたのでしょう。しかし、40代も後半になってくると、そういう状況が居づらく感じられるようになり、割と積極的に取り組む仕事の整理整頓をするようになってきました。また、そういった仕事の相手方も、それならそういうことでと応じてくれることが分かりました。つまり、居づらさを感じる関係を作っていたのは、自分自身の思い込みに過ぎないということなのです。
年が新しくなる時は、そのような判断や決断に相応しいはずです。私たちは、実際には終わりなき日常を生きているのですが、大晦日と元旦は、いやがおうにもやってきます。その時節がフィクションに過ぎないと言わずに、積極的に活用して、自分のコンパスが指す方向を見定めてみましょう。年越しとは、そうするべき時なのです。一年の計は元旦にありと言いますが、計りごとのためには、それの足を引っ張る雑事を整理整頓し、身軽になることが先決なのです。
年越しは、新しく服を重ね着したり、持ちものを増やすのではなく、いったんご破算にして、何を着て持つべきなのか、どうしたいのかを自分に問い直す時としたいものです。
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