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2020年11月27日金曜日

飲むも飲まぬもサムシンググレートのおぼし召しなのか?!

こんにちは。辻井洋行です。

長い目で見て健康を維持するには店お酒なんか飲まなければいいのですが、手元にあればついつい飲んでしまうものですよね。僕たちの意志の力なんてものはたいして強いものではなく、生理的な本能の方が簡単には回ってしまいます。目の前に気分が良くなるお酒があれば、手を出してしまうわけです。ついつい飲んでしまうことを避けるには、目の前にお酒を置かなければ良いわけですよね。

しかし手元にあったらついつい手が伸びてしまうわけです。となると、家に置かないことが簡単な解決策ということになります。それでも、スーパーに行って、ビールのコーナーがあれば、ついつい手が出てしまいます。となりますと、スーパーに行かなければ良いということになります。

それでも、スーパーに行かなければ、 生活に必要なものを手に入れることができなくなりますよね。スーパーに行くことを止めて、 必要なものが手に入らなくなると生活そのものが成り立たなくなり、 それこそ健康を損ねる結果が行ってきます。 タバコも酒も砂糖の入ったお菓子も、口にしなければ徐々に体が欲しなくなっていくと言うのですが、そこに至るまでの過程が大変です。

僕たちは、自由な意思を持って物事をいちいち考え判断しているようであって、実は判断をする前に既に運動機能へ脳から信号が送られているという話がある。分かりやすく言うと、目の前のチョコレートに手を伸ばして掴もうと考える以前に、手を伸ばせという指令が脳から腕に伝えられているというのである。つまり意思とは関係なく体が動いているということだ。自由意志の存在が疑わしいという考えは、そのような現象をもとに議論されているらしい。

その事から考えれば、 チョコレートを食べるのを我慢できたということがあった時には、目の前のチョコレートを食べないという判断をするよりも前に、 チョコに手をを伸ばさないという信号を 脳が発信していたということになるのだろう。 その意思の外にある意思のようなものって何なのだ。そういうものをサムシンググレートと呼ぶのだろうか。

僕は大学院生の終わりの頃に、一時期タバコを吸った時期がありました。それこそショッポをどんどんと吸っていたこと覚えています。しかしそれをいつのまにか辞めていました。今となってはその経緯はわからないのですけども、気がついたらやめていました。今でも多少覚えているのは、タバコを吸っているとお刺身が美味しく感じられなくなったということです。おそらく僕は、タバコを吸い続けるよりも食べ物を美味しく食べることの方が大事に思えたのでしょう。きっとその方が、僕の生存本能にピンときたのかもしれません。 もしくは、お刺身が美味しく感じられないのは人生において損失だなぁと体が反応したののかもしれない。 

僕はお酒への耐性が弱いので、 幸いにもたくさん飲むことができません。だから、少しの量で満足できるのです。飲み過ぎないので、 酒代がかさんで困るということもありません。ま、それでも、 ちびちびとやってしまうわけです。 いまのところ特に健康上も問題があるわけではないので、やめないといけないという動機もありません。 きっと、お酒を飲んでいたら仕事が回らないくらい忙しくすれば、自ずと遠ざけてしまうのでしょう。 しかしそれって、 僕の望む日常生活なのかどうかと思ってしまうわけです。まあ、こんなことを言ってるようであれば、お酒を飲まない毎日にはならないはずですよね。嗜む程度で、ちびちびやるぶんにはいいとするかな。こんな考えが浮かんでいるのも、僕の中の何かがそう思わせているということになのだろう。(笑)



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