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2021年2月5日金曜日

わたしたちの発想の狭さは個人が持つ知識や能力だけの問題ではないかもしれない

こんにちは。辻井洋行です。

あなたは、自分の仕事がうまく進まない時、何かをやってしまった後で後悔するときに、発想の範囲や視野の狭さを恨んだり、知識の少なさにがっかりしたりしていませんか。

ただその原因は、あなたの能力ばかりではなく、あなたが関わっているネットワークの状況にあるのかもしれません。私たちは、自分自身は精一杯努力して合理的な判断をしようとしていると考えるものであるし、自分自身にとって良いことが起こるように最高の取り組みをしていると思うものです。

ただしその自分自身を少し引いた目から引いた視点から見てみれば、非常に限定的な環境の中で物事を見たり聞いたりし判断したりしているということに思いが至るはずです。私たちが物事を考えるときは、関わりのある人たちとの情報のやり取りが前提となります。リアルであれバーチャルであれ、私たちの発想は、関わっている他者とのやりとりが制約となっています。

このような人間関係をソーシャルネットワークと呼び、私たちがその中に埋め込まれ、影響を受けながら物事を考え行動しているという世界観をエンベデッドネス理論といいます。この理論は、1985年に、スタンフォード大学の社会学者であるマーク・グラノヴェターが提唱したものです。この理論における人間像は、伝統的な経済学が前提としてきた合理的経済人ではなく、限定合理性の中で物事を判断する存在です。さらに彼は、その存在はネットワークの中で影響受けながら意思決定を行っているという人間像を明らかにしました。

私たちが影響を受ける人間関係は、そのやりとりが継続的になればなるほど、安定した関係になっていきます。その関係は、情報獲得や情報発信のチャンネルとなり、当人に利益を与えればドンドンと強化されていきます。またそのつながりは、仕事を効率的に行うベースとなり、さらには仕事を超えた私的な人間関係さえも、その中に飲み込まれてしまうことがあります。会社が職場であるコミュニティーであるといった発想は、まさにそれですね。

そのコミュニティーが、私たちの埋め込まれた世界になれば、個人の発想もその範囲の中に限定されてしまいがちになる事は否めません。井の中の蛙か大海を知らずという格言がありますがます、ネットワークに埋め込まれた存在である私たちは、その外側を知る事は難しくなります。

何かの拍子に、外のネットワークの世界の発想に触れたとして、自分自身の考え方や世界観を展開していくには、そちらのネットワークへつながるための努力を主体的にしていく必要があるでしょう。繋がりたい先のネットワークも、そのチャネルを強化すると言うインセンティブを感じられない相手とつながる理由はありません。そのネットワークの価値が強化するような貢献が、そのネットワークの一員となるために必要となるわけです。

私たちが、発想の乏しさのために物事をうまく進められないとすれば、それは自分自身の能力のみの問題ではなく、関わっているソーシャルネットワークに備わっている情報が限定的であることが原因となっているかもしれません。

このエンベッデッドネス理論を理解すれば、自分の世界を広げるために何をするべきかが見えてくるように思いますね。



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