仕事をスムーズに進めて生産性を高めるには、それに関わる手間が少なければ、少ないほどよいです。手間を掛けたことに、美徳を見出しがちになりますが、それはただの思い過ごしであり、自己満足に過ぎません。同じクオリティーの仕事をアウトプットとして相手に提供するのであれば、手間は少ないに越したことがないのです。手間に時間をかける分、濃縮した原液を作ることに時間を割くべきなのです。
例えば、僕はブログを書いて、朝の7時に配信するようにしているのですが、その後にわざわざTwitterやFacebookにお知らせを投稿しています。このテーマは、ブログの中身を良くすることとは関係のないものです。できればこの作業を自動化できればと思います。そのように、ソーシャルメディアにアップする時間も、一回に1分掛かっているとすれば、年間に365分、2つのメディアで730分の時間を使っていることになります。
例えば、ブログを書いたことを自動的に、指定したソーシャルメディア配信してくれる機能のついたプラットフォームへ乗り換える方法が思いつきます。また、誰かにその作業を頼むこともできます。ただし、そんな単純作業を誰かに請け負わせるのは、その人の時間を奪うことにもなってしまうので、できれば自動化できた方が良いに決まっています。
ちょっと話しは代わりますが、何かを学ぶことは、その人が主体となって学びとり、自分の思考や概念世界を塗り替えていくことが本質のはずです。それに貢献するサービスであれば、本質的な価値を提供していると言うことができるでしょうしかし、その学びを生み出すための作業にどれだけたくさんの時間をかけたか、献身的に作業行ったのかという事の方へ、価値がシフトしてしまうと、学び取る人を忘れてしまうことになります。
仕事の手法が、共有されていくことにより一般化すれば、どんどんと同質的なものになっていきます。それらの手法が世の中に全くないときには、ある程度のレベルまで上、共有することの価値がありますが、その水準を超えてしまえば、それぞれの主体が最も良いと考える仕事の手法で物事を進めることの方が、多様な仕事のあり方を世の中に生み出すことができるようになります。
ただし組織というのは、価値を平準化させる方向へのバイアスを含んでいるので、気をつける必要があります。隣国には一国二制度がありましたが、その制度が統一の方へどんどんと進んでいくのは、勢力の強い方が組織化のバイアスを持っているからでしょう。それで、平準化した価値の実現は近づきますが、多様性を失い、環境の変化への適応力をしなってしまう可能性踏まえておく必要があるはずです。
それはさておき、情報技術やそれを使いこなすリテラシーは、仕事を進めるための作業を自動化の方向で支援してくれます。それを使いこなして、面白い価値を生み出すことが僕たちの仕事だし、そういう人たちが集まる世の中こそが、面白みのある場所なのだと思います。仕事の自動化を進めて、原液作りに傾注できるようになって行きましょう。
雑多性を美しいと思えるように
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