物事を深く考えるには、書き出すスピードを遅くする必要があります。キータイプよりも遅くなるのは、手書きになります。一方で、スピードを早くするには、音声入力になります。
手書きが、思考に有効なのは、考えを文字に起こしながら、その周りに落書きをしたり、言葉と言葉の関係を線で結んだりして発想を広げたり、まとめたりすることが、わりと自由自在にできるからでしょう。グルグルと円や螺旋を書いたり、言葉を○や△、□で囲ったり。抽象と具体の間を行ったり来たりするのが比較的自由なのが、手書きなのだと思います。ただし、それらの表現は、ペンを走らせるという時間的・物理的な負荷が掛かっており、それが考えるための時間を生み出してくれます。
タイピングは、熟練していくと、意識せずにできるようになりますが、こちらも指でキーボードを物理的に打つこと、書き出された文字・テキストを目で確認しながら書き進めるという物理的な負荷が掛かっていています。タイピングに掛かる負荷が、思考する時間を生み出すように働くことになります。ただし、手書きほど時間を要せず、つらつらと文字・テキストの生産が進んで行きます。また、手書きほどの多様な表現を諦めざるを得ないことが、書いていることについて、じっくり考えることできなくなります。
音声入力は、口から発した言葉が、そのまま言葉やテキストとして、表示されて行きます。滑舌よく淀みなく話せば、音声変換ソフトがそれをどんどんと表示していってくれます。音声入力には、手書きやタイピングに比べて、文字やテキストを書き出す負荷が少ない分、書きながらじっくりと物事を考えることがありません。音声入力は、物理的な入力の負荷が少ない分、効率的なのですが、言葉が上滑りしてしまう危険性をはらんでいるということになるでしょう。そのように考えれば、物事をよく考えながら音声入力するには、その前段として、手書きでコンセプトを整理することが必要になるのかもしれません。
物事を深く考える事は、私たち個人が、自分自身が生み出すことのできる価値を作り出すために絶対必要なことです。熟慮のない浮ついた生産は、駄作ばかりを世に出してしまいます。それは結果的に、つまらないもので世の中を埋め尽くすことになってしまいます。むしろ私たちは、物事を深く深く考え、価値を生み出すための元、例えば、ぬか漬けのための糠床の生成に注力する必要があります。
ぬか床を生み出すために、深い思考に取り込めることが、長く価値を生み出す人になれるかどうかを決めるのだと思います。ぬか床を生成するためには、手書きでゆっくり考えを深める習慣を身に付けましょう。
デジタル化しても手書きノート
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