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2021年2月19日金曜日

今回また思うままに音声入力で文章を書いてみた

こんにちはー 辻井洋行です。

今回もまた、何を書こうか迷っているところです。文章というのは、淀みなくどんどん出てくる時もあれば、全く出てこない時もあります。そういうときには、ええいっ!と発起して、書き進めるに限ります。

「何を書きたいかは、書けばわかる」という言葉があります。それは至言であるなど常々思います。書いているときに起こっていることは、書いた言葉によってインスピレーションを受け、その言葉がまた次の言葉をつなぎ合わせてくれる、といった感じです。

きっと、ずいぶんなことが脳科学的に解明されているのかもしれません。ただ僕はその知識については疎いので、ここでわざわざ書く事はありません。

ほら、そうこうしているうちに、文章が書き連ねられてきましたね。文章が増えてくると、なんだか楽しくなって、どんどんと書き続けていきたくなるものです。おしゃべり好きな人のおしゃべりが全然止まないのと同じことです。

書き始めは苦しいのですが、筆が乗ってくれば先へ先へと言葉が進んでいきます。発した言葉が、次の言葉を見つけ出していく、そういう循環に入っていきます。まだこれぐらいの分量では、ライターズ・ハイには至りません。(そんな言葉があるかどうか知りませんが。)

ただ、そんな余計な事に思いが至るのも、書き始めたからこそ起こった現象と思います。何も書かなければ、そんなことを考えもすることがなかったはずだからです。

私たちは情報を消費することに慣れてしまっていて、それを生み出すことにはなかなか関心を向けられません。情報は誰かが作るものであって、自分がそれを消費する立場であるという線引きを知らず知らずのうちに作ってしまっているのでしょう。世の中が、いろいろな人の貢献によって成り立っているという基本的な構造を理解すれば、生み出す側に加担することに関心が向くようになるかもしれません。

きっと文筆家は、このような作業を毎日毎日繰り返していて、無数の文章を書き連ねているに違いありません。そのうちの一部が表に出て、作品となっていく。書いた文章に魅力があり、それに商品価値が生じるのは、奇跡的とまではいわないまでも、簡単なことではありませんよね。

物事を考える私たちは、同じような社会文脈の中で生きています。その中で、何か突出したことが書けるのは、異なる文脈から得た観点を持ち込んでいるからと見ることができるでしょう。その点では、1つの世界、特定の文脈だけに身を置くのではなく、少しでも離れたところ、できれば遠く遠くに身を置き、物事を考え、ある文脈における常識への違和感を形にしていきたいものです。

今回のブログはここまでとしましょう。

ハイフォン名物のバインダークァ


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