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2021年6月30日水曜日

マイバックを超えて


こんにちは。辻井洋行です。

スーパーで買い物をするとき、レジで、「袋はどうなさいますか?」と訊かれ、「要らないっす」と言って、さも当然のように丸めたマイバックをポケットから取り出した。

こういうことは、もうすっかり定着している。誰もが、マイバックを持ちあるくことが、モラルであり常識となってきた。それはそれで素敵なことである。

しかし、ふと気づいた。 

マイバックの中に入っているスーパーで買ったものは、プラスチックか紙、金属で包まれている。ほぼ全て。野菜にも樹脂の帯がついていたりする。食品の衛生管理、陳列管理の都合、プラスチックはとって便利な素材なのである。これだけのプラスチックを買い取って、持ち帰る袋だけをマイバックにしていい気になっている俺って、それでいいのだろうか。

乗ってるコンパクトカーは、低燃費かもしれないけど、ガソリンは燃やしているし、車内装はほぼほぼプラスチックやん。

脱プラスチックとはいうものの、僕らの生活は、プラスチックで覆われている。プラスチックなしの小売は考えづらい。今時は、都会ばかりでなく、田舎だってそうだろう。子供の頃、豆腐屋へ引き取りに行くときには、金だらいを母親から持たされた。そんな子供は、現代日本に何人いるのだろうか。

容器包装プラスチックは、薄肉化、減量化が進められている。食品トレーこそ、スーパールートでの回収リサイクルが定番になってきているが、それを多く樹脂フィルムのリサイクルは、すべての自治体が取り組んでいるわけではない。バイオマスプラスチックは、材料にバイオマスを含めているとはいえ、生産工程には熱源が必要になる。

リサイクルするのにも、熱源が必要になる。その熱源は重油だったり、電気だったりする。電気もエネルギーミックスで考えれば、77%が化石由来資源の燃焼によって作られている。そう考えれば、マイバックをスーパーに持っていったことを鼻に掛けて、悦に浸っている場合ではないのである。

効率化による問題の先延ばしから、オルタナティブへ。




2021年6月29日火曜日

食パンで納豆サンド

こんにちは。辻井洋行です。

納豆は白飯で頂きたいという人が大半であると思うのだけど、僕は、食パンでも行けます。ただ、必要なのはマヨネースです。マヨネーズが、西洋と東洋を良い按配に和えてくれます。これによって、ちょうどチーズ・サンドイッチのような風味をかもしてくれます。

僕は元々納豆を好んで食べているのですが、これによって、よりおいしく頂くようになりました。納豆を好まない方で、いちどトライしてみたいという方は、この方法をお試し下さい。これでやみつきYummy!となれば、食事の楽しみに、もう一品が追加されることになります。

物事は、探していても見つからないものですが、ふとしたことで見つかるものです。納豆は白飯でという思い込みを少し緩めてみましょう。


2021年6月28日月曜日

クエと贅肉

こんにちは。辻井洋行です。

写真は、おそらくクエの頭であると思う。写真アプリをランダムに物色していたら、これがヒットした。クエは、体に対して顔の割合が大きな魚だと思う。ロウニンアジやマンボウなんかもうそう。ほとんど顔が泳いでいる。

どうして、これほど顔が大きくなったのか。もしくは、顔以外の身体が小さくなって行ったのか。魚は、水の中で生きているうちに、身体的な特徴が変わる中で、棲み分けをおこない、それぞれの場所に適応していった。

顔の大きさや口の大きさは、その口に入るサイズの他の魚や水生生物を人のみにするのに利便性がある。同じように、また、彼ら以上に大きな体を持っている生物でもプランクトンを地道に食するものもいるが、クエは、もっとボリューム感のあるアジやイカを好むらしい。

泳ぎはそれほど得意ではなく、岩陰に隠れて狩りをするそうだ。じっと獲物をを待って、その時が来たら大きな口を開いてひとのみにする。なるほど、その生活に適したサイズになっているんだね。

自然の造形は、無駄なく機能的にできていて、いっけん、不格好だったり、ひょうきんに見えたりしても、生きるために最適なものになっている。その最適は、生物種の数だけあり、数えきれないほどの造形として現れている。

そのように生物を眺めていると飽きずに時間が過ぎていく。自分が小脇に抱えていく贅肉にも、棲み分けの意味が込められているに違いない。


 

2021年6月27日日曜日

インドシナ半島の街路に見かける祠のはなし

こんにちは。辻井洋行です。

こういうしつらえの祠(ほこら)が、僕の知る限りでは、カンボジアやベトナムの道すがら、あちらこちらにしつらえてあります。

あれは、なんですか。先祖をお祭りしているのですかと聞いたところ、この祠は、その辺りをうろうろとしている霊を慰めるために設えてあるとのことでした。なんて、やさしいのでしょう。また、むらで起こる災いが、そういう存在によるものという恐れが、このような祠を必要としているのでしょう。

ここには、果物や花が手向けられて、線香が上げられていました。人知を超えた存在に対する畏敬の念の表れであり、感謝を捧げる対象でもあるのでしょう。立派な祠の設えは、そのムラの豊かさを象徴するものでもあるように思いました。



2021年6月26日土曜日

草花たちの競合と共生

こんにちは。辻井洋行です。

庭や道ばたに生えている草花たちには、そこに生えている都合があり、それに手心を加えて多少のやり替えても、そのうち元の状態に戻っていくことになります。その場所の気候・風土にそって、草花たちは息づいており、それについての人知はずいぶんと蓄えられて来ていますが、それを応用して、保全が着実になされているかといえば、そうでもないようです。

この写真の植物たちも、自分にとってより優位な日照や水、風に流れを得るために競り合っています。押し合いへし合い、相手を出し抜き、お日様を得るための熾烈な競争です。たとえ、負けても、脇へ脇へと茎を伸ばして行きます。感情がない分、浪花節も通用しません。ただただ、状況に応じて形を変えるのみです。そして、力尽きれば、葉を枯らすことになります。

この緑が美しいのは、最小のコストで最大のエネルギーを得るための工夫が形となって表れたもの。競合しつつ、お互いに共生し、微生物やウィルスも交換しながら、生態系を構築して来ています。工夫という意図はなくても、何万年の時を経て、最適なものたちの残党と入れるでしょう。私たち人類も500万年といわれる歴史の残党であるわけです。

ただし、その残党たちは、自らが改変した環境への不適応に直面していると考えらえれています。これまでの通りのあり方は、いつまでも通用するとは限りません。かといって、新しく考えだしたものが全て、人類を次の時代へ進めるとも限らないわけです。数限りない取り組みの中から、いくつかがそれに当たることを期待したいものです。




2021年6月25日金曜日

有給休暇義務化はちょっと窮屈ですわ

こんにちは。辻井洋行です。

労働基準法の労働という概念には、使役としての労働観が規定にあるのだと思います。大学教員の仕事も広くみれば労働なのでしょうが、好きでやっていることでもあります。そういう仕事は、世の中を広く見渡せばいくらでもあるでしょう。

労働基準法第39条第7項には、有給休暇取得させることの使用者への義務付けというのがあり、使用者が年5日の年次有給休暇を労働者に取得させなかった場合、労働基準法第120条に則り30万円以下の罰金を科すということになっています。

この制度は、使用者の都合で、労働者が権利である有給休暇を取得するのを妨げられている事案に対して、それを抑制することを目的としているのではないのでしょうか。大学が、教員が有給休暇を取ることを邪魔しているのであれば、労基が取り締まるべきでしょうが、そうでないのであれば自由にさせればよいでしょう。

仕事をしやすい職場へ好きで通っている大学教員にとっては、年に5日間も仕事をすることを妨げられてしまっているということでもあります。また、健康増進法との兼ね合いであるとすれば、週末や朝・夕方の時間を使って好きなように取り組めば十分と思います。あれこれ、法律が顔を覗かせ過ぎるのは、窮屈になるのですよね。




2021年6月24日木曜日

ワタリガニを食べたければ

こんにちは。辻井洋行です。

バージニア州には、Blue Crabというワタリガニがいて、名物になっています。シーズンになるとスーパーの鮮魚コーナーで、ドラム缶みたいな大きなバケツに、無造作に放り込まれたのがたくさん売られていました。

水質が損なわれると数が減ってしまうからでしょうか、雨水用の排水管の蓋には、このワタリガニがデザインされています。「ここに汚い汚水を流したら、ブルークラブが食べられなくなるぞ」と警告しているのかもしれません。

こういう連想を引き出すデザインは趣味がいいなぁと関心します。人の行動を方向づけるのは、こういうものですね。私たちは、損することを嫌う動物ですからね。





2021年6月23日水曜日

立ち仕事のススメ

こんにちは。辻井洋行です。

職場では、立ったままでのオフィスワークが続いています。仕事をしながら考え事をする時間が多いので、その時には、ウロウロと室内を歩き回っています。本を読むときも同じです。歩いていると体にリズムが生まれて、思考が前進するように感じています。座っていると、椅子に根が張ってしまいますからね。

紙とペンで仕事をしていた時代は、座っていないと文字が乱れたり、紙が落ち着かなかったりして不便だったのかもしれませんが、いまはものを書く作業も、音声入力やキーボードを使うので、立ちでも座りでも姿勢に関係なくススメられます。

ずーっと立ったままの姿勢を続けているとさすがに腰に負担がきます。これは、座っていてもおなじです。要は、同じ姿勢を続けることが、骨格に負担を与えるわけです。立ち姿勢で、適当にウロウロしながら考えて、書き出す時にはそれに集中するという流れができると一日快適に仕事を続けられます。

難点は、寝不足の時に立っていることが辛いことです。その時は、しかたなく座って仕事するか、そもそも寝不足にならないスケジュール管理を心がけることが大事だなと思います。


 

2021年6月22日火曜日

ハノイのコージーなカフェ

こんにちは。辻井洋行です。

こちらは、2013年8月のハノイにあったカフェの外観です。もう、ここでどんな食事を摂ったのかは忘れてしまったけれど、コージーな外観に惹かれてのスナップです。映画のセットのような佇まい。いつでも入ってきて良いよと手招きをしてくれているように観じられます。

ハノイの旧市街の物件をそのまま活用して、時間の流れを感じさせてくれます。来客のバイクや自転車が、雰囲気にアクセントを添えています。証明の薄暗さもまた、人を寄せ付けます。黄なりの証明は、心をほっこりと落ち着かせてくれます。

こんな場所で、汗をかきかき口に運ぶコンデンスミルクたっぷりの冷えたコーヒーは、また格別です。ここもまた訪れたいハノイのいいとこです。



2021年6月21日月曜日

Krogerでのお買い物カート

こんにちは。辻井洋行です。

ところ変われば品変わると申します。これは、Krogerというスーパーマーケットでの買い物カートです。カートのサイズは、日本ではコストコのサイズでしょうか。使い始めは、えらい大きいなあと思ったものですが、買い出しは週に1度のことだったので、そのうちこのカートに1っぱいの食品を入れることになりました。

この写真は、基本的な食事の買い出しです。食パン2本、トルティーヤ2袋、卵1ケース、鶏肉、野菜はお決まりスピナッチ(生食できるほうれん草)、ケール、ニンジン、タマネギあたりがを常備していました。リンゴは4つで2ドルとか。カンタロープ(メロン)は、1つ3ドルくらいだったかな。RedBaronの冷凍ピザは、1枚4ドルくらいで、3枚買うと10ドルだったかと。手前のローストチキンは、7ドルくらい。あと、チップスにビールなどなど。

この頃は、為替が1$=127円くらいだったので、何もかもが割高に感じられていました。車を買ったのもそのレートでした。しかし、帰国時は、102円くらいまでに円高が進んでがっかり。

うちの御用達だったKrogerのオンライン商品カタログはこちらに。

https://www.kroger.com/



2021年6月20日日曜日

もしROACH MOTELにチェックインしたなら

こんにちは。辻井洋行です。

これからの季節には、家に入ってくる虫が増えるものです。わたしたちが済んでいる家も、生態系の一部なんですから、虫たちにとっては、居心地のよいところを求めて、たまたま探し当てたのが、あなたの住まいということもあるでしょう。

とはいえ、共存・同居は難しいもの。同居しているとしても気配や雰囲気は、感じさせて欲しくないものです。そんな気楽なことを言ってられない人は、虫を捕まえて、ご退散頂く、力尽くでいなくなってもらうための備えをすることになります。

これは、2016年に米国のDIYショップで見つけた、日本のゴキブリホイホイと同じ商品です。なかなか日本のゴキブリホイホイにMOTELと使うことはないと思うので、記録しておきました。

ゴキブリだけでなく、コオロギやサソリも捕まえる!とあります。コオロギが、これに捕まっていたら、可愛そうで涙がでそうです。また、サソリも捕まるというのは、お国柄ですね。

「一度、チェックインしたら、二度とチェックアウトしない」というキャッチコピーがホテルへのサブ誘導看板にレイアウトされていますね。そして、死刑終了を意味する"Black Flag"と添えられているのが、メーカーの自信を匂わせます。

僕が、朝来て突然、ゴキブリに変身していたとしても、決してチェックインしたくないMOTELであります。手足がネバネバで動かせないまま、最後を待ちたくありません。そう思えば、けっこう殺生な商品と思います。



2021年6月19日土曜日

サンパウロのチベット・ハウス

こんにちは。辻井洋行です。

2016年3月下旬、僕はサンパウロにいました。大学院の小林先輩夫妻を頼っての渡航でした。到着したその日に、今日は特別なセレモニーがあるということで、市内のチベット・ハウスへつれていってもらったのです。

チベット・ハウスは高層ビルの建ち並ぶサンパウロにあって、2階建の小さな祠のような作りでした。この写真を見ると竣工からまだ日が経ってない雰囲気でした。

チベット仏教の僧侶が来ていて、何週間か掛けて描いた砂の曼荼羅を崩す日だったと思います。開錠にはたくさんのパウリスタたち、曼荼羅についての説明に耳を傾けます。南半球においてもチベットへ関心を持つ人がこれだけいて、実際に足を運んで来ていました。

曼荼羅は世界の仕組みを表したもの。それを砂で描き、最後に崩してしまうことに、仏教の価値観を感じたことを今でも覚えています。




2021年6月18日金曜日

ドライブスルーのATM

こんにちは。辻井洋行です。

ノーフォーク市ゲント地区にあるバンク・オブ・アメリカの裏手には、ドライブスルー方式のATMがあった。現金を引き出したり、小切手を受け付けてもらったり、車に乗ったままで操作できるのが便利なのだろう。銀行の玄関のATMは1台キリだったのだけど、裏手には確か2-3台あったように覚えている。

車から降りるのが、どれだけ面倒なんだろう、とも思いつつ。ひとりで現金を出し入れするときには、もしや強盗に襲われたとしたら、車に乗っている方が、安全なんだろうか。ややこしい輩が見えたら、窓締めてロックして、さっさと逃げてしまう。しかし、相手が銃でも持ってたら、大差ないかな。

ここに済んで居たときには、デビットカードで支払うことが多かったのだけど、けっこう細々と現金を取り出すことがあったので、50-100ドルくらいつつ下ろして、ポケットには20ドルくらい入れていたっけかな。

とはいえ、世の中は電子決済へどんどん進んでいくので、現金を触ることは減っている。これは2016年の写真だけど、3台あったなら2台は、もう撤去されてしまっているかもしれないね。



2021年6月17日木曜日

ノーフォークのかさ上げされた古い家

こんにちは。辻井洋行です。

バージニア州ノーフォークのラーチモンド地域は、清教徒革命の頃、イギリスからピルグリムファーザーズが漂着した場所ということで、合衆国でも西洋と早くから接点のあった地域ということになるでしょう。

ここは、ラファイエットの河口部に辺り、低湿地を埋め立てたようなところです。ラファイエットをずーっと北上していけば、ワシントンDCにたどりつきます。この地域、水辺で涼しいのはよいのですが、汽水域でもありハリケーンと高潮の時期が重なるとけっこう冠水してしまいます。

そういう地域柄を反映してか、古い住宅の基礎はいくらか高めのかさ上げされていて、冠水の備えられています。日本でも水害の多い地域ではなされている生活の知恵でしょう。基礎を上げておけば、土地から上がってくる湿気を抑えることができます。特に、古い家は木造なので、湿気とうまく付き合う必要があるのでしょう。

また、馬車からの乗り降りが楽チンだったということもあるかもしれないですね。


 

2021年6月16日水曜日

僕の好きなタコス

こんにちは。辻井洋行です。

自分の家の庭先で野菜を栽培して、それをトルティーヤでラップして食べられたなら。という妄想をかき立ててくれるのが、La Jollaさんです。写真は、何年か前のものですが、まさに、野菜が主役です。たしか、ハーブチキンの入ったタコスだったけな。

野菜を育てるのは、手間が掛かります。特に、無農薬・低農薬では不確実性が高くなるし、それ相当のノウハウが必要になります。商品として提供するのは難しくても、自分の庭で同じように野菜を育てて、これに似たものを作れるようになることは、家庭菜園を開く僕の目標です。

ポリシーのあるお店に行った時に、いつも思うのは、その時に出てきた料理をどうすれば自宅で再現できるのかということです。どれだけこのタコスに寄せたものが作れるようになるか。それは何年先のことか分からないのですが、工夫を続けていこうと思います。





2021年6月15日火曜日

パウリスタの知恵・ごみバスケット

こんにちは。辻井洋行です。

部屋を片付ける時の基本ルールの一つに、床に直接モノを置かないというのがあります。誰が言ったか知りませんが、確かにスッキリ片付きます。ルンバの居ない我が家でも尊重したいルールの一つです。

サンパウロでは、家庭ゴミの回収スポットのバスケットが、歩道からかさ上げされていました。これには、どんな機能があるのでしょう。回収業者の人が、かがむ必要が無いので、腰を痛めにくいとか、歩道が雨で冠水した時に流されにくいとか、バスケットの周りを掃除しやすいとか。これは、僕の考える機能なのですが、実際のところはどうなんでしょう。サンパウロの清掃局?にお伺いしてみたい。

人が住む地域には、それぞれの事情に合わせて、工夫が施されています。街を歩けば、こういう素敵なアイデアに出くわすことができます。



2021年6月14日月曜日

可能無限とファンネルケーキ

こんにちは。辻井洋行です。

僕たちは、可能無限の世界で生きている。

いくらでも選択肢はあると思いつつ、それは、自身で認知できる範囲のものである。生きているうちに取り組みたいことは、この可能無限の範囲を広げていくこと。認知できるものごとをより多くしていくことである。そのためには、学び続けること、物事を知覚するための物差しを磨き、感覚器をいつでも開放しておくことである。

世の中には、一生掛けても、見聞きできないものが、数限りなくあるという。それを一つでも多く、自分の感覚器で受け止め、物差しで認知したい。そういう心持ちでいれば、突然目の前に現れたファンネルケーキにも、迷わずに食らいつけるのである。



2021年6月13日日曜日

シチヘンゲは世話をしなくても毎年花を咲かせる

こんにちは。辻井洋行です。

うちの入口には、シチヘンゲが生えています。これは、ランタナとも呼ばれます。僕がここに引っ越してくる前から植わっているので、いつからあるのかはよく分からないのですが、すくなくとも7年はここにあり、毎年、茎を伸ばしては花を咲かせます。

まったく世話やいてはいません。葉が枯れてしまったら茎を詰めてしまうので、むしろ成長の邪魔立てばかりしているのですが、負けずにまた生えてきます。ほとほと、根強い植物なんだなと感服しているところです。

土壌改良したり、肥料をやったりしないと、順調に生育できない植物がたくさんあるのに、季節の移り変わりに応じて一人で花を咲かせるとは、なんと力強いのでしょうか。明朝もまた、ひと目みやって、出勤することにしようと思います。




2021年6月12日土曜日

石積みの美しさ

こんにちは。辻井洋行です。

これは、僕のいつもの散歩道で見かける農家の基礎になっている石積みです。全体を取らなかったので、分かれてしまっているのですが、ちょうどこのような上下の位置関係になっています。一般的に考えて、上の方が新しく、下の方が古いということになるでしょう。

一目で分かるように、下の基礎の石積みがより堅牢な作りになっています。積み上げる方向を揃え、石の形を丁寧に加工し、隙間無く積み上げています。丁寧な作りなので、石同士が噛み合って、崩れにくくなっています。

一方で、上の石突きは、不揃いな石をモルタルで繋ぎながら積み上げてあり、作りとしたラフな印象になっています。

どうして、このような作りになったのでしょうか。

もしかしたら、もともと下の石積みの上に家が建っていたのが、洪水で流されたので、急いでかさ増しをする必要があったため、不揃いな石をモルタルで固めるようになってしまったのでしょうか。はたまた、ご先祖様が裕福で、見栄えのよい石を揃えられたが、その後は続かなかったのか。

いずれにせよ、より下の基礎になっている石積みの方が、人やお金を掛けて造形された印象があります。そして、下の石積みの方が断然美しいですよね。




2021年6月11日金曜日

自分の思考の一部を客体として造形・彫刻する

こんにちは。辻井洋行です。

朝の時間は、アウトプットから始めます。なぜなら、前の日の活動を通じて五感からため込んだ情報が頭の中で整理され、アウトプットされるのを待っているからです。私たちは、定期的に頭の中に入っている考えをアウトプットすることによって、何を考えているのかを自分がひねり出す文字や絵、音声を通じて再認識することができます。

アウトプットしないままに新しい情報をインプットしてしまうと、記憶は定着しないまま、どんどんと更新されていってしまいます。忘れてしまった構わないことはそれでよいのですが、これは思考の履歴として残しておきたいということは、アウトプットしておく必要があります。また、アウトプットして見なければ、それが自分にとって必要なことがどうかの判別も付かないものです。

書いたり話したりするのには、労力・エネルギーを要します。ただ、それを惜しんでしまえば、前の日までの思考をどんどん捨てて行くことになります。特に、知的生産には、アウトプットが大切です。アウトプットし、自分の思考の一部を客体として造形・彫刻し、完成させていくようなイメージです。



2021年6月10日木曜日

思わぬ出会いには心が震える

こんにちは。辻井洋行です。

思わぬ出会いには、心が震えるものです。それは、世の中が、自分の狭い容量では説明しかねるものであると、不意に思わされる瞬間です。そのようなことに直面することが増えれば、それだけ、世の中が奥深いものであると捉えられるようになります。

誰にも半生があり、それぞれの経験を積み重ねてここにいて、対峙するに至っています。そう思えば、その人となりに興味を持ち尊重することは、当然のこととでしょう。誰にも切実な時が流れており、その価値については、外野がとやかくいうことは、できないはずです。

誰しもが個であり、そのことを受け入れて、辛い時も安らかな時も、生を灯しているわけです。そう、ここで見事なポーズを決めちゃっているペンギンにもまた、他の知り得ない時が流れているのです。ゆえに、個々の生は、誰かの道具や目的ではなく、それ自身が尊いはずなのです。

その尊い存在との出会いには、やはり、心震わさずにはいられないでしょう。




2021年6月9日水曜日

主客逆転の建物

こんにちは。辻井洋行です。

人工物と自然物の共演が美しい。ここは、プノンペンでも伝統的なクメール料理を食べさせるお店で、とても風情を感じられた。はじめてアモックを頂いたのもここだったと思う。

とても古い建物だった。年代は分からないけど、僕と同じ歳か、もっと上なのかもしれない。特徴は、写真の通り植栽に埋もれてしまっていること。どこか入口なのか、どこに窓があるのか、遠目には判然としない。

暑い街なので、これらの植栽が繁茂するがままになったのだろう。一方で、その枝はが、強い日射を遮って、涼しさを醸し出している。壁面緑化と仰々しく宣伝されるずっと以前から、この建物は、そうだったのだろう。

建物に植栽があるのか、はたまた、植栽の中に建物ができたのか。主客が逆転し、渾然一体となった姿にシャッターを切らざるをえなくなった。





2021年6月8日火曜日

食の街プノンペン

こんにちは。辻井洋行です。

僕の好きなカンボジア王国のプノンペンには、おいしいものがあります。写真は、「青胡椒とイカの炒め」と「蓮の茎の炒め」です。特に、カンボジアは、胡椒の生産に力が入っていて、新鮮な青胡椒を食べられるのは、産地ならではです。イカを食べるための胡椒ではなく、この料理では、青胡椒そのものが主役と言えます。

ここには、おいしいものがたくさんあり、帰国時には、決まって体重アップしてしまいます。いやそれは、アンコール・ビールの飲み過ぎが原因かもしれませんけどね。食の街、プノンペンに、機会があればぜひ足を運んで下さい。

青胡椒とイカの炒め
蓮の茎と肉の炒め


2021年6月7日月曜日

カボチャの実り

こんにちは。辻井洋行です。

春先に植えたカボチャの種が、大きくツルを伸ばし葉を広げ、また実を結んでいます。うちの狭い庭には、堂々と広がった葉の下には、5つほどのカボチャの実が膨らんで来ています。毎日、見る度にサイズアップを続けているので、ひと月後には、家全体が飲み込まれてしまっているかもしれません。その時には、カボチャの馬車ならぬカボチャ御殿と呼んで下さい。

カボチャには、雄花と雌花があり、タイミングよく花開いて、受粉しないと雌花の付け根の実は、ポロッと落ちてしまいます、ハチや他の虫が媒介しない限りは、人手を介さないと、実りは得られないわけです。

作付け前のイメージよりも、カボチャの種の発芽率は高く、株の間の距離をとれば、すくすくと育つ印象です。土地はあまりこだわらず、肥料としては油かすを混ぜ込んでいる程度です。小さなプランターでも、ツルをはみ出させるスペースがあれば、簡単に育てられそうです。良かったら、お試し下さい。

ちなみに、スーパーで買ってきたカボチャの種をそのまま植えただけです。



2021年6月6日日曜日

夕方をマッタリ過ごすネコ

こんにちは、辻井洋行です。

特に、廃墟好きということでもないのですが、使わなくなった倉庫の入口の古びた椅子に、ネコが一匹、どかっと腰を下ろし、こちらを見やっていました。夕方、そろそろ西日が強くなっていたので、東に向いたこの庇の下は日陰となって、涼しいのでしょう。

ネコは、快適な場所を探すのが得意な動物というので、きっとここは居心地がいいはず。僕なら簡易テントなんぞを持ち込んで、一緒に寝そべってみればよいのでしょう。いくらか草がボウボウと生えっぱなしなのが気になりますが、夕方をマッタリと過ごすには、申し分ないはずです。


2021年6月5日土曜日

紫陽花の季節

こんにちは。辻井洋行です。

夕方に散歩すると今時期には、あちこちに紫陽花が自らの美しさを誇っています。散歩する道沿いには、誰かが手入れをしている場所が何カ所もあります。それらを見比べていると、紫陽花には、いろいろな色味のグラデーションがあるのだなと気づかされます。

写真のものは、白からクリーム色の間でしょうか。潔い白は、陽光に映えてより美しく輝きを放ちます。

これだけの大きな花弁を咲かせるには、それ相当のエネルギーをつぎ込むはずで、夏−秋−冬−春と咲かない11ヶ月の間に養分を蓄えて、この時を待っているはずです。紫陽花の花を咲かせるひと月の間はハレの時期であり、残りの11ヶ月はケの時期を過ごしているわけです。

見方を変えれば、紫陽花にとっては、ケを過ごす11ヶ月が生の大半であり、その時期にどれだけ自力を付けることができるのかが、周りと美しさを誇り合う時節に向けた仕事に取り組む期間なのでしょう。




2021年6月4日金曜日

プノンペンのオムライス

こんにちは。辻井洋行です。

オムライスは、大好きで、一時期はお弁当箱に詰めて職場に持っていったものです。白飯と刻んだソーセージにミックスベジタブル、ケチャップを和え、プライパンで薄焼き卵を作ってのせるだけです。これだけで、簡単にオムライスになります。昼食が楽しみだったな。

写真は、プノンペンのCJCCカンボジア日本人材開発センターの中庭にあるカフェでサーブしてくれるオムライスです。これがまた、素朴な味わいでおいしいのです。ライスは、ジャスミンライスで甘い香りがしていたな。

また、きっとプノンペンに行ったら、これを食べます。



2021年6月3日木曜日

不要な写真をボチボチ消しておけば整理作業が楽チンです

こんにちは。辻井洋行です。

マックの写真アプリから、microSDへのバックアップ作業をしていて気づいたのですが、何もせずそのまま25000枚の写真を移動させるとファイル記号や作成日の順番に羅列されるばかりで、その後の画像検索がとっても不便になるということでした。

そこで、やり直しを決めました。今回は、数枚の写真ファイルをグループしていし、「i」情報ボタンをクリックして、一括でタグを付けるという作業を挟みました。これによって、大まかに写真の整理が付き、キーワードで検索することができるようになります。

こんなことに成る前に、小まめに作業しておけば良かったのですが。最近は、スキマ時間を使って、iPhoneに格納されている不要な写真ファイルをボチボチと消しています。



2021年6月2日水曜日

いくら便利なサービスでも全てを委ねちゃダメダメ

こんにちは。辻井洋行です。

この10年間で、 撮った写真の数が25,000枚を超えたということで、せっせとmicro SDカードにコピーをとっています。これだけ写真が増えたのは、どうかんがえてもiPhoneを持つようになったからでしょう。兎にも角にもパシッパシッと撮りまくって、特に整理整頓もせずに溜めていくとストレージは一杯になっていってしまします。

クラウドストレージの容量を大きくすると端末の容量もそれなりに求められるようになります。今時のPCは大容量化しているとはいうものの、いつ何時、物理的破壊が生じてしまうやもしれない。クラウドストレージは、ずいぶん信頼できるサービスに違いないと思いつつも、全てを捧げてしまっては、いざという時の後悔はいかばかりかと思えば、信頼するSDカードを何枚か手に入れて、定期的にバックアップしていくのが得策だろうと思ったわけです。

いまどきは、半導体価格が高騰しているとはいえ、micro SDカードは256GBが4000円くらいで手に入ります。512GBでも6000円くらいですから、1枚でスマホ2台分くらいの記憶容量があります。2枚買っても12000円、10年保存するつもりなら、1年で1200円、月当たり100円のサービスになります。

そうであれば、クラウドストレージの契約は、最小限にして普段使いのファイルを保存することにし、中長期保存のものは物理保存すればよいなと思うに至りました。

いくら便利なサービスでも、全てを委ねるべきではないでしょう。それは、全財産でどこかの会社の株式を一点買いするようなことですよね。



2021年6月1日火曜日

将来の自分が読んでニヤリとできるようなもの

こんにちは。辻井洋行です。

また、何を書こうかと考えながら、見切り発車で書き始めています。書きたいことは、書き始めれば分かるという経験則について書いたことがあります。ついさっき、別の仮説として耳に入ってきたのは、書かないといけないと思っていることに縛られているから筆が進まないのではないかというものだった。

自分の職業や世間体といったキャラクターに沿ったことを書かなくちゃいけない、こんなことを書いたらどう思われるだろう。そういう思いが先立ってしまえば、文章が先へ先へと進むことが難しくなるのは当然だ。そう思えば、書きごとの限定解除、リミッターカットを意識的に推し進めるのがよいのだろう。

とはいえ。(そう。とはいえ。)ブログは、公けのメディアであり、何を書いてもいいというわけではない。(もちろん、そんな公序良俗に反することを書きたいわけではないし。)ここは、ちょっとした話題提供の場であり、共感したり、反発したりして、いくらかでも頭の活性化になればいいなと思って開いているものである。

また、こうやって書き「残す」ことは、何十年も先の自分への置き土産のようなものになるのだろう。こんなこと思ってたんだなとか、馬鹿なことを書いてるなとか、将来の自分が読んでニヤリとできるようなものが残せるといいなと思う。