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2021年9月19日日曜日

接種2回目に向けて

こんにちは。辻井洋行です。

これから、2回目の新型コロナ対応の予防接種に向かいます。1度済ましているので、動作としては慣れたものですが、副反応で発熱するとかしないとか、確率で示されても、それに自分がどの程度該当するのかは、よく分からないです。

ここ数年、風邪も引かず、発熱していないので、発熱している体感を忘れてしまっている気がするので、体にそれを思い出させるためには、良いことなのかもしれません。好まないけど。

とにもかくにも、その時がやってくるので、あれこれ考えずに会場へ足を運ぶことにします。



2021年9月14日火曜日

ブログを書く時間の幸せ

こんばんは。辻井洋行です。

9月に入ってからは、日刊ブログにはあまりこだわらなくなりました。というのは、どうしても、書くために書いている気分が抜けなくなってしまったからです。いくらでも書く事があり、各時間が余っている時には、どんどんブログに気持ちが向くのですが、どうもそうならないこともあります。
特に、8月下旬からは、大学の集中講義の仕事が2本立て続きにあり、その準備と運営にかかりきりになり、ブログを書くよりは、そちらに時間を割り当てる方が、全体としての仕事の生産性が高くなると考えていました。
こうして、ブログを書くことができているということは、少し時間の進み方がスローダウンしたということなのでしょう。また、これからもブログに向き合う時間が増えて行きますようにと。



2021年9月7日火曜日

自学自習の教育効果を見直してみたらどうか

こんにちは。辻井洋行です。

大学においては、教育談義を行うことが多くなりました。中高のような教育方法論の実装が大学にも進んで来ています。大学は教育機関であるから、折り目正しく、教育活動の工夫を重ねるべきであるというのが、官庁の考える大学に社会責任であるのかもしれない。

その一方で、日本の大学の研究力は、毎年、ズルズルと下がって来ているらしい。この10年以上、日本の大学業界において、これだけ教育が議論されるようになった一方で、その成果が、大学の研究力へ有効にフィードバックされていないように見えるのは、どうしてだろうか。論点がズレているのか、内容がダメなのか。教育方法論よりも、自学自習に委ねていた過去の方が、教育効果が高かったのかもしれない。

なにもかも教えてられてばかりいると、飼い慣らされた猫のような人がたくさん生まれて来るのではないだろうか。

そんなことを思う、夏期集中講義の中休みである。



2021年9月6日月曜日

夏期集中講義「経営入門」のこと

こんにちは。辻井洋行です。

ちょっと間が空いてしまった。夏期集中講義の1週間は、それにかかりっきりになってしまう。それだけ、大切な内容で、取り組み甲斐の高い授業として運営できている。

特に、この科目「経営入門」は、この地域に学ぶ大学生と中小企業の敏腕経営者が、お互いに相手のことを知らない、どんな思いを持って、学んでいるのか、事業に取り組んでいるのかを知らない。知らないからこそ、相互に関わり合い新しい価値を生み出す活動が行えない。そういう地域の課題を解決することを目的としている。

社長の話を聞いたり、会社を見学して、受講生がレポートを書いておしまいではありません。この授業では、受講生が企業を取材し、大学生の視点で捉えるその企業の魅力を盛り込んだリーフレットを作成するところまでを取り組む。このリーフレットは、内容が良ければ、企業で採用ツールとして活用して頂く。受講生は、リーフレットを製作するために、経営理念や事業の特徴、職場としての継続性の工夫など入念な取材へ取り組むことになる。

この活動は、就職-採用のためのお見合いセミナーではなく、それぞれが地域社会がよりよい時空間になっていくように積極的に貢献するためのきっかけを作ることを目指している。そういう授業を企画運営できているというのは、幸せなことに違いない。




2021年8月30日月曜日

長雨が引き立てる青

こんにちは。辻井洋行です。

今年の夏は、夏らしい夏は、少し短めなのかもしれない。8月中旬から下旬にかけての長雨は、まるで梅雨の戻りのように、雨を降らせた。いつまでも雨は続かず、とはいえ、2週間以上続く雨で、家でゆっくり過ごすことが増えたように思う。
そして、この青。長雨の灰色の空をずっと見ていたからこそ、この透き通る青、深い青からうすい水色へのグラデーションが目に染みるように感じられる。体験のコントラストは、風景を違ったものに見せてくれる。
長雨は、庭の水やりを減らし、水道料金を節約させてくれるばかりではなかったらしい。












2021年8月29日日曜日

職場近くのカーシェアサービス

こんにちは。辻井洋行です。

うちの職場の隣に、カーシェアサービスの車両が2台止まっています。何ヶ月かサービスが続いているようなのですが、どういう人がユーザーになっているのだろうかなと想像しています。通勤・通学者は、自家用車・バイク、バスが主な移動手段になっています。各学校や団体には、共用の公用車が備えられています。そういう中で、この車両は、どういう使われ方をしているのでしょうか。公用車が足りない時の補完的な役割かな。

きっと私が想定しない用途があるのかもしれませんね。


 

2021年8月27日金曜日

どこかで買ったホットドッグ

こんにちは。辻井洋行です。

どこかで買って公園で食べたホットドッグです。もう風味がどうだったとか、全然覚えてはいないのだけど、お腹が膨れればなんでもいいやって。それでも。具材もチーズもたっぷりトッピングしてあるから、きっと美味しかったのだと思う。

時々、こういうのが食べたくなるんだよね。ちなみに、ホットドッグは、もともとソーセージそのものであり、それを手を汚さずに食べるための知恵から生まれたらしい。パンに挟むことで、具材をのせるアイデアがのっかったのだろう。むこう100年で。ホットドッグは、どんな進化を遂げていくんだろうか。








2021年8月26日木曜日

ワクチンと食べ物

こんにちは。辻井洋行です。

人は、ワクチン接種後には、食べ物の写真をアップする習性があるそうです。僕もこの週末には、そうするのでしょうか。5年前の3月に僕は、サンパウロにいて、たしか、大学のレストランでフジッリを食べていたらしい。

この時は、注射を打ったわけではないのだけど。きっと、見慣れない風景・物事を浴びるほど注入していたのだろう。そういう心理的な刺激が食べ物に注意を向けさせるのか。生命の危機を感じているように。



2021年8月25日水曜日

ハロウィンまであと

こんにちは。辻井洋行です。

先日、ダイソーを覗いたら、まだ8月中旬なのに、ハロウィングッズが並んでいました。季節ものの販売は、早くすれば売れ行きの動向で増産減産の判断が効くし、関連グッズの展開にも有利に働くのかもしれません。

収穫に感謝し命について考える祭事としては、日本のお祭りも同根なのだと思うのですが、日本のお祭りグッズでは、アイキャッチが足りないのかもしれない。豆絞りを首にかけ、はっぴを羽織るというのは、きっと30年くらいしたらひとまわりして、また流行始めるのかもしれません。

ハロウィンが定着して来たのであれば、そろそろそういうこともグッズに添えて展開することで、恵みや命の尊さについて、考える機会が得られるのかもしれない。

ハロウィンを今の形にしたのは、アメリカ人らしいのだけど、その昔、不景気の頃、ハロウィンはいたずらが行き過ぎて、街が大変な惨状になってしまっていたらしい。そこで、Trick or Treatが発明された。ひとつかみのお菓子で、お化けが気を静めてくれるのなら、お安いもの。

人の中でも自然により近い子どもたちが、怖い自然の化身として街を練り歩く。自然が怖い大人は、その得体の知れないものにお供えものをして、過ぎ去ってしまうのを祈るのみ。決まり文句も言わずに「お菓子下さい」というのであれば、神社やお寺の境内から撒かれるお餅を奪い合う方が生きている実感を得られるのだろう。




2021年8月24日火曜日

現場で培われる力は小さくない

こんにちは。辻井洋行です。

来週には、6日間連続の集中講義「経営入門」を控えていて、準備を進めています。受講生43名、企業経営者9名、役所と教員、TAを合わせて5名、総勢57名が動くプロジェクトとなっています。学ぶべき内容は、経営者の皆さんと受講生が持っているので、僕の仕事は、全体の流れを整えることにあります。

僕自身は、元来、単独行動が好きな質なので、組織的な動きは、どちらかというと苦手なのですが、この授業の切り盛りを通じて、それに必要な準備、段取りを少しずつ身につけて来ているように思います。こういうことには、近道はないですね。

現場で培われる力は小さくないということでしょうか。どのような場になっていくのか。関わる人たちにとって時間を掛けて良かった!と思える機会になるように、準備を進めて行きます。


 

2021年8月23日月曜日

実りはもたらす

こんにちは。辻井洋行です。

食事と排泄は、生きることの基本です。そんなことは、当たり前であり、わざわざ意識するまでもないことなのかもしれません。ただし、意識しなくてもよいのは、食糧供給と衛生管理を支える人がいるからであり、それを動かす仕組みが滞りなく動いているからです。

ひとたび災害が起これば、その前提は崩れてしまいます。軽度の災害であれば、回復まで時間を要しなくても、定常システムが想定した以上の災害となれば、どうでしょうか。

食糧の不足は、それの取り合いになり、取り合うものさえ無くなれば、それを求めて住む場所を移動していくことになります。衛生管理が滞れば、疫病が流行り、そこに住み続けることができなるでしょう。では、どこにいくのか。いくらかでも、マシな環境を奪い合うことになりかねないわけです。

実りは、生の安定をもたらします。ただし、その安定は、同じことを繰り返していても、維持できません。変化し続ける状況に対応し続けることで、安定は築き得るもの。この実りに、私が何をしたわけではありませんが、少なくとも、これを形づくった方の努力と気候風土に感謝の気持ちを忘れずに過ごしたい。




2021年8月22日日曜日

人が憩うための場所

こんにちは。辻井洋行です。

これは、近所にある公園でのスナップです。おそらく、その昔に財をなした人が持っていた庭を公営化して、市民の憩いの場にしているのだと思う。起伏のある土地で、木立の中を縫ういくつもの歩道に、鯉の住む池もあり、のんびり過ごすには都合良いです。

広場はあるのですが、テントを広げられるほどではありません。そういうのではなく、すこし誰かのお庭を間借りして、楽しませてもらっているという感じです。

すこし、土地が空くと、新興住宅地になったり、メガソーラーになってしまう時代に、こういう庭は、人が憩うための財産なのだと思います。現代では、お金を生み出すものばかりが、財産・資産と見なされますが、その価値から外れるものを見直す必要があるはずです。安易に手放さないで維持して行きたいもの。

公営資産の評価物差しは、利用者数・トラフィックのようなので、通いたいと思います。




2021年8月20日金曜日

闇と光

こんにちは。辻井洋行です。

光は闇があってこそ映える。闇を照らす光を素敵に感じるのは、私たちの闇に対する恐れ、いつ捕食者に捉えられてしまうかもしれないという怖さが先にあり、その中での安心感を与えるものなのだろう。

一方で、闇の中の猥雑を想起させるものであるからかもしれない。猥雑は生の本源的なものにも通じる。ありとあらゆるものが、公明正大につまびらかにされていては、心が休まることはない。オープン過ぎる場所に人が根付かないのは、そういう理由なのではないだろうか。

私たちは、闇の中を少しの光を頼りに生きてきた。陽の当たる場所だけが生活の場ではなく、闇夜にこそ、生きることの本質があり、そのことを私たちのミームは伝えているのだろう。ハノイの夜は、それを思い出させる。



 

2021年8月18日水曜日

思うままに

こんにちは。辻井洋行です。

僕らが40年を過ごした世界の秩序が、どんどん変わって行っていることに気づく。その変化は、特定の誰かが意図したものではなく、物理的な制約とその範疇での名も無い人々の意思のうねりの中で進んでいるものである。

ヒトを含む生物種は、常に漸進的な変化の過程にいるが、個体の単位は基本的に保守的に振る舞う傾向があり、周辺の変化に気づいて態度を改めることを拒む。その世代がなんとか永らえたとしても、数世代のうちに不適応な種は無機物への還元され、次の融合を待つほか無くなる。

世界のうねりから見れば、小さな問題も、小さな目にとっては、抜き差しならないやっかい事である。これまで通りが良いという考えは、進化の遅れによるものである。学習は可能であっても、進化は何万年オーダーで進むものであり、学習成果が進化の板の上に載るには、相応の時の経過を待つしか無いのだろう。

学習スピードにしても個体差がある。だからといって現状打開すべく、ガラガラポンと行かないのは、私たちに意思・感情があるからである。意思・感情は、私たちを幸せにもするし、不幸にもする。不幸を疎ましがって、それを捨てるのは、ヒトであることを捨てるに等しい。ヒトとして生きることにいいとこ取りはなく、幸せばかりではない。

それでも、幸せをつかむためのノイズを引きずりながら、私たちは日々を生きているのだろう。まずは、緑をみて目を休め、よく眠って鋭気を養い、今日をまた踏み出そう。




2021年8月17日火曜日

科目「経営入門」の季節に

こんにちは。辻井洋行です。

今年もまた、科目「経営入門」の季節が迫ってきました。

この科目は、なかなか接点がない大学生と地域の経営者の皆さんが、 お互いに大切に思っていることを知り合い、学び合うためのものです。

この夏には、44名の大学生が参加し、8つのグループに分かれて、担当する企業を取材し、その魅力を彼らの視点で紹介します。

取材を通じて、大学生の皆さんは、社長や社員の皆さんと話したり、普段はなかなか立ち入れない会社の中や仕事の現場へ繰り出し、どんな思いで仕事に取り組んでいるのか、どんな楽しさや苦労があるのか、見たり聞いたりさせて頂くことになります。

また、受け入れる皆さんにとっても、自社が大学生の目を通して、どのように見えるのか、改めて気づきを得て頂く機会にもなります。

新しい価値創造、イノベーションは、異なる視点の掛け算で生まれます。そういう機会を生み出せることは幸せなことだなあと思っています。




2021年8月16日月曜日

とつぜんカシワ

こんにちは。辻井洋行です。

カシワの葉といえば、端午の節句にお目もじすることが多いのですが、ここの公園には、4-5本の木が育っていました。この時期は、陽光を受けて目に優しい緑を醸してくれています。

いつもは、餡の入った餅を包む姿ばかりなので、この葉を見たときには直ぐに名前が出なかったのですが、ああそうそうと思い出すことができました。それはちょうど仕事で関わっている人にスーパーでばったり出会っても、服装が違ったりすると誰だったか、直ぐに思い出せないような感じです。

お刺身は、短冊の形で海で泳いでいると思っているという子どもさんの話がありますが、(そんなあほな話はなかろう)自分もそれと大して変わらないなと思わされたわけです。カシワの名前くらい、直ぐに思い出そうよと。

といいつつ、この葉がホントにカシワなのかどうかは、詳しい人に聞いてみたいところです。




2021年8月12日木曜日

No satisfaction, no life...

Hi, I'm Hiro TSUJII.

It takes some more minutes to write something in English under my ability to use it. "No chance, no ability," like "no music, no life." If there is no chance I can make it by myself without any obstruction by nobody. Social media, hand writing letter to somebody or planning to issue article can be a chance to train me. "No training, no muscle" means if I skip something to do mandated daily, my muscle become weak immediately and unknowingly. So, if I wish to keep ability to do something, just doing it everyday without absence. This is some of the word to admonish myself to life longer here in society with satisfaction.

No satisfaction, no life...



2021年8月11日水曜日

イヌビワの季節

こんにちは。辻井洋行です。

イヌビワの季節が戻ってきました。道すがら、黒い小さな実が目にとまったので、覗き込むと蜜を垂らしたものが成っていました。名前から、ビワの仲間のようです、イチジクの仲間に入るものです。なら、「イヌイチジク」やない?と思うのですが、誰かがいつか付けてしまった名前がいつまでの使い続けられていいます。「イヌ」という名前が付くと「役に立たない」とか「取るに足らない」、「小さい」という残念な意味がまといます。いやいやいや、めっちゃ美味しいですよ。失敬な!笑

散歩の時に、イヌビワを見つけたら、ぜひ摘まんで見て下さい。一つ二つと手が伸びますからね。イチジク好きは、きっとやみつきになります。



2021年8月10日火曜日

愛車が10万キロを達成した

こんにちは。辻井洋行です。

僕の愛車は、ついこの前、累積走行距離10万キロメートルを達成しました。基本的に街乗りで、年に数回の遠出に使うのみですから、12年間で10万キロは順当なところなのではないでしょうか。もともとは、ディーラーで体の良い中古をお願いしたら、2年弱で1万2千キロほど走っていたフィットを紹介してくれたご縁です。

この間には、1年間ほとんど使わないことがあったり、縁石でタイヤが割れてレッカー移動したり。つい数ヶ月前には、ブレーキシリンダーの破損が遠い出先で分かり、片道8時間をJAFのお世話になったり。いろいろありましたが、今後も手入れしながら、大切にドライブして行きたいものです。




2021年8月9日月曜日

イタリア付いた日

こんにちは。辻井洋行です。

BSP「

世界ふれあい街歩き

」が、ナポリだなあと思って眺めていた午後に、本屋にいくと栗原はるみさんの雑誌が出ていて、題名が「はるみのイタリアン」だったので、思わず手を伸ばし、スパゲッティやドルチェのアイデアを読んでいるうちに、帰る時間になり、買って帰ることになりました。

まさか、朝の番組が、この雑誌のマーケティングだったわけでは無いのでしょうし、雑誌が手の伸びるところにあったのも、特に計画されたことではないはずです。それでも、雑誌を買ったのは、ナポリの街をテレビで見たことに促されているはずだし、ナポリを扱う番組が気になったのは、スパゲティやドルチェに心が向いていたからなのでしょう。

自分で決めているようで、誰かに決められているようでもある。自由意志の有無は、こういう現象を煎じ詰めていく先にあるのだと思います。



2021年8月8日日曜日

ハノイのハイランドコーヒー

こんにちは。辻井洋行です。

ハノイのホアンキエム湖の北側、ハノイの旧市街地の目立つ建物は、このハイランドコーヒーのビルである。大きなナマズかクジラが口を大きく開けたような建物は、各階にカフェが入り、夕方には涼しい風を受けながら、コンデンスミルクたっぷりのコーヒーを楽しむことができる。

ただ。この眺めを楽しむには、対面にあるilly'sに入店することになります。写真では分かりませんが、足下の道路は、ラウンドアバウトというわけではなく、開けていて、バイクと車と人が縦横無尽に行き来します。よくもまあ事故にならないもの。

ここを安全に渡るコツは、一定の速度でゆっくりと歩いて渡ることです。歩く速度を変えたり、立ち止まったりしてはいけません。同じスペードでどうどうと歩いて渡れば、バイクの方から避けてくれます。ただ、車はそういうわけにはいかないようなので、やり過ごしてから渡り始めましょう。



動画があった!


 

2021年8月6日金曜日

ノーフォークのマーメード

こんにちは。辻井洋行です。

ノーフォーク市にマーメード像を置くというキャンペーンは、1990年代初めに、当時の市長の発案で始まったそうです。歴史的な建物はたくさんあっても、遊びや花が足りなかった街に、彩りを添えようという趣旨に産業界が賛同して実現したとのこと。今では、街のあちこちに、このように両手を広げた人形像が据えられています。

デザインはいろいろ。抽象的なものや誰かを模したもの、写真のような学校のマスコットを取り入れたものまで。

この街の姉妹都市である北九州市にも、二体のマーメードが据えられています。ひとつは、小倉北区京町のリバーウォーク北九州の北側入口、もうひとつは、黒崎コムシティ3階の広場の辺り。

ぜひ身近にあるノーフォークを探して見て下さい。




 

2021年8月5日木曜日

涼しさを醸す知恵

こんにちは。辻井洋行です。

暑い毎日には、涼しげなものをみたくなります。これらは、ワットプノン近くのホテルの入口に飾ってあった鉢です。黄色い菊の花が水に浮かんでいます。思えば、プノンペンは、常夏の街であり、見渡せばそこら中に涼しさを演出する生活の知恵があるはずです。

視覚への効果だけで、涼しさを得られます。暑さも寒さも、気分に属することがずいぶんあるのではないかとさえ思います。撮りためた写真が2年半分くらいあるので、その知恵を見つけては、紹介していくことにします。



2021年8月4日水曜日

プノンペンのガーデニングショップ

こんにちは。辻井洋行です。

植物に関心を持つようになったのは、歳を取ったからなのだと思うけど、彼の地にも、観葉植物やベランダの植栽を愛でようという人々がたくさんいるらしく、街中にいくつものガーデニングショップを見かけました。

いつも車で前を通り過ぎるばかりだったのだけど、立ち寄ってみれば、店主や居合わせた他の客たちと、「これいいよね」「こっちがオススメ」みたいな話をすることができたのかもしれない。

プノンペンは、いつも暖かいので、ベランダで植物を育てるのは、きっと簡単なんだろうな。「観葉植物が外で冬を越せないけど、家の中のどこに置こうか」なんていう悩みがなさそうでいいなあ。

ベランダは、ガーデンというほど広くないので、ベランダでのガーデニングは、最近のベランピングみたいに、「ベランデニング」とでも名付けてみたらいいのかな。




2021年8月3日火曜日

しつこさが運ぶ果実

8月3日 火曜日

こんにちは。辻井洋行です。

仕事も遊びも、勝負事は煎じ詰めれば、思いの強さに依って、得られる果実が違ってくる。能力の高さ、要領の良さ、感の良さ、どれも果実を運んでくるものではあるが、肝にになるのは、やり抜くしつこさ、諦めない気持ちの向きであると思う。こういうものは、精神論であって、最近は流行らないものかもしれないが、生きることの本質なのだと思う。

他人の活躍をみて学ぶべきことは、これのはずである。テクニックや近道の見つけ方ではない。



2021年8月2日月曜日

プノンペンの祝いの行列

8月2日 月曜日

こんにちは。辻井洋行です。

彼の地、プノンペンで出会ったお祝いの儀式、結婚式へ向かう新郎の親族の皆さんだろうか、手に手に結納の品を携えて、式場へ向かう。会場の入口には、新婦の父母が立ち、新郎を迎えるところ。

ここでは、伝統を重んじて、家族の契りを交わす儀式が、催されていた。実生活は、もう昔の通りではないのだろうけれども、ハレの日だけへ、じいちゃんもばあちゃんも、そのまたじいちゃん、ばあちゃんもやってきたことを引き継いで、時間の流れの中で家族としての同一性を確認しているのである。

会場の外では、ドローンが空撮している。今昔の交わり。かけがえのない時間のスナップ。





2021年8月1日日曜日

名も無き菓子の味

8月1日(日)

こんにちは。辻井洋行です。

どこにでも美味しいものはある。要は、その巡り合わせを直感としてどのように消化するのかが人生を豊かにできるのかどうかを左右する。名のあるブランド菓子は、多くの人の舌をうならせてきたのだから、疑問を差し挟む隙も無く一級品なのだろう。ただ、名も無き菓子に何を感じるのか。

美味しさは、菓子そのものは当然として、それを食する場所の空気や一日を過ごした疲労感、共に食する人との関係にも影響を受けると思う。仕事上がりの心地よい疲労感をまといながら口に運ぶ当地の味は、他と比べることのできない唯一無二のものである。

そんか菓子との出会いをまた。

 

ハイフォンの焼き菓子

2021年7月31日土曜日

トレーニングへの動機付け

7月31日(土)

こんにちは。辻井洋行です。

朝から走るとか、体に負荷を掛ける時には、そのご褒美になるものが必要だと思う。それは、身体の喜びになるはずのもので、それがあることで、もうちょっと頑張ろうという気持ちにさせてくれるものである。

もちろん、そんなご褒美がなくても頑張ることができるのは、アスリートなのだろうけども、なんでもない素人が、体を鍛えることそのものを喜びにできるばかりではないだろう。

たとえば、こういう朝日は、その時間にその場所にいなければ、眺められないもの。冬場にどれだけ寒くても、この光景さえあれば、早起きして走りに出かけられる。ただ、冬場には、寒すぎてスマホのリチウムイオンバッテリーが誤作動を起こしてしまったこともしばしばだったけど。




2021年7月30日金曜日

手仕事の愛おしさ

7月30日 金曜日

こんにちは。辻井洋行です。

誰かの手仕事は、愛おしい。手仕事の愛おしさとは、不確かさである。ある規格や基準に寄せるように造形しつつも、そこに納まらずはみ出してしまうものを含んでいる。力強さとはかなさが同居している。この造形は、どういう工程で、ひとつひとつ為されてきたのだろう。また、この手仕事以前には、どんな経験がなされ、ここに反映されているのだろうか。そういう妄想をかき立てるのも、また、手仕事なのだろう。

手仕事に潜む人が、面白みなんだな。




2021年7月29日木曜日

他人に人生の選択を委ねないこと

7月29日 木曜日

こんにちは。辻井洋行です。

ウィズコロナでも、なんでもいいのだけど、感染症と共にある暮らしを送ることについて、腹をくくる必要がある。街角の声として、政府による厳しい規制を求める声が拾われ、メディアで報じられるのだけど、マジかといつも思わされる。

世の中に風邪が流行っていれば、感染リスクのある場所に行かないとか、飛沫をかぶるような場所にいかないということは、自分の頭で判断して、行動を選べばよいはずである。それを政府が規制を掛けるように促す人の心持ちは、なんだか先生に指導して欲しい、偉い人に指示して欲しいという幼稚性の表出であるように思う。政府に、個人の行動を規制されるのが安心というのは、人生の選択を誰かに委ねているようなものである。

自分の行動の方針は、自分で状況を踏まえて考え、自身で実行したい。今であれば、手指消毒とマスク、誰かの飛沫をかぶるような場所を遠慮すること。また、機会が許せばなるはやでワクチンを接種すること。それだけで、感染と重傷化のリスクをずいぶんと下げられる。

取り組むべくは、とてもシンプルであり、自分の頭で考えることである。政府が、個人の生活いの隅々にまで、橋の上げ下ろしにまで、介入するような状態だけは、なんとか回避したい。



Am I bad man?

2021年7月28日水曜日

石敢當が戒めるもの

7月28日水曜日

こんにちは。辻井洋行です。

おまじないが日常にあることの意味について考えています。僕にとってのおまじないは、初詣やたまに神社へお参りすることくらいです。初詣の時には、お守りを頂いて、身につけています。もっとも気をつけているのは、交通事故なので、車にもお守りがついているし、年末年始には、必ずしめ縄を付けています。

とはいえ、僕の日常を見直せば、おまじないは、年に一度の季節ものになってしまっているわけです。おまじないをするよりは、自動車保険に入っておこうとか、なにか道具を買って安全を確保しようとか、金銭的・物理的解決を選んでいるのです。

その点、沖縄の街中を見渡せば、石敢當があちらこちらにあって、住居への邪気の侵入を跳ね返しています。そこには、保険や道具では太刀打ちできないものへの備えがなされています。科学が普及して、迷信が消え去ったのが現代です。それでも、変わらずに存在するのは、人の気持ちであり、その緩みです。この石敢當は、目に付く場所にあることによって、人の気の緩みを戒めているのでしょう。

様々な事故やトラブルが、人の気の緩みで生じるものであり、それを予防するものがこれでああるとすれば、毎年、保険金を掛けたり、安全用具を購入するよりは、何十年、何百年も効力の続く石敢當を据える方が、合理的な解決策になるのかもしれませんね。




2021年7月27日火曜日

潜ること、息を継ぐこと

こんにちは。辻井洋行です。

一人で何か考えごとをするのは、水に潜る動作に似ている。息を止めて、苦しくなるまで深みを目指して潜っていく。ずーっと潜っていくと3メートルくらいのところで、耳の奥が痛くなるので、耐えかねて浮上してくる。ここ数年は、そんな泳ぎ方をしていないけど、川の淵で泳いだ時のことを思い出す。

その一方で、人と話すことは、息継ぎのようである。深い淵でみたり触ってきたものを誰かと共有するような作業である。話すことで息を吐きながら、外の空気を吸っている。外の空気ばかりを吸ってばかりいるとまた水に潜りたくなる。ただ、外の空気には、中毒性があるで、潜ることを忘れさせてしまうことがあるので危険だ。

深淵を分かち合うには、いつでも水に潜ることを日常にしている必要がある。外の空気ばかりを吸っていると分かち合うものが無くなってしまうのである。潜ることを忘れぬうちに、また潜る筋力を落とさぬように、いつも気持ちは潜水の方向へと向かわせていよう。



2021年7月26日月曜日

アジア的猥雑さ

こんにちは。辻井洋行です。

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@htsujii  2010年6月2日
日本を含むアジア地域における統一性のない雑多な町並みや文化のことを「アジア的猥雑さ」と呼ぶことがある。その猥雑さの中にある多様性を引き出して根強い社会を作ることがこれからの世代の役割だと思う。
ーーー

このツイートは、かれこれ11年前のことだけど、書いたことを良く覚えている。ムダが省かれ、何もかもを意識下に置こうとすることの危うさについての問題意識である。アジア的な猥雑さは、統率や指示命令系統の無さであり、だれも意識しないうちに育まれていくものである。日本も多分に漏れず、猥雑さを醸し出す場所は、そこかしこにあったものであるが、いまでは、再開発によって、公明正大や統率されたものへとどんどん変貌している。

完全に統率された場所には、イレギュラーを受け入れる余裕はない。小動物も野良猫の姿も見えない場所である。シンプルでよくオーガナイズされた場所というのは聞こえがよい。しかし、雑味や無駄から生じるものが、私たちを助けるかもしれないという機会を捨ててしまっている。

統率が社会の行き詰まりを招いているとすれば、この猥雑さを見直す時が来ているのかもしれない。




2021年7月25日日曜日

稲穂が気づかせてくれる

こんにちは。辻井洋行です。

自分自身に起こっている変化について気づくのは、なかなか難しものです。その代わりに、身の回りの変化が、時間の経過を教えてくれます。つい先日に、植え付けられていたと思った稲の穂がもう頭を垂れています。

きっと、この間にもできることができるようになったことがあり、また、できなくなったこともあるはずです。その変化は、少しずつ進んでいくので、改めて棚卸しすることで、測定することができるのでしょう。

ただ、そうしなくても、稲や他の身の回りの動植物をみていれば、自ずと気づくことができるようになるはずです。それは、コンクリートの建物の中にずっと籠もっていると見過ごしてしまいがちのことなのでしょう。



ハガキのやりとり

こんにちは。辻井洋行です。

2年前に、絶妙なタイミングで勤務先の大学を退職した先輩教員と数ヶ月に1度、ハガキのやりとりをしています。やりとりといっても、まだ、2往復目に入ったばかりです。

先方は、デジタル・デトックスということで、SNSは御法度とのこと。ハガキなら大丈夫かと考え、送ってみたところ、返事を頂けました。

急を要する連絡があるわけではなく、生存と消息確認のためのやりとりには、ハガキくらいの分量がちょうどよいようです。

また、ハガキが伝えるもの、手書きでしたためられた文章に宿る質感は、bit mediaには担えないもののようです。

今後、手紙のような物質的なやり取りは、いよいよ贅沢となり使えなくなっていくのでしょうか。もしくは、bit mediaの方が電力不足で使いにくくなっていくのでしょうか。はたまた、bit mediaが、肉筆の質感をまとうようになるでしょうか。






2021年7月23日金曜日

多様性への責任

 こんにちは。辻井洋行です。

庭木の葉っぱを見てながら得た妄想です。僕が借りている家は、約30年前に竣工したそうです。おそらくこの目の前の植栽(レッドロビン)も30年前からここにあるのでしょう。当時のこの土地には、山があり、雑木が林立していたはずです。これまでにも、人が住んでいる場所に、空き家ができ、そこに住むこともできるはずですが、新興の住宅地が生まれました。宅地が造成され、区画が決められた場所に、人工的な植栽がされたわけです。

生態的な多様性は、造成前の方が豊かなはずです。そこに、住む人にとっての見た目の良さ、それは住宅販売会社にとっての、商品価値に置き換えることもできます。私の目の前にあるのはレッドロビンという、植栽のための樹種です。


その責任とは何か。それは、もともとそこにあった植生の多様性を抑制しまったことに対する責任です。失われた多様性は、回復するするためにそれなりの時間を要します。多様性が不足しているという事は、大きな目で見ると、私たち人間にとっても、生存上不利な状況を生み出したということです。私たちは不利な状況を生みながら、短期的な快適な住居環境を得ているとみなすこともできます。

その責任を負ったであれば、できるだけ住居環境の中に多様性を持ち込んでいくこと、多少住みにくくなっても、植栽やそこに住み始めた動植物に敬意を払い、遠慮しながら生きていくこと。そういう事が、途中を開いたことを上の片棒を担ぐ人にとって、責任を果たすということなのかもしれません。





2021年7月22日木曜日

気になるスリット

こんにちは。辻井洋行です。

散歩していて、たまに目にとまるものを撮っています。まあ、何というものでもないのです。
それでも、たとえば、この人工物の隙間から、意図せずに伸びて外へとはみ出したツルの姿には、力強さや偶発性を感じさせられます。

また、このコンクリート塀を組んだ人は、どうしてこのスリットを選んだのだろうか。いま、一本、二本が伸びているこのスリットは、この後、どんな具合になってくるのかだろうか。これらのツルを頼りに、どんどんと内から外への進出するものが増えるのか。はたまた、所有者によって、引き抜かれてしまうのだろうか。

そして、このスリットの向こうには、何があるのだろうか。

そんな妄想をかき立てられます。そんな心の引っかかりを大事にしたいものだと思っています。






2021年7月21日水曜日

自分のミッション

こんにちは。辻井洋行です。

「ひとり一人が、誰かに寄りかかることなく自分の足で立って生きていく世の中を作る」というのが、20代の頃からの僕自身のミッションです。これまで、取り組んで来たことは、多かれ少なかれ、このミッションに沿ったテーマであり、課題であると思っています。まだ、なかなか世に出る成果を示し切れていないのですが、自身のミッションは、忘れずにやって行きたいです。

それなりに長く生きて、活動していれば、自分のミッションに関わる人に出会います。その人が、概念や技術をもたらし、僕の世界観を広げてくれます。人との出会いは、直接的であれ、間接的であれ、自身の価値観に影響を与えます。これからは、もう少し、アウトプットを意識して過ごしていこうと思います。



 

2021年7月20日火曜日

オニユリのように

こんにちは。辻井洋行です。

この2週間連続での民間プチ宇宙旅行、消費電力50分の1というMRAMの開発、欧州での記録的な大雨、気合いと根性の東京オリンピック、ウガンダ選手の失踪、アフガンでのタリバンの勢力回復、河南省アルミ合金工場での大爆発、北米とカナダを襲う熱波などなど。

広い世の中では、いろんな事件が起こっています。それでも私たちは、それぞれの生を生きています。誰かのことに敏感になりすぎると、とても平気では居られないことばかりですが、私たちは、適度に鈍感であるからこそ、こうしてブログを書いていられたりもします。

感受性がなければ、問題に気づけず、誰かに貢献することはできません。ただし、それが敏感過ぎれば、手足が動かず何もできません。適度な感受性を持ち、適度な鈍感さを保つくらいが、ちょうど良いのでしょう。

オニユリは、根付いた場所の状況の変化に応じて、花を咲かせたり、すこし遠慮したりと自由自在です。私たちはどうでしょうか。




2021年7月19日月曜日

夏は葡萄狩り

こんにちは。辻井洋行です。

夏は、実りの季節です。桃、スイカにメロンと果物が豊富ですが、僕は葡萄が気に入っています。特に、去年あたりからシャインマスカットが目立ちはじめ、巨峰と並ぶ人気品種になっているようです。

福岡県には、田主丸という葡萄の大産地があります。田主丸では、1957年から巨峰の作付けが始まり、水稲栽培からの切り替えを徐々に進めて現在に至るそうです。僕は、その長い歴史の最先端の成果を摘まんで楽しませて頂いています。

葡萄の甘さとさっぱりした果汁は、乾きを潤してくれます。当地には、ワイナリーもあり、試飲することもできます。2019年までは、大型観光バスがたくさん来ていましたが、去年と今年は、それほどの大口来客はないかもしれないですね。こういう時は、小口での訪問のチャンスです。

毎年、お盆前後から8月末の辺りがピークです。最寄りは大分道の朝倉ICです。この夏の小旅行にぜひどうぞ。




2021年7月16日金曜日

農業用水路の亀

こんにちは。辻井洋行です。

夕方にいつも散歩する農業用水路には、アカミミガメが住んでいます。数えた範囲では、大きな大人サイズが5匹、若いのが5匹で、合計10匹程度。田んぼへの水の引き込みや払い出しの都合で、この用水路の水位は激増と激減を繰り返すのですが、その中でもたくましく生きています。

コンクリート三面張の用水路なので、冬眠をどこでしているのか想像がつきません。もしかしたら、水の中でじーっとしているのでしょうか。冬眠中は皮膚呼吸で水中の酸素を取り入れているという説明を読んだことがあります。

いずれにせよ、このたくましさ、見習いたいものです。写真は、ふてぶてしい「主」と形容するべきやつで、なかなか逃げません。見上げた落ち着きです。w










土から生まれ土へ戻る

こんにちは。辻井洋行です。

私たちの体は、そこら辺にあるものと一体です。今朝まで、家庭菜園になっていたプチトマトに含まれていた分子は、僕の胃腸で消化されて、血液を通じて身体を流れ、一時、細胞の一部になっているのかもしれません。

人は、土から生まれ、そのうちに土へ戻ります。身の回りのものを体に取り込み、消化したものを排泄し、命を終える時には、全てを土に戻します。とはいえ、今時は、排泄したものは下水処理場で分解後に放流されるし、火葬が一般的であるので、土へ戻るということを実感することは難しいものです。

土から生まれることについても、食べ物を全てスーパーで買い揃えている分には、口に入れるものの来し方に思いを馳せるのは、なかなか難しくなります。それでも、いくらかを自分で生産することにより、収穫したものの延長上に購入品の成り立ちを思うことできるようになります。

このパイは、Jamestown Settlementというたしか17世紀のアメリカ東海岸の史跡公園で見つけたものです。なんとも魚を丸のままパイに仕立ててあります。その当時、大陸にやってきたばかりの人たちは、こういう工夫をして魚を食べていたのでしょう。私たちの体は、食べたものでできているわけですから、この当時の人たちの体は、魚とパイ生地でできていたということになります。


食べ物も、飲む水も、鼻から入って口から出ていく空気も、私たちの体を作るものです。「環境に優しい」というふわふわワードは、なにか可愛そうな守るべき対象として、環境を抽象的に扱っています。しかし、実のところは、環境は私たちの身体と不可分なものであり、不可分な一体であると気づけば、守られるべき危機的状況にあるのは、私たち自身であるということになります。

こういうものの見方は、あまり一般的ではないようですが、必要なことだと思います。

2021年7月14日水曜日

食欲をそそるチキンは食べたいしプラスチックバッグは便利なのだ

こんにちは。辻井洋行です。

世の中、景気が下向くとそれに釣られて心の余裕が無くなります。余裕がないので、いちいち他人のことが気になり、あれこれもの申したくなるわけです。他人の非を責めて、蔑んで引きずり下ろす。視野狭窄のため、その傾向がどんどんとエスカレートしていきます。日本の失われた30年というのは、そういう月日なのではないでしょうか。

景気は、良い方がいいです。人の懐に余裕があれば、少し通り将来のための投資にも心を配ることができるようになります。日々に追われないからこそ、考えを深めて、次の世代のために引き継ぐものを生み出すことができるようになります。

ただし景気を支えてくれる資源は有限です。エネルギーも汚してよい大気や水も。私たちには、将来得られる価値を小さく評価して、いま目の前にある価値を最大化しようとする性質があります。その性質があるからこそ、いわゆる環境問題は不可逆的に進行していきます。

まずは、私たちが何者であるのかを良く知ること。どんな性質があるのかということを理解することが、生きながらえていくために必要です。景気がよくても悪くても。

「そんなこと言ってもさ」という感情が湧いて来ますよね。食欲をそそるチキンは食べたいし、プラスチックバッグは便利なのです。それが止められないのも私たちなのだ知ること。このどうしようもなさを背負って、生きていくのでしょう。



2021年7月13日火曜日

街歩きが好き

こんにちは。辻井洋行です。

街歩きが好きです。出張などでどこかの街に行ったら、そこをプラプラ散歩します。ポケットには、スマホと少しのお小遣い。外国なら旅券の写しを入れて出かけます。

あまり、観光地には興味がありません。なんということもない街を歩いて、少し休んで冷たいものを飲んで、また歩きます。途中でお寺とか教会があったら、日陰で涼ませてもらいます。

燦々と照りつけるお日様の下を歩くのは辛いけど、うわ、ちょっと体力的にやばいかもと思いながらテクテク歩くのも記憶に残る散歩になります。暑い処なら、早朝か夕方がやはりいですよね。

写真は、サンパウロの北の方の街に、大学院の先輩夫妻につれていってもらった時のものです。





2021年7月12日月曜日

生まれたことには意味は無いけど

こんにちは。辻井洋行です。

森羅万象は、ただただそこに存在するものです。人がいる。虫がいる。微生物がいる。ウィルスがいる。それらを見上げれば月が輝いている。それは、物理現象であり、何かの意思が働いているものではありません。

ただ、森羅万象に意味を求めたい人の思いは理解できるし、共感もできます。人が生まれて生きていることに、もともと意味がないということは受け入れ難いものでしょう。それは、そこはかとない孤独とやるせなさを与えるからです。

とはいえ、人が生きることも一つの物理現象です。私たちは、気がついたら生まれていたのです。生を与えてくれた両親に感謝の念はあります。親の思いと共に多くの子は生まれ、育まれます。そこには生きる意味が生じます。生きる意味は見いだしていくものと言えます。

ただ、生きる意味は元々あるのだから、それは何かを見つけ出そうと言われても、それは困難なことです。私たちは物理現象なのですから。無い意味を見つけようというアプローチは、間違っていると思います。元々持っているはずのものを見つけようとして、いつまでもそれが叶わないとすれば、それこそ、そこはかとない孤独とやるせなさに囚われてしまいます。

むしろ、元々、生きる意味はないというゼロベースから出発すれば、生きる意味は、見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。ただ、それでもよいということになるでしょう。捉えどころのない自分に気を病んでしまうよりも、生を生きるという点では、よっぽど心持ちを楽にしてくれるように思います。




2021年7月11日日曜日

都市は全て誰かのものである

こんにちは、辻井洋行です。

都市に住むということは、誰かのものに囲まれて過ごすことです。例えば、田舎に住んでいれば、流しそうめんをするための竹は、河原の生えているのを1本切り出してくるだけのものです。

都市に住んでいるということは、この竹林は誰のもちものなのか、誰かに許可をとる必要があるのか、といったことを気にする必要があります。まあ、実際のところ、都市の竹林もまた、手入れがまったくなされていないので、適当に1-2本切り出してくれるくらいは、なんということもないわけです。とはいえ、何トンも組織的に切り出すとなれば、所有権の問題が生じるのでしょうけれども。

田舎には、入会地(いりあいち)と呼ばれる場所があり、その地域に済む人たちが、お互いに手入れをして、適当に守っている場所があります。僕が、昆虫採取をしていた林道なんかは、そんな場所だったと思います。細かく言えば誰かの土地なのでしょうが、そこで昆虫を採るくらい、ご自由にどうぞ、といった具合です。

都市にはいろいろ便利がものが揃っていますが、全て誰かの手の内にあって、事細かに管理されています。そういう豊かさと貧しさの両方が備わっているということでしょう。こういうことは、田舎で育たないと気づかないことなのかもしれません。





2021年7月10日土曜日

未だ名のついていないもの

こんにちは。辻井洋行です。

僕たちを次の世界へ連れて行ってくれるものとは、どういうものなのだろうかと考えます。それは、きっと表面的な賑やかしではないし、小手先のまやかしでもない。火星移住のための計画や技術さえ、もう既に実現に向けて動いているのものであり、現存の世界のものであると言えます。

そう定義すれば、次の世界へ連れていってくれるものは、未だ形になっていないものであり、名前もついていないような考えということになります。まだ、名前を呼ぶことができないものを認知しているのは、誰かとのやり取りの中で、何かウズウズとしたり、わくわくとしたり、時に、ニヤニヤしてしまったりする時何でしょう。

何か面白いことに触れているのだけど、まだ何だかよく分からない。そういう感じ。それに名前が付いて、計画になった時には、既に現世のものになってしまっています。そういうものにいつも触れていたいし、それこそが人生の楽しみであるのだと思う。




2021年7月9日金曜日

プノンペンにはBrown Coffeeがある

こんにちは。辻井洋行です。

こちらは、プノンペンにあるBrownCoffeeの
本社前にあるRoastery BKKです。
見えない角度のガラスの中に大きなロースターが据えてあり、
なかなか壮観です。

プノンペンに行った時には、休憩時間があると、
一度はここへ行ってゆっくりしたいと思っています。

カンボジアには色々な側面があります。
いろいろな関わり方、つながり方があります。

こういう店があって、人々が時を過ごしている風景もまた、
実際にそこにあるものです。

こういうカフェ文化からプノンペンやカンボジアに
興味をもっていくのもいいもんだと思います。

日本にもいろいろな風景や社会課題があるのと同じように。


 

2021年7月8日木曜日

プノンペンのピザ屋さん

こんにちは。辻井洋行です。

おいしいものを求める気持ちは、誰にもあるでしょう。これは、プノンペンで見つけたイタメシやで、ピザが有名です。ここへ来たのは、休みの昼の時間だったかな。クリスピーな香りのいいピザが釜からそのまま出てきました。

カンボジアといえば、伝統のクメール料理がもちろん美味なのですが、特に、首都プノンペンには、色々な飲食店が軒を連ねています。大使館があるので、もちろん高級店がたくさんありますが、庶民向けのこんなコージーなカフェがあって、ふらっと立ち寄る客を待ってくれています。

Piccola Italia Da Luigi Pizzeria