こんにちは。辻井洋行です。
わたしのラジオ習慣は、中学生の頃から始まりました。MBSヤングタウンに始まり、オールナイトニッポンといった深夜枠の番組にはまっていました。親の目を盗んで、ラジオにイヤホンをつけ、布団に潜り込んで聞いていたことを覚えています。
中学・高校の多感な時期に、世の中の最先端や人生のわびさびまで、すべてラジオが教えてくれたものといっても過言ではありません。世の中には、色々な出来事があり、色々な考えの人がおり、色々な音楽であふれていることを知る「見えない」窓口が、ラジオだったのです。
今も何か作業をするときには、必ずラジオやポッドキャストを再生しています。30年以上、色々な情報を耳から仕入れる習慣をつけて来たので、音声で情報を受けて、概念化する方法が形になっているのかもしれません。
ラジオは、ながら作業との相性が良いです。特に、単純作業をしているときは、ラジオが気休めになり、ペースメーカーになってくれることもあります。何か思索するときには、邪魔になるのですが、ルーティンワークを効率的に行うときには、補完関係にあるのでしょう。
また一方で、何か耳寂しい時に、それを埋めてくれるのもラジオです。中高生の頃の飽きたらなさ、子供故に、経済的な理由もあり、広げられない世界を手軽に広げてくれるのを手伝ってくれます。
いまは、スマホがそれを肩代わりしてくれています。ラジオもスマホに収まりました。radiko.jpは、日本中のAM-FMラジオを聞かせてくれるし、インターネット経由で色々な国のラジオ放送をきくことのできる時代になっています。
音声は、映像がないぶん、妄想の世界も膨らませてくれます。視覚が私たちに与えるイメージの制限を取り払うのは、音声にラジオなのかもしれません。ラジオやラジオ的なもの。それなしにわたしのこれからの時間も続かないでしょう。
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