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2021年1月24日日曜日

具体的な解決を形にすることでコロナ禍の喪を抜けていこう

こんにちは。辻井洋行です。

新型コロナ感染症について、広く一般に認知されるようになって、1月23日で1年が経つといいます。日本国内では、しばらく彼の国のお気の毒な事象と片付けられていました。僕自身も、2月中旬にはプノンペンへ仕事で出向いていましたので、まだまだ他人事であったわけです。

僕がプノンペン滞在中に、日本への帰航が拒絶されたという豪華客船がシアヌークビルというカンボジアの海の玄関口に寄港し、乗客たちがプノンペンのトレサップとメコンの川洲に経つ豪華ホテルに滞在することになったのを覚えています。その後の世界的な流行は、誰もの知る限りです。

どうも僕自身は、この手の大きな災害には、直接の被害を受けていなくても、感化される傾向があるようです。1995年の阪神淡路大震災、2001年の米国同時多発テロ、2011年の東日本大震災、2018と19の九州大豪雨、そして、新型コロナの世界的流行まで。特に、この1年間は、喪に服しているような気分で過ごしているように思います。

このコロナ禍は、まだ自身が罹患したことはないにせよ、感染予防を緩めればいつ罹患しても不思議ではないため、ずっと気の抜けない毎日を過ごしています。それはきっとストレスとして心理に働きかけているはずなので、それを緩和したり、やり過ごしたりするために、ウォーキングを日課としたり、青空の下に出たりすることが習慣になりました。陰鬱な気分を紛らわせるには、物理的な環境を変える必要が僕自身にはあるのでしょう。

また、このようなストレスは、仕事のパフォーマンスにも少なからず影響します。仕事のやり方に加わるいくつもの制限を乗り越えのは、工夫の見せ所です。いつまでも陰鬱に喪に服しているわけにもいかないでしょう。「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。」というのは、アランの幸福論の一節です。むやみな楽観主義やポジティビズムは苦手ですが、自身の思う使命、生きる目的を軸に、一つでも多くの解決を具体的な形に仕上げていきたいものです。

Independence Monument, Phnom Penh


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