こんにちは。辻井洋行です。
今回は、過剰品質を避けることがエコにつながるという事について考えてみたいと思います。 私たちはいろいろな製品やサービスを使いながら、生活を便利に、快適にしていくことを望んでいます。不便よりは不便でないことの方が良いに決まっています。何かの修行のために不便さを積極的に取り入れる事はあるにせよ、つまるところは、生きていくために、より長く生きていくためにできるだけのことを工夫しようとするのが、私たちの基本的な欲求であろうと思います。
ただしその欲求をずーっとずーっと長く続け、できれば自分たちの孫やひ孫の代の先まで続けていこうと思えば、今の私たちが、世の中にあるものを使い尽くして、後の世代の人たちが使えなくなってしまったら、申し訳が立ちませんよね。そういう気づきや考えを世代間倫理というのですが、なかなか頭の中だけで考える事は難しいものです。
むしろ、イメージの難しいことは、ゲーム性を持たせたり、知らず知らずのうちに行動できるような仕組みを作っていくことのほうが、効き目があるように思います。例えば、SDGsの中でも、資源の節約に考えるためのレッスン方法の一つとして、わたしの大学院の先輩がある専門学校で実践していたという授業の題材です。
それは、いろいろな雑紙を生徒さんに渡して、1つだけオーダーを出します。それは、「ここにある紙でメモを作ってください」というものです。生徒さん達はグループになって、いろいろなメモを作っていきます。きっちり紙のサイズを揃えるグループ、紙を閉じる場所にしっかりとテープや糊付けを行うグループ、表紙や台紙まで付けてブックレットを作るグループなどさまざまです。
生徒さん達が作ったメモ帳を、相互に評価してもらい、お互いにコメントを交わします。そこで一つの問題を提起します。「私はメモを作ってくださいとだけ皆さんにお願いしました。皆さんが作ったものは確かにメモであり、たくさんの工夫をしてとても使いやすいものになったようです。だた、そのためにどれだけたくさんのものを使ったでしょうか。例えば、メモ帳として最小限の役割を果たすのであれば、手のひらサイズにザッと切った紙の束の1つの角をクリップで留めたり、穴を開けて細くひも状にした紙を通しておけば十分かもしれないですね、と。」
このレッスンのメッセージは、私たちが作る製品やサービスに、必要としている機能を超えた過剰なものがないかを見直してみようというものです。顧客が求めたものに対して、過剰な価値の上乗せは、不要であるばかりでなく、他の目的のために利用する機会を奪ってしまっているかもしれません。もちろん商品として成り立たなければならないという常識や、場合によっては法律上の定めがあるかもしれません。ただ、「そもそも生活のために必要なことは何なのか」という目線から物事を考え直し、身の回りにあるものが、どれだけ過剰品質になっているのかを見直すことは、世代間倫理の観点から必要なことであるはずです。
これは、サンパウロに住んでいる私の大学院の先輩が実践したレッスンの例です。このようなレッスンを共有することで、個々人が基本的な物の見方を変えて行き、より遠くの世代までが生きながらえていける世の中を今から作っていきましょう。
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